「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”窮鼠”の籠池氏証言 と人を見る目がなかった総理夫人

2017-03-24 05:50:48 | 2012・1・1
昨日、衆参両院での「森友」疑惑の証人、籠池泰典氏の証言をテレビ中継で見た。疑惑で学校の理事長を辞任させれた籠池氏だが、”窮鼠猫を咬む”なのだろうか、安倍総理夫人、昭恵さんから”主人、晋三からです”と、100万円の寄付を頂戴したのを鮮明に覚えているなど証言、昭恵夫人との間で交わされたFAXまで公表した。総理の国会発言とまっこから違う、この証言、どちらが本当なのだろうか。

昨日の証人喚問に立った籠池氏の胸には、理事長辞任までは、安倍総理と同じようにつけていたブルーの拉致被害者救出運動のバッジがなかった。真意は判らないが、僕には、今までの総理に対する考え方とは違うのだという意思表示とも受け取られた。この疑惑が表面に出て以来、政治的な配慮からかあまりに面に出ていなかった籠池氏だったが、安倍総理の強硬な「森友」発言を受け、昨日の籠池氏の言動は明らかに”窮鼠猫を咬む”であった。

籠池氏が公表した総理夫人とのFAX公表から、僕は2006年の民主党のFAX事件を想い出した。この事件で当時の党の代表だった前原誠司氏が党の代表を辞任、議員に自殺者まで出しているが、当時同党の最高顧問だった渡部恒三氏が”人を見る目がなかった”と言い捨てたのを何故か覚えている。

籠池氏が、いつ、どのようにして安倍総理に接近をはかったのか。一時にせよ夫人が名誉校長に就任し、3回も同行を訪れ、話をしているのは事実である。国会が、本来の国有地払い下げ疑惑から離れた、こんな問題で空転しているのは国民にとって不幸である。原因は総理夫人の”人を見る目がなかった”からである。国民は早い幕引き望んでいるが、納得のできる解結でなければならない。
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桜はまだだが、望春 紫モクレンは花盛り

2017-03-23 05:51:11 | 2012・1・1

東京はすでに21日、桜の開花宣言が出たのだが、わが家近くの暗渠に植えられた桜並木の蕾は固い。代りに隣家の紫モクレンの花が真っ盛り。、モクレンは別名「望春」というそうだが、まさにその通りだ。わが家の玄関先のミニ.シクラメンも鮮やかな色の花を咲かせている。”おんもに出たい”と待ちこがれた園庭のない認証保育園の園児たちが、保育師さんたちに連れれて三々五々、街を行くのを見かけた。「望春」しきりの80歳半ばの老人の心境である。
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聖徳太子の名前が消えないでよかった!皇国史観で育った世代 

2017-03-22 06:55:32 | 2012・1・1
次期学習指導要領改定案から消えかかっていた「聖徳太子」や「鎖国」が学習現場からの強い反発もあって復活したそうだ。当然なことだ。文科省のお役人たちは、いったい何を考えているのだろうか。正式な呼称ではないとして「厩戸皇子」にしても「聖徳太子」はすでに1万円のお札として親しまれており、混乱を招くだけで何も意味がない。

僕ら戦前昭和の時代”万世一系”の皇国史観で教育を受けた僕ら世代は、80年近く経った今でも変な混乱がある。天照大神、須佐鳴命、大和武尊、神功皇后―いつまでが歴史か神話か判らない。今の若い世代には、なじみの薄くなった「国史」上」の人物、楠正成、本居宣長、高山彦九郎。二宮尊徳(皇国史観には無関係なのだが)などなどの名前をはっきり覚えている。皇紀で教育を受けたから仏教伝来は”オイチニ、オイチニ”(1212年)である。

鎌倉に大塔宮(おおとのみや)という南北朝時代,建武の復興に功のあった護良親王が、足利尊氏によって幽閉された土牢がある。皇国史観に立てば、尊氏は国賊であるから、戦争中、大塔宮は、東京の小学生の修学旅行の定番のコースとなっていた。しかし、戦後はどうなのだろうか。観光客があまり訪れるという話は聞かない。

