あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

死後も意識はあり続ける 米医師が新著『死の消去』を発刊

2013-03-12 00:56:40 | 日記

ザ・リバティーweb  より

生と死の境界線が変わるかもしれない。

数々の臨死体験を通して死後の生命の研究をしているサム・パーニア医師がこのほど、『Erasing Death(死の消去)』という本を出版した。同氏は、ニューヨークのストーニー・ブルック大学医学部の医師で救急蘇生法の指導者。臨床死と判断された患者を蘇生させた例を紹介するなどし、「生と死の境界線を書き改める科学」として話題となっている。

 

本誌2006年10月号の記事「『幽体離脱』を科学する」では、死後の意識の存在を考察するパーニア医師の実験が紹介されている。そこでは、1年間の調査の結果、院内で65人の患者が心停止に陥って蘇生し、うち7人が臨死体験を記憶していた。

 

その後の研究でも、死後、蘇生した患者たちから、燦然と光るトンネルや、暖かく圧倒的な愛される感覚など共通した体験談が報告された。一般的に科学では、 これらは脳への酸素不足による幻覚とされるが、パーニア医師は、心停止後も意識が残っている証拠だと信じている。つまり、「臨床死は絶対的なものではな く、まだ生還可能なのではないか」について研究してきた。

 

パーニア医師は、そこで遺体を冷やすという方法を紹介している。代謝を落として必要な酸素を少なくしながら、細胞内に増える毒素も抑えるというもので、実際、心停止した妊婦がお腹の赤ちゃんとともに蘇生した例がある。脳の損傷というリスクもあるが、パーニア医師は、タイタニック号から冷たい海に投げ出された人々も、現在なら、多くを救えただろうと言う。

 

肉体とそれに宿る魂という宗教的な真実から見ると、死後、肉体と魂をつなぐ霊子線(れいしせん)が切れない限りは魂が肉体に戻ってくる可能性がある。通常、霊子線が切れるのに24時間ぐらいかかり、切れると二度と魂が肉体に戻ることはない。埋葬後、蘇生したという例が昔からあり、19世紀のヨーロッパでもたびたび「埋葬を急ぐな」という議論があった。

パーニア医師の研究は、医学の側から死についての真実に迫るものだ。(純)

 

【関連記事】

2006年10月号記事 「幽体離脱」を科学する

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=381

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福島の放射能について冷静に分析すべき

2013-03-12 00:15:28 | 日記

全然問題のない汚染なのに、必要以上に恐れるから復興が進みません。

 

理想国家日本の条件 さんより転載です。

 

福島の放射能について冷静に分析すべき

2013/3/11(月)
 
江頭 俊満 氏 ブログ転載
http://blogs.yahoo.co.jp/tosimitu1962/14081645.html

 
福島の復興に関しては、とにかく、「広島も長崎も、戦後、人はいなく
なっていない」ということを考えて再建することが大事でしょう。
 
「政府が勝手に設定した避難区域や汚染区域などが、本当に正確かどうか」
という点を、もう少し考えないといけないはずです。
 
福島の原発事故は、原爆が落ちたのとは違います。原発事故で亡くなった人
は、本当に数えるほどしかいないので、被害としては、
ずっとずっと小さいものです。
 
外国のほうでは、「福島の原発事故は、スリーマイル島の原発事故ぐらい
大きい」などというような情報が流れたこともありますが、現実には、
放射線で人が死ぬ被害は出ていません。
 
 
今、マスコミが流しているのは、ほとんど、「もしかしたら、将来は、
放射線を浴びたことによって発ガンするかもしれない」というような
憶測記事ばかりです。
 
しかし、「ほとんどの人は、健康診断で放射線を浴びている」という
ことを考えると、それは、おかしな話なのです。私たちは病院に行って、
そのくらいの量の放射線を浴びていますし、ガン治療のために放射線科
があり、実際にガンを治すために放射線を使っているのです。
 
