ノンフィクション作家中島みちさんが84歳での亡くなられた。新聞の死亡記事は”患者の立場から医療と法律の接点の問題を長年執筆された”と紹介しているが、中島みちさんには「日中戦争いまだ終わらず マレー”虐殺”の謎」(1991年 文芸春秋)という名著がある。今年4月、僕は「大東亜戦争とマレー 昭南 英領ボルネオ虐殺の真相」(朱鳥社)を出版したが、そのまえがきで、中島さんのこの著書に教わることが大であったと紹介してる。
中島さんは4年9か月に渡って現地取材をまじえて、この本を執筆、当時”無辜(むこ)の華人虐殺”として日本の新聞にも誤って報道されていたののに対して、数々の資料から、”虐殺”ではなくて第五師団の通常の緒戦にこける”マラヤ3月作戦”であることを証明した。
中島さんの舅にあたる中島太久郎中将は、マレー作戦の一翼を担った第五師団(広島)長だったが、生前、中島さんに対して”職業軍人の家族は、あれだけの人間を不幸にした戦いには一言も語ってはいけない”と語っていたそうだが、中島さんは著書のの中でこれに背くことになったが、”なんとしても火中の栗を拾わずにはいられない気持ちが著作にさせたが、今は亡き舅も夫も、私を許してくれているのではないかと思う日もある”と書かれている。そして”この世の不条理に哭き,死んでいった彼我の人々の無念、この人々苦しみと死がせめて明日の世界の礎として生かされることを祈ります”と結んでおられる。名著である、一読をお勧めする。合掌。
中島さんは4年9か月に渡って現地取材をまじえて、この本を執筆、当時”無辜(むこ)の華人虐殺”として日本の新聞にも誤って報道されていたののに対して、数々の資料から、”虐殺”ではなくて第五師団の通常の緒戦にこける”マラヤ3月作戦”であることを証明した。
中島さんの舅にあたる中島太久郎中将は、マレー作戦の一翼を担った第五師団(広島)長だったが、生前、中島さんに対して”職業軍人の家族は、あれだけの人間を不幸にした戦いには一言も語ってはいけない”と語っていたそうだが、中島さんは著書のの中でこれに背くことになったが、”なんとしても火中の栗を拾わずにはいられない気持ちが著作にさせたが、今は亡き舅も夫も、私を許してくれているのではないかと思う日もある”と書かれている。そして”この世の不条理に哭き,死んでいった彼我の人々の無念、この人々苦しみと死がせめて明日の世界の礎として生かされることを祈ります”と結んでおられる。名著である、一読をお勧めする。合掌。