「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

              僕の知っているシリア人

2012-06-11 06:28:19 | Weblog
シリアのアサド政権を巡る国内の騒乱は極限に近く、内戦模様になってきたようである。これまでアサド政権が完全に制圧していた首都ダマスカスにも、反対派から砲弾が撃ち込まれ始めてきた。一方、アサド派の民兵組織は依然、地方都市で住民の虐殺を続けている。国連は人道的見地から、即時虐殺を中止し、アサド大統領の退陣を要求しているが、ロシアなどの反対で足並みがそろわず、情勢は泥沼化してきた。

半世紀前の1962年、僕はシリアを取材で訪れたことがある。シリアは1958年から3年間ほど当時のエジプト.ナセル政権との間で「アラブ連合共和国」を合邦していたが、それが失敗した直後であった。翌63年、シリアはバアス党のク―データが発生しているが、これを指導した一人が現在のバッシャール.アサド大統領の父親,ハーフェーズ前大統領であった。ハーフェーズはロシア(ソ連)で教育を受けた飛行隊長であった。

時代は下って1986年、僕はJICAの集団技術研修で1年間、S君と知り合った。集団研修というのは途上国からの研修員が一緒に研修するもので、僕が面倒を見た年は、シリア、エジプト、スーダン、ザイール,インドネシア、フィリッピンの6か国であった。1年の長期にわたって、違った国の若者が時には寝食を共にしての研修は大変である。この年の研修での最大の問題点はシリアのS君が仲間から爪はじきにあったことであった。

S君は6人のうちで最年長で技術も一番高かったが、それを鼻にかけるため、いつも仲間外れにされた。中でも同じアラブの回教徒のエジプト、スーダンとの仲が悪かった。S君は毎週金曜日のイスラム礼拝にも参加していなかったようだ。僕との関係はよく、日本人がチグリス.ユーフラテス文明のことを知っているのに驚いたと得意げに話していたことが今でも思い出される。

ダマスカスは4000年の歴史を持つ世界遺産の街である。戦乱が拡大して街が破壊されないよう、一日も早く騒乱が収まることを望む。