 
このへんを、もう少し冷静に分析しなければいけません。
放射線は、いずれ時間とともに消えていくものであることは間違い
ありません。

すでに、広島・長崎が証明していることなのです。
 
被災者の方は、つらいでしょうが、広島・長崎は、その後、きちんと
復興しているので、「将来的な心配はない。実は、もっと被害は少ないのだ」
と思ってもいいはずです。
 
たとえ、自分に放射線がかかっても、「これは、必ず、体にとってよい
方向に働く。毎日、ラドン温泉に浸かっているようなものだ」と考えれば、
よくなるはずです。
 
 
むしろ、「恐怖心」のほうが、人を早く死なせてしまうのです。

毎年毎年、必ず、復興は進んでいきます。共に頑張ってまいりましょう。

 


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関連

福島の風評被害、2年過ぎてもなお…“八重頼み”切実

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/accident/635427/

2013/03/05

「『リスクのあるところに好んでいかない』
『万が一のとき、責任は誰が取るのか』。
学校やPTAに福島県の安全・安心を訴えても、こういわれると返事に
窮してしまう」

福島県・会津東山温泉の関係者は打ち明ける。福島第1原発事故以来、
福島県を苦しめる風評被害は約2年が過ぎても収まらない。
原発から約100キロ離れた会津若松市も同じだ。

 震災発生後の平成23年4月から12月までの期間、県外からの
団体客は前年比1割まで落ち込んだ。その後回復の兆しもあるが
、学校や保護者の不安は根強い。そんな状況の打開に期待されているのが、
幕末の会津に生まれた新島八重の生涯を描くNHK大河ドラマ「八重の桜」だ。

 県内あちこちに「八重のふるさと福島」をPRするのぼりが立つ。
スタンプラリーはもちろん、会津若松でたくましく生きる「現代の八重」
との交流を楽しむツアーや八重役の綾瀬はるかさん(27)が命名した
新種のサクラを鶴ケ城に映し出す演出と関連イベントも多彩だ。

 1月中旬に鶴ケ城そばにオープンした「大河ドラマ館」では八重が
使ったスペンサー銃の模擬射撃が人気で、9日目に入館者は1万人を突破した。
同番組の県内経済への波及効果は、約113億円と試算される
(日銀福島支店調べ)。


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免疫抑制剤なしの移植技術で臨床試験成功 拒絶反応の本当の理由は臓器の「意識」

2013-03-12 00:09:36 | 日記

臓器を単なる部品と考える唯物論者には、

臓器に意識があるとは信じられないであろう。

ザ・リバティーweb  より

肝臓移植後の拒絶反応を抑える新しい手法を使った臨床試験を北海道大と順天堂大のチームが行い、患者4人が免疫抑制剤に頼らずに生活できるようになった、 と報じられている。新手法は生体肝移植を受けた患者計10人に対して行い、ほかの6人も薬の量を減らすことができたという。

 

拒絶反応は移植された臓器を患者の免疫細胞のリンパ球が「異物」として認識し、攻撃することで起きる。新手法は、患者と提供者双方のリンパ球とある抗体を混合して培養する。その結果、患者のリンパ球が提供者の臓器を「異物」とは認識しなくなるのだという。

 

生体肝移植にしても脳死臓器移植にしても、拒絶反応から逃れることはできない。そのため移植を受けた患者は拒絶反応を抑えるための薬を服用し続けなければならない現状がある。免疫抑制剤なしで拒絶反応を抑えることができれば、患者の負担は大幅に軽減されることになり朗報といえよう。

 

ただ、このやり方が医療として確立されたとしても、拒絶反応の問題がすべて解消することはないだろう。臓器は単なる物質ではなく、肉体全体と同じように、 臓器としての「意識」がある。他人の肉体に移植されると、臓器の「意識」が自分の肉体とは異なることに気づいて反応を示す。それが拒絶反応だ。心臓が移植された場合は、人格まで変わることがあるといわれている。

幸福の科学総裁・大川隆法著『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版)には、こう書かれている。

「本人が自分の死を承認していない段階において、心臓を他の人の体に移植すると、ここで、霊的にはいわゆる『憑依現象』というものが起きます。その人の魂は、自分の心臓に吸い寄せられるようにして、新しい肉体に移動してしまい、憑依現象が起こるのです。これは移植を受けた人の魂と、その人に憑依した魂とが、共存状態に入ることを意味しています。その結果、拒絶反応などが起きるのです」

