今でもたまにありますが、ヒーリングアート(2004年秋からはテレパスアートに呼称変更)を描き始めた頃、絵を申し込まれたご本人よりも、その人を紹介してくれた人の影響の方が画面に大きく出て来る場合がよくありました。
それでもどちらがその絵の主人公かということは、描く立場の私にはよくわかりますのでそのご本人を間違えることは無いのですが、その人が如何に他人(この場合は絵の紹介者)の影響を強く受けているかということが、その画面からひしひしと感じられました。
また、ひどい場合はご本人が表画面に全く登場せず裏画面に廻ってしまったり、また自然の景色だけで登場人物が周囲に融け込んでしまってどこにもご本人が見当たらないというような絵(この場合は少し意味が違いますが)もありました。
この話は以前にも書いたかと思いますが、一人の人を十年以上に渡って何度も(何十枚も)描き続けることもあれば、また別の人の場合にはたった一枚の絵を仕上げるまでに一度に何十枚も描くということもあります。
その人自身が画面にすんなり姿を現さないという場合、これまでの私の経験では何か特定の宗教の影響?などを受けていることも多い気がします。何枚も描き直してようやく「素」のその人自身が現れて来るのです。
あるいは何枚もの「仮面」をかぶっていたりすることもあります。
時には画面に「神棚」が描かれたこともありました。またそのような場合には描く側の私もその不思議な、一種独特のエネルギー?の影響を受けてしまうというような経験をしたこともあります。
その背後に巨大な「霊団」?のような存在を感じたこともありました。
また、今現在では無く、「過去生」においてそのような宗教との関わりが深かった人も多いように思います。
そしてそのような人の場合、自分自身に対してなぜか「罪悪感」のようなものを持っていたり、自分のしたいことをするのにためらいがあったりして、囚われや思い込み、こだわりからの解放が必要なこともあるようです。
さらにもっと複雑な場合は、例えば親子であるとか、誰かの姿と入れ替わって、まるでさもこれは「自分のことではなくあなたのことだからね!」というようなふりをして?実は「真の自分の姿」を相手の反映を通して(合わせ鏡のように?)見ようとすることもあるようです。
親子だけでは無く、嫁・姑とか、夫婦の場合とかにも、そういう「逆」映しバージョン!?がけっこうある気がします。そのまますんなり見たり、聞いたりするのは何かはばかられるというか、都合の良く無いことがあるのかもしれません。(直接的には言いにくい話をする時に「例え話」などを利用して諭したりするように、、)
ですから、「ほら、絵にもこう出て来ているじゃない、やっぱり。だから、、」等々と、相手を(絵を「自己正当化」のための手段にして?)人を責めたりするのでなく、相手の絵を眺めながら、「これはもしかしたら私のことでもあるのかもしれない」というふうに(秘かに)思っていただけたら、嬉しいです。
そして自分の絵も相手に見せて、「私にはこんな癖やパターンがあるらしいのよね。あなたにはそんなところは無い?」とお互いに「対話」することで、双方に有益な情報交換が出来るといいですね!
いずれにしても一旦そのような何かの宗教やある特定の考え方や思想に捉えられてしまうと、「本来の自分に戻る」のはなかなか難しいのかもしれません。
だから絵ではけっこう極端に、あるいは大袈裟なぐらいにそのような面が強調されて(まるで「写楽」の版画のように)描かれる場合も多いのですが、それはもしかしたら早めの「警告」(予防)!?でもあるのかもしれません。
最近私自身の周辺でもそのようなことがあり、身内からの依頼で描いてみると意外に本人は愉しく幸せに元気に暮らしているらしいことがわかりました。
特に「反社会的」な団体でも無く、何かの法律に触れるようなこともしていないのであれば、彼女自身がそれでよければ、「いいじゃないの、幸せならば、、」ということかもしれませんが、でも本来の「その人らしさ」からはほど遠く、顔がすっかり「別人」になってしまっていました。
言わば「個性」の無いロボット状態というか、、。
逃げ出そうとすれば今ならまだ逃げられる状態にあることが絵を通して感じられましたが、本人がすでに「酩酊状態」というか、「マインドコントロール」されてしまっている?ようなので、たとえその組織に「隙」があったとしても、そこから逃げ出したり、仲間から離れて行動するということが出来にくいようでした。
本人自身がいつか気づいて「自覚」し、意識を取り戻してくれることをただ祈るばかりです。
……………………………………………………………………………………………………………
上記の話とも関連するのですが、本日は「MAYA新年」(マヤ暦2013年)。
マヤの暦はすでに昨秋の10月28日?で終わっているという人もいれば、まだこれから(今年の12月21日で終わる)?という人もいて、一体どれが、あるいは何が正しい情報なのか?私自身詳しい研究をしているわけでは無いので、よくわかりません。
