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《雑記》『白い巨塔』研究(その13)

2006-07-21 21:18:18 | 『白い巨塔』研究
◎『白い巨塔』におけると学閥と閨閥(11)
(承前)
 『学閥支配の医学』の「第3章 学閥のいま」では、大学別の学閥地図も載っています。

「完全な独立」とは教授のポストの五十%以上を自校の卒業生で占める場合。「ほぼ独立」とは自校の卒業生が三十五%から四十九%、ほかの大学よりは多い場合。「傘下」は五十%以上が学閥校に占められている場合。「ほぼ傘下」は三十五%から四十九%が学閥校に占められている場合。「影響下」とは十五%から三十四%が学閥校に占められている場合。(p.132)

・京都大学医学部閥
  傘下
   関西医科大学
  ほぼ傘下
   滋賀医科大学
  影響下
   福井医科大学
   三重大学
   近畿大学
   島根医科大学
   香川医科大学
・大阪大学医学部閥
  傘下
   兵庫医科大学
  ほぼ傘下
   愛媛大学
  影響下
   近畿大学
(pp.136~137)

 以上のことから、『白い巨塔』における下記のような学閥関係は現在では一部を除いて成り立たないことがわかります。ただし、ウィキペディアの奈良県立医科大学の項目には「長年大阪大学の影響が強かったが、現在の学長吉田修は京都大学出身であり、特定の他大学の影響は少なくなりつつある。」という件があります。

【浪速大学医学部第一外科教授選における学閥関係】
 浪速大学系-奈良大学・和歌山大学・徳島大学
 洛北大学系-三重大学
 九州大学系-広島大学・岡山大学

 以上からわかることは、旧制六医大は旧帝大の支配からは脱したが、その旧制六医大は、千葉大を除き新設医大を、東大が行ったのと同じようにほぼ傘下、あるいはその影響下に置いていることである。同様に旧帝大は新設医大の多くに教授を送り込み、しっかり学閥を作り上げている。(pp.141,145)

 『白い巨塔』が描かれた1960年代前半には、後発の医大あるいは医学部はまだ自校出身教授が育っていなかったので、現在よりはっきりと学閥が存在したのでしょう。

※画像は奈良県立医科大学附属病院

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