 

今回の北海道大と順天堂大の臨床試験の成功は、拒絶反応を抑える薬を飲み続けている人たちを救うことができるかもしれない成果で、注目に値する。ただ、拒絶反応は臓器の「意識」が起こすものだけに、医学的な対処だけで解決できるわけではない。宗教的な真実を医師も患者も知ることが何よりも大切だ。最終的には、他の人の臓器を必要としない再生医療による救命医療の確立が待たれている。(静)

 

【関連記事】

2004年6月号記事 死んだらどうなる!? 『永遠の生命の世界』緊急発刊特集 

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=54

 

【参考書籍】

幸福の科学出版HP 『心と体のほんとうの関係。』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=124

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韓国人元労働者、「個人の請求権は消滅していないから、日本企業を訴えてやったニダ!」

2013-03-12 00:00:10 | 日記

解決済みであっても、むしり取る法律を作ってでも蒸し返す民度の低い朝鮮人です。

 

保守への覚醒 さんより転載です。

 



☆韓国人元労働者 賠償求め提訴


日本の戦後補償を巡り、韓国の最高裁判所が「個人の請求権は消滅していない」とする判断を示したことを受け、太平洋戦争中に徴用されて日本の製鉄所で働かされた韓国の元労働者らが11日、日本企業を相手取って損害賠償を求める訴えをソウルで起こしました。


訴えを起こしたのは、1942年から45年にかけて徴用されて日本国内の製鉄所で働かされたという韓国の元労働者ら8人で、新日鉄住金を相手取り、合わせて8億ウォン(およそ7000万円)の損害賠償を求めています。


原告の1人が11日、ソウルで記者会見したあと、支援している弁護士とソウルの地方裁判所に訴状を提出しました。韓国に対する日本の戦後補償を巡っては、1965年に日本と韓国が国交を樹立した日韓基本条約とともに結ばれた請求権協定で完全に解決したとされました。


その後、日本で起こされた裁判でも個人の請求権は消滅したという判断が最高裁判所で確定しています。ところが、韓国の最高裁判所は去年5月、「個人の請求権は消滅していない」とする初めての判断を示し、これを受けて今回の訴えが起こされました。


韓国では、これ以外にも三菱重工業の工場に動員されたという元労働者らの裁判もあり、韓国の最高裁の判断に基づいて日本企業の責任を問う動きが広がりを見せており、両国の新たな摩擦につながる可能性もあります。


韓国人元労働者 賠償求め提訴 NHK








日韓両国は、日韓基本条約に伴い、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」を定めた。



この協定において日本は韓国に対し、朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産(GHQ調べで53億ドル)の全てを放棄するとともに、約11億ドルの無償資金と借款を援助すること、韓国は対日請求権を全て放棄することに合意した。



いわゆる、両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題全てが、「完全かつ最終的に解決された」ことを1965年に確認したのである。ところが盧武鉉・李明博の政権で個人補償の蒸し返し要求が繰り返されているのである。



さらに、韓国司法は法治国家としての冷静な判断機能を完璧に失い、・慰安婦問題 ・日本企業の徴用問題 ・サハリン残留韓国人問題 ・韓国人被爆者問題 などは協定に記される個人補償には含まれ無いと決め付ける司法判断が続いている。