けれどもこれまでよくわからないままに本を読んだり、専門家や研究者の話を鵜呑みにしたり、また他者にもいい加減なことを伝えたりしてきたことに対して、今とても責任を感じています。
それは絵にたまたまそのことが出て来た場合に、説明する必要があったからということもありますが、以前は私も興味を持っていて、いろいろ自分でも調べたり、そのようなカレンダー(13の月の暦)を使ったりしていました。
それがある時ふと「もういいか」と、まるで憑物が落ちたようにストップしてしまったことがありました。
面倒なことが苦手で「めんどくさがりや」の私ですが、まずどんなことも自分で試してみたり、使ってみたりするという「体験派」であるのは、ある意味良い面もあるかもしれません。
それで最近はすっかり忘れきっていたのですが、このところ急に大掃除を始めたり、身辺整理をしたり、何となく普段と違う感じで片付けをしたりしていて、「あっ、そうか。そういうことだったのか!」と、また改めて「MAYA新年」を意識したのでした。
伊豆に住んでいた頃は、ある時期まで何年かそのようにしてちゃんと新年のお祈りもしたりして過ごしていたので、何と言うか無意識のうちに「体が覚えていた」?のかもしれません。
ここ何年かはそのようなカレンダーも使わず、MAYA暦のことは自分ではすっかり忘れたと思っていたのですが、ほんとにびっくり!でした。
(宗教ではありませんが)これももしかしたらある種の「マインドコントロール」だったのかも!?
自分では「自分が好きで選んでやっていること」と思い込んでいても、テレビのコマーシャルやいろいろな情報の影響を受けていたり、知らない間に誰かに何かにコントロールされていることも多いのかもしれませんね。
もしもテレパスアートがそのような「気付き」のお手伝いをすることが出来たなら幸いです。
下記の絵はアズミックアートの宇宙画『ニューエイジ』です。
無断転載およびコピーはご遠慮ください。
それでもどちらがその絵の主人公かということは、描く立場の私にはよくわかりますのでそのご本人を間違えることは無いのですが、その人が如何に他人(この場合は絵の紹介者)の影響を強く受けているかということが、その画面からひしひしと感じられました。
また、ひどい場合はご本人が表画面に全く登場せず裏画面に廻ってしまったり、また自然の景色だけで登場人物が周囲に融け込んでしまってどこにもご本人が見当たらないというような絵(この場合は少し意味が違いますが)もありました。
この話は以前にも書いたかと思いますが、一人の人を十年以上に渡って何度も(何十枚も)描き続けることもあれば、また別の人の場合にはたった一枚の絵を仕上げるまでに一度に何十枚も描くということもあります。
その人自身が画面にすんなり姿を現さないという場合、これまでの私の経験では何か特定の宗教の影響?などを受けていることも多い気がします。何枚も描き直してようやく「素」のその人自身が現れて来るのです。
あるいは何枚もの「仮面」をかぶっていたりすることもあります。
時には画面に「神棚」が描かれたこともありました。またそのような場合には描く側の私もその不思議な、一種独特のエネルギー?の影響を受けてしまうというような経験をしたこともあります。
その背後に巨大な「霊団」?のような存在を感じたこともありました。
また、今現在では無く、「過去生」においてそのような宗教との関わりが深かった人も多いように思います。
そしてそのような人の場合、自分自身に対してなぜか「罪悪感」のようなものを持っていたり、自分のしたいことをするのにためらいがあったりして、囚われや思い込み、こだわりからの解放が必要なこともあるようです。
さらにもっと複雑な場合は、例えば親子であるとか、誰かの姿と入れ替わって、まるでさもこれは「自分のことではなくあなたのことだからね!」というようなふりをして?実は「真の自分の姿」を相手の反映を通して(合わせ鏡のように?)見ようとすることもあるようです。
親子だけでは無く、嫁・姑とか、夫婦の場合とかにも、そういう「逆」映しバージョン!?がけっこうある気がします。そのまますんなり見たり、聞いたりするのは何かはばかられるというか、都合の良く無いことがあるのかもしれません。(直接的には言いにくい話をする時に「例え話」などを利用して諭したりするように、、)
ですから、「ほら、絵にもこう出て来ているじゃない、やっぱり。だから、、」等々と、相手を(絵を「自己正当化」のための手段にして?)人を責めたりするのでなく、相手の絵を眺めながら、「これはもしかしたら私のことでもあるのかもしれない」というふうに(秘かに)思っていただけたら、嬉しいです。
そして自分の絵も相手に見せて、「私にはこんな癖やパターンがあるらしいのよね。あなたにはそんなところは無い?」とお互いに「対話」することで、双方に有益な情報交換が出来るといいですね!
