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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦後復活中等野球都大会で高師付属中が優勝した時代

2019-07-09 05:49:17 | 2012・1・1

今、全国で高校野球予選が花盛りだ。今朝朝刊を早々と見たら、筑波大付属が1回戦で葛飾商に4対1で敗退していた。筑波大付属は前身、東京高師付属中学(高師付属)といい、東京では歴史も古く名門である。戦後、昭和21年夏、復活した全国中等野球の東京都予選で優勝、西宮球場の全国大会でも準決勝)まで勝ち進んでいる(優勝は浪華商業)。

わが母校、攻玉社中学は都予選1回戦で、高師付属中に当たり17対6でコールド負けしている。僕はこの試合の応援に小石川(文京区)の高師付属中に駆けつけているが、球場は砂利交じりの校庭で、観客席もなかった。母校の選手はユニフォームもなく、スパイク靴の代わりに地下足袋をはいていた。キャえチャーミットもなかった気がする。参考までに、この年の高師付属中の都予選の戦績は(カッコ対戦校)2回戦10対0(早稲田実業)3回戦9対2(帝京商業)順々決勝17対8(慶応商工)、準決勝12対11(都立二中)、決勝3対2(都立一中)で、必ずしも楽勝ではなかった。

亡父の残した日記によると、母校と高師付属中との試合は7月15日だったが、敗戦から1年、中等野球は復活したとはいえ世の中は食べるのがやっとという厳しい時代であった。亡父の日記の7月後遺には「アメリカさんの厚意で7月も生き延びられた。配給の小麦粉とカン詰めがなかったら餓死していたかもしれない」とあり、7日の日記の1ページには”人参2本、キュウリ1本、配給あり、4円20銭”とある。

子供は復活した野球の応援に夢中だったが、成長期の子供を抱えて大人は生きるのに精いっぱい、大変な時代だったのである。