11月3日、文化の日はかって明治節であった。明治天皇の誕生日で
戦前は新年(1月1日)紀元節(2月11日)天長節(4月29日)とともに
国の四大節、つまり四大国祭日であった。
明治節 (作詞 掘澤周安 作曲 杉江秀)
# アジアの光 日いずるところ
ひじりの君の 現れまして
古き天地 とざせる霧を
大御光に 限りなく払い
教えあまねき 道明らかに
治めたまえる 御世とうと
この歌は昭和3年に制定されているが、戦争中小学生だった僕らは学
校の式典で、意味もわからず歌った。三番目には”秋の空澄み菊の香
高き”とあるが僕は”香高き”を”肩かけ”と覚え、母親に”菊の肩かけ”
の意味を聞いたことがあった。
文化の日は”晴れの特異日”といわれているが、明治節の頃からそうで
あった。昭和20年の父の日記には”さすが明治節、穏やかな小春日和”
とある。ちなみに昭和11年から20年までの天候を調べると東京では12、
13,19年が雨であとは晴れている。
明治節には一般の家庭では門前に日の丸を掲げた。強制ではなく一般の
風習であった。子供は学校の式典に参加、お祝いに紅白の饅頭かとりの
子餅を貰って帰った。大人は郊外へハイキングへ出かけたり映画をみてす
ごしたが、父の19年の日記には一日炭団づくりで暮らす、とある。
炭の粉をまるめたものを炭団といい冬の暖房には欠かせないもの。時代を
感じさせる。
戦前は新年(1月1日)紀元節(2月11日)天長節(4月29日)とともに
国の四大節、つまり四大国祭日であった。
明治節 (作詞 掘澤周安 作曲 杉江秀)
# アジアの光 日いずるところ
ひじりの君の 現れまして
古き天地 とざせる霧を
大御光に 限りなく払い
教えあまねき 道明らかに
治めたまえる 御世とうと
この歌は昭和3年に制定されているが、戦争中小学生だった僕らは学
校の式典で、意味もわからず歌った。三番目には”秋の空澄み菊の香
高き”とあるが僕は”香高き”を”肩かけ”と覚え、母親に”菊の肩かけ”
の意味を聞いたことがあった。
文化の日は”晴れの特異日”といわれているが、明治節の頃からそうで
あった。昭和20年の父の日記には”さすが明治節、穏やかな小春日和”
とある。ちなみに昭和11年から20年までの天候を調べると東京では12、
13,19年が雨であとは晴れている。
明治節には一般の家庭では門前に日の丸を掲げた。強制ではなく一般の
風習であった。子供は学校の式典に参加、お祝いに紅白の饅頭かとりの
子餅を貰って帰った。大人は郊外へハイキングへ出かけたり映画をみてす
ごしたが、父の19年の日記には一日炭団づくりで暮らす、とある。
炭の粉をまるめたものを炭団といい冬の暖房には欠かせないもの。時代を
感じさせる。
今は、祝日がすべて連休を意識した日付に設定された為に、
祝日自体の名前が浮かびません。
3日の日にバスの前面に国旗が付いていて「今日は何の日だったかな?」と
改めて思い出さないとよくわかりませんでした。
恥ずかしいことですが、なんだか連休という認識しかなく、
祝日の本当の意味とかが薄れてきているような気がしました。
確かにそうですね。ハッピー・マンデイ制度になってから判らなくなってしまいました。でも現役の時には三連休のほうが嬉しいですね。