「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

本当に”一皮むけたのか”豪栄道の全勝優勝

2016-09-26 07:43:42 | 2012・1・1
双葉山の69連勝の時代から80年近く大相撲を知っているオールドファンの一人だが、、この9月場所のダメ大関豪栄道の全勝優勝ぐらい意外はなかった。小ブログは平成27 年9月、白鵬不在の場所でモンゴル出身の横綱鶴竜が優勝戦で同じモンゴルの大関照ノ富士を破って優勝した時、”日本人の大関三人の不甲斐なさ”を批判、特にそのうちの一人、豪栄道を史上最弱の大関だと悪口を書いた。

豪栄道は今場所優勝するまで、確かに”史上最弱”の大関だった。平成27年1月場所、大関に昇進したが、在位12場所の成績は61勝56敗、今場所も先場所、7勝8敗で4度目の大関陥落のカド番に立たされていた。いつも9勝しかできない大関の事を、かって麻雀全盛時代、のよくある上りり点、9600点になぞらえて”クンロク”と蔑んだ時代があったが、豪栄道は、はるかにこれを下回っていた。

その豪栄道がこの変りようぶりだ。新聞の中には、”一皮むけた”と豪栄道の相撲を高く評価し、相撲協会の幹部の中には、来場所優勝すれば、横綱だとの声も出ている。日本出身力士の横綱昇進はファンなら皆が期待している所だ。僕も豪栄道が本当に”一皮むけて”来場所も今場所のような相撲で優勝、横綱に昇進するのを望んでいる。しかし、一方では、豪栄道の大関時代の”お天気相撲”から見て一度や二度の優勝で、横綱の地位が守れるかどうか僕は心配している。

横綱は”クンロク“横綱というわけにはいかない。昔流にいえば。「日の下開山」である。大関と違ってカド番はないが、不成績なら土俵を去るだけである。とにかく、来場所、白鵬が出場する場所の豪栄道の相撲をみてみることにしよう。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

インドから白牛が善光寺に贈られてき時代の日印関係

2016-09-25 07:29:05 | 2012・1・1
今回の旅で初めて善光寺の裏山にある納骨堂「雲上殿」に参詣した。この納骨堂の一角に昔、インドのネルー首相から贈られてきた白牛の遺骨を収めた像があると聞き、これを写真に撮るのが目的だったが、撮影後、不用意からカメラのSDカードが飛び出し、旅行中撮った写真がすべてダメになってしまった。

昭和28年(1953年)、学校を出てすぐの新聞社の初赴任地が長野市であった。当時、善光寺の境内には前年の27年、仏教渡来1400年と日印平和条約を記念して、インドのネルー首相から贈られてきた白牛が参詣者の大きな話題になっていた。日本がサンフランシスコで米国など52カ国と平和条約に調印したのは26年だったが、インドこれに参加せず、別途独自に平和条約に調印している。主な理由は対日賠償請求権の問題で、インドはサンフランシスコ条約とは異なり、はっきりと対日請求権を放棄している。

敗戦後すぐの20年代後半は、今思うとインドとの話題が多かった。東京台東区の子供議会の陳情にこたえて、ネルー首相が上野動物園へ象のインディラをプレゼントしたのもこの時代だし、札幌の藻岩山など全国10か所にインドからお釈迦様の分骨が贈られてきて仏舎利塔が建てられたのもこの時代であった。今、思うと、当時のわが国は、敗戦で虐げれていた時代であっただけに、市ヶ谷国際裁判で、ただ一人日本無罪論を主張したインドのパール判事の言葉が唯一の救いで、これにに感謝していた。恐らく、当時のインドの対日友情は、パール判事と同じ考え方の延長線上にあったのであろう。それに比べて今は中国や朝鮮半島の国の話が多く、インドとの話題が少ないは残念だ。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

