ボルネオ島東岸の東カリマンタン州の首都である。名前のバリック(balik)は背後、パパン(papan)は材木という意。もとは原住民ブギス族の小さな漁港であった。1892年に石油の精製が始まり、今では石油、鉱物資源、材木などの輸出港として人口70万の大都会である。
石油をめぐる先の戦争では昭和17年(1942年)1月,開戦と同時に日本軍によって占領されたが、20年6月戦況の悪化とともにオーストラリア軍を主体とする連合軍が逆上陸、戦力の違いから日本軍は内陸部のサマリンンダへ向けて敗退、1万人近くの犠牲者が出ている。サマリンダへの敗退路は”死の街道”と呼ばれ、街道筋には戦後遺族たちが建てた慰霊碑が数多く建っている。
空港近くのマンガㇽ海岸は戦後、連合軍BC級裁判での処刑地であり、復員までの間の収容所があった場所だ。「南方方面戦没者慰霊碑」が建っている。