文科省の役人が、どのような視点から「聖徳太子」や「鎖国」を指導要領から消そうとしたのか解らない。それより、僕ら世代から言えば、僕らが生きていた昭和初期の時代について、一方的に抹殺するのではなく、正しい視点に立って総括し、後世に伝えて貰いたいものだ。
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痛々しさだけ残った石原元知事の百条委喚問

2017-03-21 07:20:45 | 2012・1・1
豊洲市場移転問題を検証する都議会の模様を昨日、テレビ中継で見たが喚問に出た石原慎太郎元知事の姿は痛ましくて見られたものではなかった。脳梗塞を患われ記憶が薄いと、最初から”予防線”を張っていたが、首筋には大きな絆創膏も見られ、歩く姿もよろよろである。往年の「太陽の季節」の勢いは見られない。

”天気晴朗なれども波高し”-百条委出席に先立ち、石原氏は記者団にその心境を語った。日露戦争の日本海開戦のさい、秋山真之参謀が大本営に送った電文で、開戦地の天候を伝える一方、艦隊の士気旺盛を語ったものだが、果たして今の若い世代の何パーセントが真意を理解しているだろうか。

結果として、百条委の喚問は石原氏の健康を配慮した1時間という時間制限による細切れ質疑もあって新たな成果はなかった。”核心的証言なし”(産経新聞)、肝心の土壌対策交渉”報告記憶ない”(読売新聞)という状態で、なんのための百条委喚問なのかわからない。老獪な石原氏にやりこめられたように見える。

石原氏が喚問でのやり取りの中で、小池百合子知事に対して豊洲市場へ即時移転を迫ったのは余計なことだ。百条委が過去の経緯を検証しているさ中である。その真相究明中、いわば自分のハエも追えていないのに、小池知事の市場延期決定は議会無視とは理解できない。都民は、昨年、完全実施されるはずだった盛土が建物地下にはなく、汚水が溜まっているテレビの画面を憶えている。専門委員会も有毒の地下水をまだ検査中で最終的な結論は出ていない。この段階での安全と安心との取り違えという小池批判はどんなものか。石原氏には失礼だが、本当に”字も書けないし、絵もかけない”なら、ここは何もいわず、”沈黙はカネ”がよいのでは。
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超高齢化時代の悲劇 平均寿命は延びたが

2017-03-20 06:07:56 | 2012・1・1
厚労省から最新(2015年)の日本人の平均寿命が発表された。女性は86.99歳、男性80.75歳でいずれも過去最高、先進G7国の中では最長である。20年前の1995年前には女性82.85歳、男性76・38歳にすぎなかった。すごい伸び方だが、ただ手放しで喜んでばかりいてよいのであろうかー。

つい先日、高知県宿毛(すくも)市で夜中火事があり、火元とみられる家から99歳と90歳の老夫婦の焼死体が発見された。二人とも足が悪く逃げ遅れてしまったようだ。平均寿命をはるかに超えたご夫婦なのに、なぜ老人施設に入らず、介護の家族もおられなかったのだろうか。新聞はその詳細は書いていないが悲劇である。

宿毛市は宿毛湾に面する黒鯛など大物釣りの名所で、湾に沈む大きな”だるま太陽”が有名な人口2万人ほどの地方の典型的な小都市である。ネットで調べてみたら、宿毛市には特別養護老人ホームを初めグループホームまでいれると12も施設がある。亡くなられたご夫婦の介護程度は判らないが、何故施設に入居できなかったのであろうか。

国は全国的な病院ベッド不足もあって、在宅介護を推進している。その柱として「在宅支援診療」(在支診)の拡充を進めているが、思うようにいっていないようだ。宿毛の、この老人夫婦の場合はどうなったのであろうか。90歳を超えた長寿のご夫妻である。出来れば宿毛湾に落ちる真っ赤な”だるま太陽”の一生を終えられたかったのではなかろうか。平均寿命は延びたが、考えさせられる問題である。
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72年前の強制建物疎開 荷馬車で引越し

2017-03-19 05:43:03 | 2012・1・1
春分の日を挟んで前後7日間を春の彼岸というが、72年前の昭和20年の春の彼岸は、わが家にとって忘れられない。亡父の残した日記帳を改めて読みなおしてみたが、あの戦争時代の不条理な冷酷の日々が、今さらのように想い出される。