刈りいれ前の稲田

2016-09-24 19:57:33 | 2012・1・1

今回の旅は散々だった。善光寺界界隈の写真を撮りまくったが、SDカードがカメラから外れてすべてご破算、帰途のバスの車窓から撮った刈りいれ前の稲田の遠景だけしか撮れていなかった。関東平野から上州の山間にかかったあたりである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

”閉じ籠り”からの脱出 老妻の71年前の同窓会に同行の旅

2016-09-23 05:29:41 | 2012・1・1
”暑さ寒さも彼岸まで”というが、昨日「秋分の日」を過ぎた途端、東京では秋冷を感じるようになった。つい最近まで暑い暑いといっていたのがウソのようだ。今日これから併せて168歳の老夫婦は、長野へ一泊二日の旅にでる。老妻が71年前、卒業した国民学校(小学校)の同窓会に出席するので、それに付き添っての旅だ。今年になって、家に閉じこもりがちで、外出機会が減り、今回もあまり乗り気ではなかったのだが、思い切って同行を決意した。

一泊二日の旅といっても、往復新幹線を使用、二人でホテルに泊まれば、5万円近くかかる。年金生活にとっては、かなりの出費である。そこで、今回も急ぐ旅ではない、往復高速バスを使用、宿もネットで格安ホテルを探した。この結果、3万円ほど節約になった。一瞬にして通りすぎる車窓の景色の新幹線よりは、ゆっくりとしたバスの窓から見る景色の方がよいし、温かみのある小さな宿の方が老人にはよい。

老妻が同窓会に出席している間、僕は善光寺を参拝、周辺を散策したいと思っている。長野は僕にとって学校を出て初めて勤めた地であり、老妻と結ばれた地でもあり想い出深い。70年近く前、駆け出しの地方記者の僕はは、自転車に乗り、毎日坂の多い長野の町を走りまわった。善光寺の境内にはインドのネルー大統領から贈られた白い牛が参詣客の人気を集めていた頃である。

家に閉じ籠り、過去の想い出ばかりに耽っていては健康によくない。老夫婦そろって、こうしてささやかな旅に出られるだけで幸せである。初秋の信濃路の旅を楽しんでくる。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

石原慎太郎元都知事 84歳の記憶と勘違い

2016-09-22 05:50:22 | 2012・1・1
豊洲市場の盛り土問題について、石原慎太郎元都知事が報道機関に対して文書でもって、知事在任中の出来事が多大な混乱や懸念を生じさせて申し訳ないと謝罪した。石原氏は、まもなく84歳という年齢からくる記憶の薄れや勘違いがあるとして、今後報道陣の取材を控えるともいった。”過ちをを改めるに憚ることなかれ”(論語.学而}であり、僕は改めて石原氏の”過ち観て仁を知る”(論語里仁)態度に共感した。

石原氏は謝罪文書の中で、一部の報道が”土壌汚染を無視して予算と完成時期にこだわり過ぎた"との批判に対して、断じてありえないと否定した。”過ちは好むところにあり”(準南子)という諺があり、人は自分の得意な事で油断し失敗することが多い。過去に原発事故の対応で失敗した総理がいた。石原氏も環境問題では、一応権威であるが、今回もその面があったのだろうか。

誕生日がきて84歳、年齢からくる記憶や勘違いを石原氏は率直に認めておられたが、まさにそうである。個人差はあるが、人間は加齢には勝てない。いつまでも「太陽の季節」の石原慎太郎氏ではない。先の都知事選での”厚化粧年増”発言から、今回の盛り土問題まで、石原氏の発言は、あまりにもアウトスポークンし過ぎた。石原氏が自認しているよに、残念ながら年齢からくる”ボケ”が出てきているのだ。

しかし”過ちを改めざるをこれを過ちという”(論議.衛霊公)というが、石原氏は率直に過ちを認めた。さすがに「仁者」である。「仁者」は”山を楽しむ”(論語.擁也)とある。「仁者」は天命をを知り、安らかで、山のようじ動じないという意である(三省堂「慣用句こおわざ辞典」)
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