いずれにしても一旦そのような何かの宗教やある特定の考え方や思想に捉えられてしまうと、「本来の自分に戻る」のはなかなか難しいのかもしれません。
だから絵ではけっこう極端に、あるいは大袈裟なぐらいにそのような面が強調されて(まるで「写楽」の版画のように)描かれる場合も多いのですが、それはもしかしたら早めの「警告」(予防)!?でもあるのかもしれません。
最近私自身の周辺でもそのようなことがあり、身内からの依頼で描いてみると意外に本人は愉しく幸せに元気に暮らしているらしいことがわかりました。
特に「反社会的」な団体でも無く、何かの法律に触れるようなこともしていないのであれば、彼女自身がそれでよければ、「いいじゃないの、幸せならば、、」ということかもしれませんが、でも本来の「その人らしさ」からはほど遠く、顔がすっかり「別人」になってしまっていました。
言わば「個性」の無いロボット状態というか、、。
逃げ出そうとすれば今ならまだ逃げられる状態にあることが絵を通して感じられましたが、本人がすでに「酩酊状態」というか、「マインドコントロール」されてしまっている?ようなので、たとえその組織に「隙」があったとしても、そこから逃げ出したり、仲間から離れて行動するということが出来にくいようでした。
本人自身がいつか気づいて「自覚」し、意識を取り戻してくれることをただ祈るばかりです。
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上記の話とも関連するのですが、本日は「MAYA新年」(マヤ暦2013年)。
マヤの暦はすでに昨秋の10月28日?で終わっているという人もいれば、まだこれから(今年の12月21日で終わる)?という人もいて、一体どれが、あるいは何が正しい情報なのか?私自身詳しい研究をしているわけでは無いので、よくわかりません。
けれどもこれまでよくわからないままに本を読んだり、専門家や研究者の話を鵜呑みにしたり、また他者にもいい加減なことを伝えたりしてきたことに対して、今とても責任を感じています。
それは絵にたまたまそのことが出て来た場合に、説明する必要があったからということもありますが、以前は私も興味を持っていて、いろいろ自分でも調べたり、そのようなカレンダー(13の月の暦)を使ったりしていました。
それがある時ふと「もういいか」と、まるで憑物が落ちたようにストップしてしまったことがありました。
面倒なことが苦手で「めんどくさがりや」の私ですが、まずどんなことも自分で試してみたり、使ってみたりするという「体験派」であるのは、ある意味良い面もあるかもしれません。
それで最近はすっかり忘れきっていたのですが、このところ急に大掃除を始めたり、身辺整理をしたり、何となく普段と違う感じで片付けをしたりしていて、「あっ、そうか。そういうことだったのか!」と、また改めて「MAYA新年」を意識したのでした。
伊豆に住んでいた頃は、ある時期まで何年かそのようにしてちゃんと新年のお祈りもしたりして過ごしていたので、何と言うか無意識のうちに「体が覚えていた」?のかもしれません。
ここ何年かはそのようなカレンダーも使わず、MAYA暦のことは自分ではすっかり忘れたと思っていたのですが、ほんとにびっくり!でした。
(宗教ではありませんが)これももしかしたらある種の「マインドコントロール」だったのかも!?
自分では「自分が好きで選んでやっていること」と思い込んでいても、テレビのコマーシャルやいろいろな情報の影響を受けていたり、知らない間に誰かに何かにコントロールされていることも多いのかもしれませんね。
もしもテレパスアートがそのような「気付き」のお手伝いをすることが出来たなら幸いです。
下記の絵はアズミックアートの宇宙画『ニューエイジ』です。
無断転載およびコピーはご遠慮ください。