わが家は当時、東京五反田の軍需工場近くにあったが、3月10日の下町大空襲を受けて、彼岸の入りの17日、亡父の日記によれば”突如として”町会から1週間以内に家を明け渡せと命令が出た。政府は敵の空襲の被害を抑えるため、鉄道の駅周辺や軍需工場の半径100m地域内の建物は疎開する計画を進めていたが、まさかわが家がそれに当たるとは思っていなかったようだ。

慌てた両親は早速疎開先探しを始めたが、幸いにもわが家は両親が老後のために建てた家作が、5キロほど離れたところにあったので”家作人と交渉して家を明け渡して貰った。しかし、引っ越し先が決まっても、そこまで荷物を運搬するのが大変だった。母親の実家が運送業をしていたが、車は全部、軍に徴用されて1台もない。やっと荷馬車会社に頼み込み、荷馬車2台で2回にわたり往復して運んだ。

あの戦争は誰でもが被害者であった。わが家も一人の姉が、食料難による栄養不足と過労により結核で亡くなっている。しかし、近い身内には戦死者はいない。激しかった東京の空襲にも一度もあっていない。この強制疎開だけだが、両親にとっては、退職金で建てた自分の家であっただけに無念だったであろう。亡父は当時61歳であった。
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今、電子レンジ 昔、ニクロム線パン焼き器

2017-03-18 06:29:01 | 2012・1・1
先日、老妻が娘と一緒に東京の有楽町の電気量販店に行き、購入した電子レンジが届いた。老妻の記憶によれば、こわれた前のレンジは、平成5年、わが家を新築した際、求めたそうだから、随分と長持ちしたものだ。今や、電子レンジは家庭での必需品で、”チーンする”という新語まで生まれるほど、親しまれるようになってきた。

僕ら夫婦は昭和30年に結婚しているが、二人で昔話をすると、当時は東京の23区部でも都市ガスがなかった。同居していた亡母が台所の裏の空き地で、薪や燃焼ゴミを燃やしながらご飯を炊いていた。料理はすべて電熱器であったが、まだ電気ガマのような便利なものはなかった。30年代後半になって、都市ガスが入り、やっとガス釜が使えるようになった。電気冷蔵庫もなかった時代である。

都会の家庭の主婦にとって最悪だったのは、戦後すぐの食糧難の時代であったろう。コメの配給が滞り、代わって小麦粉が多くなってきた。昭和21年から22年にかけてである。おそらく、米国からの救援物資LALAによるものであった。しかし、代用食になれていなかった当時の主婦は使い方に困ったが,生活の知恵である。電熱器に使われているニクロム線をそのまま使ったパン焼き器が流行し始めた。わが家でも鰹節(かつおぶし)器の箱にニクロム線を這わせ、即製のパン焼き器を作った。

到着した新品の電子レンジを使って、老妻が早速、正月の残り品のお供え餅を”チーン”して季節はずれのお雑煮を作ってくれた。便利な恵まれた時代である。
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桜 目黒川100年の流れ

2017-03-17 06:10:54 | 2012・1・1
わが家近くの呑川(東京.目黒)の暗渠に植えられた「緑道」の桜並木も昨日、今日の暖かさで一挙に蕾が膨らんできた。来週の開花予定日には、間違いなく咲きそうだ。ここ十数年、すっかり東京の桜名所の一つとなった同じ区内を流れる目黒川も桜見物の観光客で賑わうが、それに先だち、川の下流の品川区では水上バスの乗り入れを事前登録制にし、監視することになったそうだ(読売新聞)

僕は戦前昭和の時代、生まれてから敗戦の年まで14年間、JR五反田駅近くの目黒川沿いに住んでいたが、遊び場としていた大崎橋から本村橋、谷山橋、亀の甲橋にかけては、桜の木があった記憶がない。川はすでに生活ゴミと下水の垂れ流しで汚染され、猫の死体まで時には流れていた。それだけに、今や目黒川が桜の名所となり、水上バスまで走ると聞くと、まさに“滄桑の変”を感じる。当時川には、家々からし尿を組みとり東京湾へ運ぶ”汚わい”船が行き来していた。

