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《雑記》『白い巨塔』研究(その9)

2006-07-11 05:32:11 | 『白い巨塔』研究
◎『白い巨塔』におけると学閥と閨閥(7)

「ですが、次期教授の呼び声の高い助教授が、ストレートに教授に昇格するとは、必ずしもきまっていませんからね、つい最近では、あの第三内科の教授の場合だって、そうじゃありませんか、呼び声の高かった本学出身の助教授が駄目で、京都の洛北大学系から来たじゃあありませんか」
 佃が事実を突きつけるように云うと、
(中略)
「先生もほんとうにそうお考えですか、それで安心しました、僕たち医局員は、この際、財前助教授が教授になり、金井講師が助教授になられることが、教室のために一番よいことだと思っていますよ」
 勢い込むように云うと、
「いや、俺など、まだ助教授なんて柄じゃないよ、第一、助教授なら、筆頭講師の南先生の方が順序だし、適任だろう」
 と云いながらも、金井の眼に佃の言葉を肯定する笑いが奔るのを、佃は見逃さなかった。(pp.127~128)

 今津は、第二外科の主任教授であったが、六年前の教授選挙の時、東の強力な後押しで、危うく学外からの移入教授を阻止し、助教授から教授に格上げになったのであった。それだけに今もって、東に非常な恩義を感じ、一般に大学病院の第一外科と第二外科というのは、互いに競争意識が激しく、仲の悪いのが通例であったが、東が主宰する第一外科と、今津が主宰する第二外科は、この通例を破って非常に協力的であった。(p.132)

 浪速大学は純血主義のようにみえても、結構移入教授(あるいはその動き)も多いようですね。

 鍋島外科病院の院長である鍋島貫治は、財前より十年先輩の第一外科出身の外科医で、市会議員の肩書きを持ち、その方の役職も忙しく飛び廻らなければならなかったから、難しい手術の時は、何時も財前に手術を依頼して来ていたのであった。(p.142)

(財前)「そうなんですよ、最初、僕も半信半疑だったんですが、今日、自分の眼ではっきりと東教授の顔色を見て、これは確かだと思い、僕もよっぽど東教授に嫌われたものだと、がっくり来てしまいましたよ、ここへ手術に来るのも、案外、先が短いかもしれません、外から教授が入ると、僕は和歌山大学か、奈良大学あたりへ教授として出されてしまいますからね」
(中略)
(鍋島)「何? 東都大学系――、そうすると、二代も続いて東都大学にやられるというわけか、そんなことは断じて許せん、わしだけやない、第一外科出身で他大学へ行っている者も、開業している者も、東都大学出身の教授が二代も続くなど全く聞き捨てならん、だいたい東都大学などというのは、国立大学の中でも権力主義の権化のようなところで、浪速大学のような在野精神に満ちているところとは、根本的に相容れぬものがある」(p.143)

 教授選に向けて、だんだんと役者が揃ってきました。

※画像は新潮文庫版第2巻

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