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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

シェアすることの意味☆(「新しい絵」補足コメント)

2015-05-20 | 新しい絵
いつもご愛読ありがとうございます☆

18日に初めてUPした「フラワーメッセージアート」(仮称)について、
少し補足致します。


今回「新しい絵」を描こうと思った時に、その素材を特に「花」に限定したわけでは無く、
もしかしたら「鳥」でも、あるいは「その人を守護している見えない存在」等を描いてもよかったのですが、

たまたまかつてのHPで「花からの伝言」というシリーズが好評だったので
(現在のブログの中にも「花のつぶやき」というカテゴリーを設けていますが)、
まずは「花の絵」から描きたいと思ったのです。


「花の絵」と言えば、例えばジョージア・オキーフとか、三岸節子、堀文子さんなどが有名で、私も昔からとっても尊敬している憧れの画家たちです。

またモネの睡蓮とか、ゴッホの向日葵とか、あるいはシャガールの絵の中にもいつも花が出て来ます。


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最近知った中では、例えば写真でもほおじろえいいちさんの「エネルギー・フラワー・フォト」という素晴らしい花の写真があります。

彼の話(メルマガ)によれば、人を感動させるような絵画作品というのは
「ガイアのポジティブなエネルギー・フィールド」へとつなぐポータル
なのだそうです。

そしてほおじろえいいちさんもそのようなエネルギーを持った花の写真作品を開発されたのだそうです。

「なるほど~」と大変納得がいきました。


つまり「花は宇宙のポータル(扉)」になっているということなんですね!

そういえば伊豆に住んでいた頃、下田の水仙畑で撮った写真に
偶然そのような「光の扉」☆ が(まるで異次元世界への通路のように)写っていたことを思い出しました♪


「テレパスアート」のHPトップに私の描いた「薔薇」の花の絵を掲載していますが、
この薔薇の花を描いた時に、その花の中心が宇宙と繋がっていると感じたこともありました。

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そういうわけで、前置きが大変長くなりましたが、「新しい花の絵シリーズ」の
第一番目の絵では、実際のエニシダを目の前にしながら描いたのです。

Fさんの絵を描く時になぜエニシダの花に決めたのか?ということについては、
花の方がFさんを選んだのか? それともFさんの魂がエニシダを選んだのか?

果たしてどちらなのかはわかりませんが、我家の庭に咲いている花の中から
「一人オーリングテスト」をして決めさせていただきました。


それから、下記はその絵の解説の補足ですが、

自分を制限するかのような「黒い輪」というのは、実際にそういうもの(障害など)がそこに具体的に存在するわけではなく(例えば、物理的、現実的に三次元的には固い存在感があるとしても)、それは「本人がそのように感じているに過ぎない」ということなのです。

ですから、私が何度も「氣づき」ということをお伝えしているのは、「そういうものが実際に存在しているのでは無いことに氣づく」(そのモノやコトに注目する)
というよりも、むしろ「自分自身がそのことに氣付いたことに氣づく」という、
自分の側の意識変化のことを指しているのです。


だからこそ、その黒い色を絵の中で別の色に変化させることも出来、それを変えることの出来る「私」という主体に視点を移せばいいということなのです。

実態の無いものを追うのでは無く、「自分の中心に目を移せばそこには涌き出る創造の泉がある」のだということです。

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補足のつもりがかえって大変難しい、わけのわからない感じになってしまったかも?
しれませんが、ここに今回この絵をシェアすることの意味もまたあるのです♪

例えば今世の中が大変窮屈な制限の多いものになっていきつつあるようで、
政治的、経済的に、あるいは天変地変など、私たちを取り囲む環境が大きく変化しようとしているふうで、大勢の人が何となくの不安感とか、緊張とか、怖れを感じているかもしれません。

そしてそれが「黒い輪」のようにじわじわと私たちの行動範囲を狭め、法律など
さまざまな縛りが強く、きつくなっているようにも思えるかもしれません。


けれどもそのような周囲の「黒い輪っか」が私たちを締め付けてくればくるほど、
私たちにとっては(ロケットのように)「自分の中心から発信するものが生まれてくる」
ということではないでしょうか!?

ほんとうに自分はどうなりたいのか?
どういう世界や社会を望んでいるのか?
真の願いは何なのか?

そういうことへの希求、真実を悟ることへの強い欲求もまた生まれてくるのです。


ですから、単に個人の絵であっても、その絵をシェアすることによって、
そこから得ることの出来るものは大変大きい
のではないかと私は思っていますが、

果たして皆さまはどう感じられるでしょうか?

例えば尽きることの無いきれいな水(飲むことの出来る水)の流れている清らかな川があったとして、

そこからコップ一杯の水を汲んで飲む人もいれば、バケツ一杯汲む人もいたり、あるいは
その川の中に入っていく人もいるかもしれませんが、川の水全部を独り占めするのではなく、
そこに流れる川の水をみんなで共有することは、本当に素晴らしいことではないでしょうか。

そこからそれぞれの人がそれぞれに必要なだけの水を汲んで
それぞれの役に立てることが出来ればいいな・・・と願っています。



最後まで読んでいただきありがとうございました。

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