病床で軍歌を歌う元インドネシア義勇軍兵士

2016-09-21 05:43:59 | 2012・1・1
元インドネシア国軍参謀長で駐日大使もされたバンバン.スゲン氏の実弟、バンバン.プルノモ氏(89)から近況を伝えるメールが届いた。同時に「敬老の日」に病床にあるプルノモ氏を見舞った、インドネシア滞在中の知人のS氏からも写真入りのメールを頂いた。

プルノモ氏は日本軍政時代、中部ジャワのテマングンの義勇軍兵士だったが戦後の和蘭との独立戦争(1945年―49年)では、国軍の小隊長として活躍、テマングンでは実兄、バンバン.スゲン将軍と二人英雄として尊敬されている。最近まで、プルノモ氏は、日本時代の経験を生かして自宅で日本語塾「寺子屋」を開いていた。

S氏のメールによると、プルノモ氏は最近は老衰から寝たきりの病床にあるが、その介護と世話は近所のワルン(小さな店)の女主人が中心になって、昼夜24時間、交代で、独り身のプルノモ氏の面倒をみている。目も不自由になられているが元気で、S氏が見舞に行くと大変喜ばれる。たまたま、S氏が見舞った日には、女子中学生も来ており、独立戦争時の話を語り、日本時代の歌「愛国の花」や「予科練の歌」「海行かば」などを披露した。

インドネシアでは、普通、戦争(perang)といえば和蘭との独立戦争のことを指す。この戦争で80万人のインドネシア人が犠牲になっている。犠牲者は英雄(pahlawan)とされ、各地の英雄墓地に祀られている。それだけに、独立戦争に参加した兵士は、社会で尊敬されている。戦後、「英雄」がいなくなった日本では考えられない。

 
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

豊洲市場 過去の追及よりも都民の健康が先

2016-09-20 06:04:00 | 2012・1・1
豊洲市場の空洞問題は都民の一人として、こんな杜撰(ずさん)な出来事がこの世にあるのかと驚きかつ頭にきている。空洞発覚後、おっとり刀の都の水質調査では、有害なベンゼンは発見されなかったが、揮発性なので、空洞内に滞留しているかもしれないという。素人なので、よく解からないが、報道陣に公表された空洞内の水を見ただけでとても正常とは思えない。

小池知事が選挙中、都政を評して”ブラック.ボックス”といっていたが、空洞はまさにその象徴みたいだ。石原慎太郎元知事をはじめ建設当時の関係者が、ああだこうだ、と言っているが聞き苦しい。ついには、市場内に汚染が発見された時の、その調査のための重機入れだという。民放番組が模型を使ってそれを再現していたが、子供だましである。

今、都民にとって問題なのは、豊洲市場を一このまま使用しても大丈夫かどうかかである。小池知事は11月7日の築地からの移転日を一時、延期する決定をしている。これによって伴う市場関係者の損害は大きいが、あの空洞の汚水を見れば決定は正しい。一日も早く空洞問題を解決してもらいたい。

小池新知事を迎えての都議会本会議が9月28日から始まるが、当然、この問題が重要課題となるが、過去の問題は一時棚上げにして、豊洲市場の”今”の問題に集中してもらいた。市場関係者の損害もさることながら、その補償も僕らの税金から出ている。それよりも都民全体の健康にかかわる問題である。過去の知事を呼んで”言い訳”を聞いても始まらない。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

敬老の日 賀寿のしきたりのズレ

2016-09-19 05:33:42 | 2012・1・1
今日は敬老の祝日だが、数年前から”ハッピーマンデイ”が導入され、毎年祝日が移動したせいか、世間の敬老への関心が薄くなってきた感じを受ける。やはり、昔通り9月15日に固定したほうがよいのではないか。僕が住む町会では、昔のしきたりどおり9月15日に「カステラと最中」を贈ってくれた。。ただし、対象者は賀寿ではなく、70歳、75歳、80歳、85歳、90歳,95歳と5歳おきの高齢者で、今年は運よく僕は85歳であった。

