
●〔23〕平林直哉『クラシック名盤名演奏100』青弓社 2009 (2010.03.02読了)
○内容紹介
面白く読めました。平林直哉らしいストレートな批評でした。
○ムラヴィンスキー
○栴檀は双葉より芳し
○内容紹介
名曲の聴き比べや指揮者によるピッチの違いなどに思いをはせ、名演奏との邂逅を楽しむ。クラシックとともに生きてきた盤鬼がさまざまなアーティストから厳選し、エピソードも交えながら名盤名演奏を紹介する渾身のガイド。
面白く読めました。平林直哉らしいストレートな批評でした。
○ムラヴィンスキー
音楽業界内にもムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの来日公演を聴いた人間はいるが、そのなかの何人かが集まると、ほとんど必ずと言っていいほど話題になることがある。それは、「過去すべての演奏会のなかで、最も感動したものは何か?」ということだ。そして全員の答えは「ムラヴィンスキーとレニングラード・フィル」と一致する。しかも、それもカルロス・クライバーとか、チェリビダッケとか、マタチッチとか、他を完全に引き離しての、ダントツの一位なのである。実体験がない人にとっては、いま名前をあげた指揮者をCDで聴き比べてみても、ムラヴィンスキーだけが突出していると感じる人はそれほど多くはないように思える。ところが、実演で打ちのめされた人たちは、いまでも熱病にうなされたようにムラヴィンスキーから受けたショックを語りたがるし、私のようにそのすごさをなんとか活字で伝えようとする愚行を繰り返すおめでたい者もいるのだ。(p.18)
○栴檀は双葉より芳し
私の生でのカラヤン初体験は一九七九年一月だった。オーケストラはもちろんベルリン・フィル。ところが、会場が巨大すぎた(東京都杉並区にある普門館)。席は舞台から遠すぎて妾はなんだかわからなかったが、気取りに気取ったカラヤンの態度は十分に感じ取れた。終演後、女性が花束を持ってカラヤンの近くまで行ったが、カラヤンはなぜだか直接花束を受け取ろうとはしなかった。このときの模様を当時大学生だった私は「音楽の友」(一九七九年十二月号、音楽之友社)の読者コーナーに投稿した。以下、当時の文章の一部である。「終演後舞台へ若い女性が三人だったか、花束をカラヤンに渡そうとしていた。受け取らずにいるので、気づいていないと思っていたコンサートマスターやほかの奏者たちが、このことをカラヤンにさしずしたのだが、カラヤンははっきりと首を横に振り、引っ込んでしまった。一瞬唖然とし、いまのカラヤンの態度をどう解釈すべきか考え込んだ。倣慢とするか、あるいは聴衆に媚びないと賛美するのか。ついにこの日の演奏会ではこれといった収穫はなく、高い入場料への不満と、このホールを選んだ不可解さと、終演後のカラヤンの態度のことが交錯し、なんとなく吹っ切れない気持ちで私は普門館をあとにした」
この文章が掲載されたあと、やはりきましたね、お手紙が。ある手紙には差出人のところに「私はカラヤンのために八万円使った女の子です」とだけ書いてあった。消印は確か九州の方だったので、八万円とは往復の交通費、宿泊費、チケット代の総計だろう。内容は詳しく覚えていないが、確か「あんたなんか死んでしまいなさい」といった口調だったと思う。もう一通は住所も名前もきちんと明記され、「あのようなことを書いてはいけません」とやんわりと諭すような感じだった。そのほか、あと二、三通あったような気がしたが、差出人は全員女性だった。(pp.122~123)