しかし、この目黒川も名誉のために言うならば、明治時代には清流で、26年生まれの亡母は水遊びもした。亀の甲の形をした中の島は、日本最初の活動写真会社、吉沢商店の行人坂にスタジオから近く絶好のロケ地だったようである。僕ら子供の遊びの領域は、この亀の甲橋あたりまでであったが、無料の植物園で孔雀が羽根を広げるのを見たり、”ネンド山”と呼んでいた原っぱからネンドを採集したりした。思えば川は、すでに汚染されていたが、まだまだ自然は残っていたのだ。桜、明治100年の目黒川の川の流れに人生を感じる。
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支持率の低下と"賞味ぎれ”の安倍晋三内閣

2017-03-16 09:44:01 | 2012・1・1
「森友学園」の数々の疑惑からマスメディアの世論調査による安倍内閣支持率が軒並み低下している。まだ50%台は維持しているがさらに稲田朋美防衛相の国会での虚偽答弁など内閣には逆風ばかり、さらなる支持率の低下は免れない。

10年前の第一次安倍内閣(2006年9月―07年10月)当時はどうなったのか。”美しき国””教育再生”を旗印に発足、戦後生まれの宰相と期待されたが、”仲良し内閣”か災いしてか、任命難閣僚が「政治とカネ」や”女性は産む器械””原爆投下は当たり前”などの失言が飛出し自殺閣僚まで出た。

稲田大臣は”自分の記憶に基づいて虚偽答弁しているが、僕は10年前の自分のブログで当時を振り返ってみた。内閣末期の07年8月のブログには”賞味切れの晋ちゃん内閣”のタイトルで内閣支持率が26%、不支持率64%(産経FNN調査)を紹介、作家の曾野綾子さんが、総理が靖国参拝をしなかったのが原因か、売店の”しんちゃん饅頭”が売れ残っていたというエッセーを紹介している。さらに総理が突然辞任した翌日のブログには、”きれたがきっ子総理”と辞任理由の整合性のなさを批判している。

僕は自民党を支持しているが、第一次内閣から現在まで一貫して安倍内閣の美辞麗句、特に「巧言令色鮮仁」だと批判している。「森友学園の国有地入手にからんで派生した「周辺」には、総理はマスコミのイメージ作りだとしているが、金銭疑惑はないにしても国民はなぜ総理夫人がおかしな教育方針の学校の名誉校長になったのか、依然疑問に思っている。そこへきての、稲田防衛相の虚言答弁だ。

野党民進党のあいも変わらぬ、揚げ足取り的追及にはウンザリだし、政権復帰には反対だが、安倍総理の美辞麗句の答弁は誠意がなく「巧言令色鮮仁」である。
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まだ流布されていたスマトラ第25軍防空壕虐殺の虚妄

2017-03-15 08:04:36 | 2012・1・1

先日、このブログで”オレオレ詐欺にご用心”と書いたところ、その日、わが家に若い男の声でそれらしき電話がかかってきた。電話口に出た老妻は、相手が自分の名前を名乗らずに”〇〇さんいますか”というので、早速”それっと身構え、僕と電話を代わった。しかし、よく聞くと内容は、僕が20年ほど前書いた虚妄のブキティンギ(スマトラ)第25軍防空壕虐殺についての問い合わせであった。

電話では要領を得ないので、当方のメールアドレスを伝えたら、昨日その返事があった。現在、卒業前の旅行でブキティンギに滞在中の東京の大学生からで、話は現地の観光局の依頼で、ガイドたちのプレゼンで、虐殺が虚妄であることを話するが、学生でこんな話をしても構わないかということであった。学生は僕の旧著「大東亜戦争とインドネシア」を読んでおり、2005年、僕らが現地で数百部配布した、防空壕築城の真相を語る日英インドネシア語のパンフ(写真)を読まれている。

学生のメールによると、防空壕のガイドの中には、依然として日本軍による”虐殺”を観光客に話している者がいるそうで、僕らが観光局や市役所、ホテルなどに配布したパンフを初めて見るものが多かったという。僕らは有志のご協力で800部ほど配布し、日本国内では虐殺を信じる人はいなくなった。しかし、肝心の現地のガイドが、いまだに、この状態では何にもならない。学生は僕の旧著にそって話をしてくれるそうだが、改めて僕は学生に謝意を伝えるとともに、いくら戦時下といえ、大規模な自然破壊を行ったことについて一言謝罪してくれと依頼した。
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