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《雑記》『白い巨塔』研究(その7)

2006-07-01 06:31:06 | 『白い巨塔』研究
◎『白い巨塔』におけると学閥と閨閥(5)

(教授夫人たちの集まりであるくれない会で)
「ほら、この二月に停年退官なすった第三内科の石山教授、あの方はほんとうにお気の毒でございましたわね、ご自分はもちろんのこと、周囲の方々も、当然、鉄道病院の院長になられるものとばかり思っておりましたら、どなたかが手を廻されて、廻り廻って運輸大臣の佐藤万治さんの鶴の一声で、土壇場で駄目になってしまって、それから慌てて、大阪市民病院や、研究所などにまで手を廻されたのが、全部駄目で、とうとうあまり有名でもない会社の顧問医ということで、僅かな捨扶持を戴いておられるそうでございますわ、在官中教授にまでなりながら、あんなのを拝見致しますと、私の方も、あと四年で停年退官でございますけれど、とても、安心などしておられませんわ」(p.88)

 文部次官の原と、東とは同県の兵庫県の出身で、しかも原の方が大分、後輩であったが、同じ東都大学出身という関係から、今度の浪速大学附属病院の新館建設の文部省関係の陳情や事務手続を円滑に運んでくれた相手であった。(p.109)

「実は、厚生省の公衆衛生局長をしている僕の友人にずっと働きかけ、彼も骨惜しみなくやってくれたのですが、何分、国立関西病院は歴代、内科の院長という妙な不文律のようなものがあって、その上、ちょうど東さんと同じ時期に、大阪市立医科大学第二内科の角川教授も退官されるのですが、この人が東さんより先に国立関西病院を狙い、厚生省関係の局長クラスを大部分押さえて、既に相当な効果をあげてしまっている現状なんですよ」
(中略)
「ですが、もう一つの来春、完成の運びで新設中の近畿労災病院の方は、うまく行っていますよ、あの方は、医系議員を通してやっているのです、つまり、医師出身で医師会を地盤にして出ている医系議員は、驚くほど鉄道病院や遞信病院、労災病院などの最高人事に実力を持っているのですよ、(中略)
 いかにも、荒川大臣を助けて、日教組と闘って来た辣腕家らしいきれを見せたものの云い方であった。(p.113)

東は、既に原が政界入りを決意し、そのために新館増設の裏面工作に力を貸し、その上さらに自分の退官後の行先に奔走してくれ、その代り、彼が衆議院選挙に出る時、関西における東の患者や医者関係の地盤を利用しようとしている腹づもりを読み取っていた。鵜飼は、新館増設を次期学長選への実績に利用し、東自身は、その功績によって間違いなく名誉教授になり、その肩書によって、よりよい条件で退官後の行先を得ようともくろんであいる。いわば、三人三様、互いに自分の利得のために画策し、そのために新館増設に力を尽くしているのであった。(pp.114~115)

 何もかも、人と人との繋がりによって動き、それが実力よりも大きな働きをする不条理な世の中だと、不快になりながらも、なお原に頼らなければならぬかと思うと、東は今さらながら、国立大学の教授といっても、現職であってこその教授で、停年退官を迎える教授の力の無さを感じた。なまじ医学者であり、国立大学の教授であるために、そこらの商社の役員のように傍系会社へ自分を売りに廻るわけにもいかず、そうかといって黙っていても向うから頼んで来るような二流の地方大学の学長や、地方都市の市民病院長になるぐらいなら、いささかの恒産があるのを幸いに、悠悠自適する方がましだとも考えた。(p.115)

 文中にある「荒川大臣」とは、1960年~63年まで文部大臣をつとめた荒木万寿夫がのことでしょう。

※画像は浪速大学附属病院(笑)。本当は大阪大学附属病院です。『白い巨塔』の当時は大阪・中之島にありましたが、現在は吹田キャンパスへ移転しています。

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