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「 見えるもの、その先に 」(ヒルマ・アフ・クリントの世界) 映画感想♪

2022-05-27 | 映画の話題
先日、友人から突然映画のチラシが送られて来て、

「宇宙画」のような抽象画を描いたスウェーデンの女性画家のドキュメント映画
ということで、さっそく観てきました。



1862年にソルナにあるカールベリ城に生まれたヒルマ・アフ・クリント。

彼女は貴族の父親の理解と庇護に恵まれ、
1880年 ストックホルムの技術学校で肖像画を学び、
1882年にスウェーデン王立美術院に入学。

1887年 優秀な成績で卒業後、美術院からストックホルムの中心街に
アトリエを与えられ、肖像画、風景画家として活動。

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ヘレナ・P・ブラヴァツキーなどが神智学協会を設立した
この時代は、「交霊会」がどこでも普通に行われていたようで、

ヒルマの妹が10歳で亡くなったこともあり、彼女も1879年に参加し始める。

1912年にはルドルフ・シュタイナーが神智学協会を脱退し、
人智学協会を設立。


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何よりも注目すべきことは、

彼女はカンディンスキーやモンドリアンらが抽象画を描き発表するよりも前、

1906年「神殿のための絵画」を描き始め、
その中ですでに独自の抽象画を描いていたのです!!

1908年には同シリーズの111点もの作品を完成。
(同じく1912年から1915年にかけて82点の絵画を描く)

これらの絵画は「自分の死後20年は作品を公開してはならない」
という本人の遺言により封印される。

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1908年 ストックホルムでルドルフ・シュタイナーに初めて会い、
1920年に人智学協会に加入。

以後、1920〜1930年にかけてしばしばスイスのドルナッハを訪れて滞在。
ゲーテの「色彩論」や人智学を学んでいます。

(1925年 シュタイナー死去)

1944年 ヒルマは交通事故の後遺症により82歳になる直前に死去。
    (同年にカンディンスキー、モンドリアンも死去)


2013年 ストックホルム近代美術館で展覧会開催される。
2018年 グッゲンハイム美術館で展覧会開催される。

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下記は、この映画のパンフレットに寄稿されているキュレーターの
荒木夏実さん(東京藝術大学准教授)のコラムからの抜粋、引用です。

ー ヒルマはなぜ「幸運な」アーティストなのか ー 
の中から一部を転載させていただきました。

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この時代、ヨーロッパのブルジョワの間で交霊術は流行しており、
神智学の影響を受けた芸術家は多い。

作家のアーサー・コナン・ドイルや詩人のw.B.イェイツ、さらに
カンディンスキーやモンドリアンもそうであった。

ヒルマは志を共にする女性画家4人と共に「ザ・ファイブ」という
グループを結成し、交霊術による「お告げ」をもとにした絵画を制作し始める。

そして1906年、「天啓」を受けたヒルマは、人の一生の四段階を表現した10点の
大作「The Ten Largest 」シリーズを描く。

「大きな力が私を通して絵を描いた」と述べているヒルマは、
これを皮切りに世界の真理を探求する抽象表現に没頭し、
大量の絵画を制作し始める。

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1908年、神智学協会のドイツ語部門の責任者だったルドルフ・シュタイナーが
ストックホルムを訪れた際に、ヒルマは自分の作品を彼に見せている。

しかし、霊性を重んじながらも降霊術などに依存するアプローチには懐疑的だったシュタイナーは、

「霊媒師のように描くべきではない」と彼女の作品を否定したのだ。

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(中略)

「スケッチを描き終えるたびに人間、動物、植物、鉱物、創造物全体に対する理解が
より明確になっていく。
私は解放され、限られた意識を超えたと感じた。」

ヒルマが没頭した霊的世界は、彼女を世俗的しがらみから解放し、
森羅万象の有り様を抽象表現を通して示すことを可能にした。

同時代の芸術家たちとの競争や、地位や名声を得ることは、
もはや彼女の興味の範疇ではなかっただろう。

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(以上、抜粋、引用終了)


あまりにも巨大で大量のヒルマの絵画作品を目の前にして
(映画の画面を通して伝わってくる圧倒的なパワーやその質的な高さ、深さに)
声も出ないぐらい。。



観終わってもすぐには席を立てないぐらい感動しました。。


と言うと、ちょっと大袈裟過ぎかもしれません。。

実は途中、ところどころウトウトしたりして(汗)。。

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あまりにも刺激が凄過ぎると、正直、頭では理解が追い付かず、

帰宅後2度も仮眠したぐらいです。。


そして(余談ですが)、その晩はなんと家族でスウェーデンで暮らしている夢を見ました。

元夫がなぜか教師として働いていて、私よりも上手に英語やスウェーデン語を話していて、
思春期の年齢の娘はぐっすり眠っていたりして。。

さっぱり意味不明の夢でした。

もしかしたらこれは私のもう一つの別世界、「パラレルワールド」なのかも。。


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美術学院で正式に絵画を習った彼女の描く植物や鳥などの美しさ、描写の正確さ、
その技術の素晴らしさには、何度転生してもとてもとても永遠に追いつけそうも無く、、

「私は私の拙さのままでいくしか仕方無いなぁ〜」とため息でした。

草間彌生さんの描く絵のイメージにもどこか似たところがあるような。。


いずれにしても、私の生まれる数年前までは生きていた北欧の偉大な画家の存在に
とても大きな力と勇氣をもらった氣がします。

そしてせめて彼女の享年を超えてさらに元氣で長生きしたいものだと思いました。

そんな歳まで生きたら、彼女の到達した霊的地点にほんの少しでも近づけるでしょうか。。


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長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

下記は宇宙画『ストゥープ』です。
(ポストカード第2集 所収)



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