昨日新宿副都心の超高層ビルの中にあるフランス料理店で友人の92歳の誕生日パーティを祝った。大学時代から60年もおつきあいを願っている旧友だが、歳は僕より一回りも上にもかかわらず元気だ。彼は戦地からの復員が遅れ、さらに戦後の学制改革の影響もあって卒業した時は32歳であった。就職難の時代で、彼は進駐軍のクラブでシェーカーを振りながら観光ガイドの資格をとって生活した。一定した収入のある会社に就職できたのは30代半ばを過ぎてからだ。そんなことも影響してか彼は生涯独身である。
数か月前、その彼から電話があった。雑談の中で最近足腰が弱り外出が面倒になってきたと珍しく弱音をはいていた。彼は都心のマンションに一人住まいで首都圏には親戚は一人もいない。もしものことがあっては大変である。この話を聞いた僕の娘がお節介にも彼の住む町の介護関係の役所に連絡をとった。正直言って、僕ら老夫婦も多額な介護保険料を支払いながら、いざ介護が必要になった時、具体的にどのような手続を取るのか知らない。案の定、超高齢者の友人は全く介護については知らなかった。
誕生パーティで聞いたところによると、友人は週に二回、無事確認をかねて介護士の訪問を受け、簡単な体操のディサービスを受けているが、口の端々には、面倒で厄介な話だということを匂わせていた。年寄りになると頑固でわがままである。その上”御上の世話になるのは恥だ”という気持ちがあるのかもしれない。杖を勧めても頑強に抵抗している彼だが、パーティ参加者の説得で、これまで通りディサビスを受ける事は承諾した。医療とは違って介護の場合は、本人の同意と手続きが必要なようだが、これを理解していない高齢者もいて、社会から孤立しているケースがあるかもしれない。
数か月前、その彼から電話があった。雑談の中で最近足腰が弱り外出が面倒になってきたと珍しく弱音をはいていた。彼は都心のマンションに一人住まいで首都圏には親戚は一人もいない。もしものことがあっては大変である。この話を聞いた僕の娘がお節介にも彼の住む町の介護関係の役所に連絡をとった。正直言って、僕ら老夫婦も多額な介護保険料を支払いながら、いざ介護が必要になった時、具体的にどのような手続を取るのか知らない。案の定、超高齢者の友人は全く介護については知らなかった。
誕生パーティで聞いたところによると、友人は週に二回、無事確認をかねて介護士の訪問を受け、簡単な体操のディサービスを受けているが、口の端々には、面倒で厄介な話だということを匂わせていた。年寄りになると頑固でわがままである。その上”御上の世話になるのは恥だ”という気持ちがあるのかもしれない。杖を勧めても頑強に抵抗している彼だが、パーティ参加者の説得で、これまで通りディサビスを受ける事は承諾した。医療とは違って介護の場合は、本人の同意と手続きが必要なようだが、これを理解していない高齢者もいて、社会から孤立しているケースがあるかもしれない。