●〔81〕小谷野敦『すばらしき愚民社会』新潮社 2004(2004.12.30読了)
・いわゆる大衆社会論かと思っていましたが、それだけでなく様々な問題について論じてありました。引用・言及している書物は非常に多岐にわたっており、著者のめくるめく博識さを感じました。
・バカをはっきりとバカと言えることは大事なことだと思いますが、常に「ΓΝΩΘΙ ΣΑΥΤΟΝ(汝自らを知れ)」と己に問い、場合によっては「無知の知」を自覚することも大切だと思います。
現在の大衆社会が、それまでのものとは異なるのは、以前は「バカが大学へ入っている」という程度で済んでいたものが、「バカが意見を言うようになった」点である。(p.109)
・著者はインターネット上の言論に批判的ですが、このブログもまさに「バカが意見を言うようになった」ものになるんでしょうか。
・「たとえば、いま、評論のような書物の価値を購入前に確認しようと思ったら、活字メディアよりアマゾンでの読者レビューを参考にしたほうが信用できる。」(p.110)とありますが、この本の読者レビューを見てみると……。
・宇佐美寛の『大学の授業』東信堂(1999)に次のような文章があります。
私はこのような学生による授業評価という方法には、かなり批判的である。(中略)今の学生にはそんなことをする資格が無い。評価するほど成長・成熟している人間ではない。評価させると「自分にはこの授業を評価する能力・資格が有るのだ。」という誤った思い上がりを生じさせる。(p.139)
宇佐美寛は千葉大学名誉教授(教育学)です。
・呉智英は「覚悟を持った嫌われ者 小谷野敦『すばらしき愚民社会』」(『波』2004年9月号)で次のように述べています。
書名の『すばらしき愚民社会』は、むろん、オルダス・ハックスレーの逆ユートピア小説『すばらしき新世界』から取られている。『すばらしき新世界』という題名は、むろん、シェイクスピアの『嵐』の中のミランダの科白から取られている。これぐらいのことは、知識人なら一般教養としてむろん知っていなければならないし、東京大学など一流大学の英文科の学生なら、自分の専攻分野のことだから、むろん知っているはずである。
ハックスレーの『すばらしき新世界』までは知っていましたが、さらにその出典がシェイクスピアにあることは知りませんでした。
・ちなみに、今年大ヒットしたセカチュー(「世界の中心で、愛をさけぶ」)の題名の出典(?)はハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハヤカワ文庫)ですが、果たしてどれだけの人がこのことを知っているのでしょうか。