先日落語家の笑福亭仁鶴さんが亡くなられ、あの明るい笑顔と元氣な声が大好きだったので、ほんとうにさみしく残念。
けれどもコロナで亡くなったのではなくて、よかったなと思いました。
ブログでは私はコロナのことなど、ほとんど取り上げることすらしたくないので、
この記事も書くかどうか迷ったのですが。
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夜の8時に、夕食も済ませ、さぁ、これからもう一仕事♪と思っていた矢先、
身内からの電話。
いろんな話の合間にやっぱりコロナワクチンの話が出て、接種を勧められ、
「私はアレルギーがあるから・・」と言うと、
お医者さんに相談すると、薄めて?2回に分けて接種してくれたり、
一回の接種だけで済むようにしてくれたりするかも。。云々
なんでそんなにしつこく勧めるかというと、最近親戚に曾孫が生まれたので
私がその赤ちゃんを抱っこすることもあるから心配だと言うのです。
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この少し前にはやはり身内からのメールで、私のことが心配だから
「やっぱりワクチンは受けて欲しい・・」と、これで2回目!のしつこい勧誘メール。
「あんたはいつからワクチン会社の回し者になったのかい!?」と思わず言いたく
なったぐらい。。
ワクチンよりも身内の分裂や断絶の方がよっぽどコワイと思う私。
「ワクチン接種を受ける、受けないで差別したり、不利益があってはいけない」と国も言いながら、
今やどんどん子どもたちにまで接種が始まっています。
私は、ワクチンそのものが嫌いなのはもちろん、それよりももっとイヤなのは、
こんな「同調圧力」で「自由」や「個人の権利」が失われていくこと。
そんなふうにして戦争もいつの間にか始まってしまったのですから。。
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ワクチンの効果がどうこう、とか、そういった問題では無くて、
「受けないのはまるでワガママだと言わんばかりの風潮」とか、
「自分は受けたく無いけれど、人に迷惑をかけたく無いから、、」とか。。
いずれにしても、これは重大なる「人権侵害問題」だと私は感じています。
「信仰の自由」と同じく、ワクチンを受ける自由もあれば、受けない自由もあって当然のこと。
受けなければ〇〇出来ないとか、受けると〇〇の特典やポイントがもらえるとか。
どっちにしても何かヘンな話です。
ごくシンプルに考えてみてください。
どんなに豪華な食事を出されても、それが好きで無いのなら、あるいは今は食べたくないのなら、断っていいのです。(自分にその「選択権」があるのです。。)
誰かに何かに忖度して、自分を無理に相手や周囲に合わせる必要は無いのです。
イヤなものはイヤ、嫌いなモノは嫌いで、それでいいではないですか。。
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いのちが大切なことは当たり前のことだけど、それよりももっと大切なのは、
「魂の自由と尊厳」です。
コロナでなくても、人はいつかは必ず誰もが死ぬのですから。
けれども魂は永遠に生きているのです。
自分の魂に背いてまでも肉体をながらえさせるよりも、
例えいつか身体は滅びても、魂の自由を守りたい私です。
子どもの頃に、家族の前でお尻を剥き出しにされ、無理やり注射をされた時の
屈辱感! それは私が病氣だったからとはいえ、猛烈に泣いて抵抗して
イヤだと言っても、子どもゆえに拒否出来なかったけれど、
今の私なら、例え一億円を目の前に積まれても、決して自分のしたく無いことは
したく無いです。
なぜって答えは簡単。
一億円で引き換えたいのち(肉体)はやがていつか消えても、魂は永遠に残るからです。
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もっと賢い智恵のある人は「受けたよ」と(もちろん!というすまし顔で)言いながら、
実はワクチン接種を受けていない人だってたくさんいるに違いありません。。
仁鶴さんならどう言うかなぁ〜
どんなんかなぁ〜、 仁鶴さん(笑)
8月も残り少なくなり、セミの鳴き声も少し小さくなった氣のする今日この頃、
マスクしている人も心なしか減って来たような??
というわけで、私のマスクもそろそろ「セミマスク」に。。
(何のこっちゃ!?と思われたかもしれませんが、「セミにもマスクが要るような
世の中になるかも。。」と、セミがマスクをしている姿を想像したりしていたら、
こんな小咄がふと浮かんで来たのでした。。)
笑ってもらえなくても、なんくるないさぁ〜(笑)
さぁ〜て、おあとがよろしいようで。。