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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

阪神淡路大震災で授かった能力(29)

2012-03-21 | 「アズミックアート物語」21~ その後
「2000年問題」や「ノストルダムスの予言」、それから「フォトンベルト」、そして近年は「アセンション」や「2012年マヤの予言」など、一時騒がれましたが、正直な話、私自身も随分振り回されました。

情報の洪水の中でどれがほんとうなのか?誰の言っていることが正しいのか?を見分けることは、誰にとっても本当に難しいことと思います。
しかも私の場合はその「お先棒を担ぐ」ような?ことを仕事を通してやっていたので、「もしも自分の伝えることが間違っていたらどうしよう?」と真剣に悩んだ時もありました。
(今でも「確信」を持っているとは言い難いですが、、)

でも最近は、これは「情報を受け取る側の問題」(選択)という面もあると気が付いてきたので、自分の「責任」について思い悩むことが少し減ってきました。

「エクトン」(リチャード・ラビンさん)のチャネリングを受けた時に、「あなたは例えば人に炊飯器を手渡すと、その人が上手に炊けたかどうかをずっと気にして、次に会った時にどうだった?と尋ねて、使い方を教えようとしてしまうところがあるようですが、そういうことは必要ではありません。その人がうまく炊けるかどうかはその人にまかせることです。あなたの役目はその炊飯器をその人に渡すところまでです」と言われたのです。
このアドバイスは私の「肩の荷を下ろす」ことに非常に役立ってくれました。

また、別のカウンセラーのあるセミナーを受けた時に、「もしあなたが熱々の茹でたジャガイモを投げられたらどうしますか?」という問いかけがあり、(私はそれまでどういうことも拒否してはいけないとなぜか思っていたので)「私ならたぶんそのジャガイモを受け止めて何とかしてそれを落とさないように持っているだろうな」と、(てのひらが熱くて火傷しそうで困りながらも)それを(相手に投げ返すことや床に投げ捨てることなど思いもつかず)ずっと持ち続ける自分の姿が浮かびました。

そしてその時初めて「そうか、もし相手からそれを貰ったとしてもずっとそれを持ち続ける必要は無いし、そうしなくてもいいんだ!」とハッと気が付いたのです。
(それがどんなものであれ、自分が「それを選ぶかどうか」は自分自身で決められるのです)

また、ある本で野良犬の話を読んだ時もびっくりしました。野良犬を殴ったら犬は逃げていく。片方の手に棍棒を持ちながら犬に向かって「オイ、コラッ、コッチへ来んか!」「言うことを聞かないと殴るぞ!」といくら怒鳴っても、犬は決して寄り付かないし、それどころかそんな言葉など聞く前にすでに一目散に逃げ出していることだろう、、と。

ところが、人はなぜか自分がいじめられていてもそのことに気が付かなかったり、それどころかその相手に気に入られようとさえするのは不思議です。

最近読んだ『ヘルプ』(キャサリン・ストケット著/集英社文庫 上下)という本に出て来る5人の子持ちの黒人女性(ヘルプ)のミニーも、いつも夫に殴られながらもなぜか離れられなかったのですが、「自分のことを語る」ことで最後にやっと気づくのです。

この本は「人類が初めて月に第一歩を踏み入れた時代」や、その後の「ケネディー大統領が暗殺された時代」を背景に、ミシシッピー州のある町を舞台にして描かれた、「ヘルプ」として働く黒人メイドたちの差別問題を主に取り上げたベストセラー小説です。
そして白人女性同士の間にもあるさまざまな差別や軋轢、人間関係の葛藤、また価値観の違いに苦しむ親子関係や古い恋愛パターン(男女差別)なども取り上げていて、その人間観察は実に深く鋭いものがあります。
(まるで現在自分の周りで起こっていることであるかのように共感してしまいます)

中でもシーリアという女性はヒリーという女性リーダーに気に入られようと必死になるのですが、自分が嫌われていることにも気が付かず、いじめにあっている(ヒリーを怖れるグループの仲間からも無視されている)ことにも気が付かなかったりするのです。
いわゆる全く「空気が読めない」(ちょっと鈍感な?)タイプの女性なのですが、読んでいて思わず感情移入してしまいました。

どうしてここまで相手に気に入られようとするのだろう?と信じられないぐらいですが、それはまたかつての自分の姿とも重なって見えました。
「スピリチュアルな会」だからといって、そういうことが無いとは言えませんし、精神的なリーダーから見捨てられたり、無視されるのはその人を尊敬している場合はなおさらつらいものがあることでしょう、、。

もしもそういうことがあった場合は、それを「熱々のじゃがいも」だと思えば、別にそれをそのまま受け止める必要は無く、「もっと自分に合うよいものを探す」ことも出来るのです。火傷から身を守るためにそれを床に投げ捨てたとしてもオッケー!なのです。

この私も(恥ずかしながら)これまでどれだけたくさんの人の「追っかけ」をしてきたことでしょうか。
誰かが「答え」を持っているに違いないと、いつも外側ばかりを見ていました。
そしてそのような人たちから言われたことは素直に実践していました。

2000年問題の時は、どれだけたくさんの水やら、炭やらを用意したことでしょうか。その時に準備した卓上カセットコンロなどまだ一度も出番の無いまま、予備用の大量のプロパンガスボンベと共に未だに押し入れを独占しています。

最初は「あんな人の言うことを真に受けてしまって、、」と相手のせいにしたり、自分を責めたりしていましたが、今では「笑い話」になりました。それもまた自分の「選択」だったのだと思えるようになり、自分のアホさ加減もゆるせるようになりました。

おかげで現在このような話をブログに書けるし、「話の種」も尽きることが無く、しっかり「元を取っている」のかも?
今でも「失敗」?は尽きませんが、それもみんな「体験」 と思えば気が楽です。

これからもいろんなことに関心を持って、興味を引かれるものにはとりあえず参加してみて、その結果を自分の中で咀嚼し、自分なりの分析と視点でシェアしていけたらと思っています。
(それを役立てるかどうかは読んだ人の「選択」ということで、、)

「ヘルプ」は映画になり、封切りは今月末 なのでさっそく観に行こうと楽しみにしています。

写真は『マドンナ』です。




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