わが国では、昔から賀寿の慣習があり、61歳の還暦から始まって古希(70歳)喜寿(77歳)傘寿(80歳)、米寿(88歳)卒寿(90歳)白寿(99歳)があるが、最近の超高齢化時代を反映して、時代感覚にズレが出てきた。例えば、還暦といっても、まだ働き盛りだし、古希といっても、古来希な年齢ではなくなってきた。逆に80歳の傘寿から88歳の米寿、90歳の卒寿から99歳の白寿まででは、御祝いの間隔があき過ぎる。

厚労省の調査によると、今年の全国の100歳以上の高齢者は6万5692人(9月15日調査)だという。調査を開始した昭和38年(1963年)には、たった153人というから、まさに隔世の感である。僕が親しくしている先輩にも大正3年(1914年)生まれ102歳の方が2人もいる。第一次世界大戦がはじまった年の生まれである。

昔流の賀寿にも100歳は紀寿、108歳は茶寿まであるそうだが、超高齢化時代、茶寿以上の賀寿が必用になってくるのでは。いずれにせよ長寿万歳。ただし、健康ならばの条件つきの話だが。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

お祭りの縁日 戦前と今

2016-09-18 05:10:34 | 2012・1・1
昨日と今日、わが町の”鎮守の森”のお祭りだ。朝から”ドンドンヒャララ”の笛太鼓の音は聞こえて来ないし、小遣いをせびりにきていた孫たちも成長してしまったが、何故か祭りと聞くと、80老でも心が浮き立ってくるから不思議である。

昼過ぎ、子供神輿がお神酒所を出ると聞いて、杖をつきつつ後を追い参拝してきた。わが”鎮守の森”の神様のご座すところは、まだ昔の面影が多少残っており、第一の鳥居から本殿まで200メートルほど参道があり、その両側に露店がずらりと並んでいる。

お祭りの縁日の風情は、戦前子供だった時代と同じなのだが、今一つ僕には物足りない。それは昔、1銭銅貨を握ってワクワクして買いたいと思ったものがないのだ。ハッカパイプもないし、ブリキのポンポン船もない。縁日には必ずあった海ほうずきの店も、買いたいといって親に怒られたヒヨコを売る店もない。残っていたのは金魚掬いと射的の店だけだった。

代って戦前にはなかった店を写真で紹介しよう。タコ焼き、トルコのケバブ、韓国のチジミ、国籍不明のハバネラ、イチゴ入りカキ氷、チョコバナナ、などなど。縁日も国際的になってきたものだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

北海道から届いた見事な枝豆

2016-09-17 06:24:49 | 2012・1・1

朝早く郵便局から”レターパックプラス”が届いた。現役を離れて20年余、世間からも遠くなり郵便物もすっかり少なくなってきた。さて、何事ならんんと中味をチェックしたら”枝豆”とある。小ブログで知り合った、コメンテーターの一人「頑固親父」さんからの有り難いプレゼントなのである。美味しい食べ方のレシピまで添えてある。早速、老夫婦で頂戴したが、その見事な緑の色彩、味の美味しい事。近くのスーパーで買う”栄養不良”とは違う。

頂いたメールには”今年は花の咲くころ鹿に葉と芽を食べられ丸坊主、少ししか収穫がありませんでした”とある、自家製の枝前のおすそ分けなのである。ご住所は札幌市内なのに鹿(エゾシカ?)が出没するのであろうか。退職後、冬には薪ストーブを囲み家族で団らん、自家製の野菜を栽培されて楽しんでおられる様子が,「頑固親父」のブログ「天声薪語」を拝見すると楽しめる。

加齢とともに他人の名前がすぐ出なくなったが、昔札幌に住んでいた時読んだ著名な食評論家が、北海道の最高の味は、新鮮な原材料だと評していたが、まさにその通りであう。若かった時は、それが解からず、札幌にはグルメはないと悪口を言っていたが恥ずかしい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加