そして、犯罪者引き渡し協定の不履行や、国際法上あり得ない盗難文化財の返却保留問題などで不当な判断を繰り返し、反日無罪一色の無法地帯と化しているのだ。



そんな朝鮮人に悲しいかな日本は深く関わってしまった。朝鮮人はとことん欲深い民族だ。国自体がとんでもない詐欺師国家であり、国民は強請り・集りの常習犯である。



むろん日本は「未来志向の友好関係が重要」「補償問題は完全かつ最終的に解決済み」を淡々と繰り返すのみである。

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正しく歴史を学ぶ「通化大虐殺事件」

2013-03-12 00:00:10 | 日記

虐殺した事実は隠し、虐殺されたウソを広める支那人や朝鮮人です。

日本人の感覚では人間ではないですね。

幸福メンタルクリニック さんより転載です。

イメージ 1
 鞍山の昭和製鋼所(PD) 通化からは東に約250キロほどのところ
通化と鞍山の間には満州族の自治区がいくつかある
 
平沼赳夫氏をサポートする会より転載
 

「通化大虐殺事件」満州史


日本人が大虐殺された歴史は抹殺されました。

昭 和21年(1946年)2月3日に支那共産党に満州国通化省通化市は支那共産党軍に占領されていましたが、中華民国政府の要請に呼応した日本人が蜂起しま した。しかし、計画は事前に露見していました。ろくな武器を持っていなかった蜂起軍は変電所、支那共産党司令部、公安局を襲撃しましたが、共産党軍の重火 器によりあえなく敗退しました。このとき、1月10日に日本人の有力者が逮捕され投獄されていたのを奪還にも行っていますが、軽機関銃で撃ち殺され全員戦 死したどころか、獄舎にも向けて銃撃したので、獄舎にいた140名も全員殺害されました。

 
その後、共産党軍は事件に関係したものだけでなく、関係しないものまで全員逮捕したので3000人にもなったといいます。零下20度近い獄舎、憲兵隊跡、 公安局、県大隊などへ死の行進をさせました。獄舎の8畳ぐらいのところに100人ぐらい詰め込み、5日間立ち尽くしになり、水も飲めません。気が狂って叫 ぶ人が出ると「うるさい」と窓から弾が飛びます。

5日目から尋問が始まりますが、尋問の前に殴りつけて白状を迫り、倒れると外に放り出されて凍死するものも出ました。死刑になったもの、凍死したもの、拷 問によって死んだものはトラックに積んで凍結している揮川に投げ捨てられました。逮捕された留守宅は女性や子供ばかりで、朝鮮人部隊が家宅捜索として掠奪 し、女性を陵辱しました。自殺した女性もいます。

 

満州製鉄林業課のイイヅカ氏

「となりの教室から、調べられている人の悲鳴が聞こえてくる。板の間に正座させられて、事件のことを知っているだろうと聞かれる。知らないと答えると、木 刀で容赦なく打ち据えられる。拷問に耐えかねて、二階の便所から逃げ出した人がいた。ところが、一緒に便所に行っていた人まで、お前が逃がしたのだろうと いわれて僕らの見ている前で撃ち殺された」

通化にいた上坪隆(RKB毎日放送)

「男は無差別に次から次へ銃殺される。銃殺された日本人の衣服を剥ぎ取るために待ち構えていた中国人が、ドラを鳴らしながらワーッと群がってくる。丸裸に された遺体は凍てついた土手を滑り台のように滑って凍った川につきおとされる。川床にはかちかちになった死体がごろごろ転がっていた」

次のような証言もあります。

「中国共産党の本拠地である延安から派遣された若い裁判官の前で、台の上に日本人が立たされる。満州時代の罪状を民衆に問う。黒山の野次馬の中から『俺達 を酷使した、俺達を殴った』という声が上がる。裁判長が『どうする』と問うと、『打死!打死!(殺せ殺せ)』と民衆が叫び、これで裁判は終わり。その日本 人は背中に『南無阿弥陀仏』と書かれ、馬に乗せられて市内引き回しの上、河原に連れて行かれて次々と銃殺された」

この事件の戦死者は厚生省援護局の資料では約300名で事件後の死者は1200名となっています。大虐殺を行ったのは朝鮮人部隊がほとんどで、共産党軍主力は通化を離れて作戦展開しており、司令部はこの虐殺を知って銃殺中止命令を出したようです。

通化の日本人はこの年の夏の終わりにようやく引き揚げることができました。この年(昭和21年)の暮れに中華民国政府軍が通化を奪還すると事件犠牲者の慰霊祭が行われました。昭和22年(1947年)には支那共産党軍が通化を再び占領しました。

通化事件の遺族は昭和27年(1952年)に遺族会を設立し、昭和30年(1955年)以降、毎年2月3日に靖国神社で慰霊祭を行っています。


■参考文献■

「通化事件」松原一枝著

「愛新覚羅浩の生涯」渡辺みどり著

「少年は見た 通化事件の真実」佐藤和明著

WikiPedia「通化事件」
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