昭和初年の詩人、金子光晴が著書「マレー蘭印紀行」の中でジャカルタ(当時バタビア)を訪れた際のことを書いているが”街には至る所蝙蝠(こうもり)がいる”と記している。下町の中国人街コタへ行く運河沿いのマンが.ブサールを逍遙した印象である。高層なビルなどなかったが、戦前ジャワに居住していた邦人の記録「じゃがたら閑話」によると、昭和13年-14年には、日本からの雑貨品の輸入を営むトコ.ジャパンをはじめ写真店、理髪店など91もの店があり、日本人学校もあった。
その日蘭経済通商関係も昭和16年,二次にわたっての交渉が決裂、砲火の響きが近づき、ほとんどのバタビアの日本人は本国に引き揚げたが、12月8日、宣戦布告もないのに残っていた日本人は一斉に全員逮捕され、豪州の砂漠地帯の抑留所へ送られた。
昭和17年3月10日、バタビアは無血占領された。銃後では灰田勝彦が「バタビアの夜は更けて」を歌ってヒットした。▽ バタビアの夜は更けて(佐伯孝雄作詞 清水保雄作曲) 都バタビア運河に暮れ 燃える夜空の十字星 はるか祖国よ あの日の旗が風に歓呼の声
日本のジャワ占領政策はやさしすぎるとの友軍からの批判もあったが、20年8月15日敗戦、よくよく17日インドネシアは独立した。戦後のバタビア連合軍裁判では263人が有罪、うち62人が処刑されている。3年5か月の日本の軍政は終わった。
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