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《雑記》『白い巨塔』研究(その6)

2006-06-27 05:41:45 | 『白い巨塔』研究
◎『白い巨塔』におけると学閥と閨閥(4)

 それは、この班会議の班長であり、東都大学の第二外科の主任教授である船尾に対する多分に儀礼的な意味を含めた聞き方であった。班会議は、文部省から支出された研究費によって、大学の臨床、基礎、研究機関の教授たちが、横の連絡を取りながら、共通のテーマを研究する集りで、班長には文部省との交渉に実力を持つ政治力のある教授がなり、その実力によって、年間三百万円ぐらいの研究費を握って、各メンバーに配分することになっていた。それだけに、班会議のメンバーたちには、何かにつけて班長である船尾をたて、船尾に憚るような雰囲気があった。
 しかし、東からみれば、船尾の存在は、微妙な存在であった。自分より十一歳齢下の船尾は、かつて東都大学で東の兄弟子であった瀬川教授の門下であったが、現在、東都大学の教授であり、班会議の班長をしているから、東としては、一目おかねばならぬ微妙な関係にあった。(p.78)

 東は自分のために空けられた席についてみると、別に席順などきめていないと云っている席が、実によく出来ていることに気附いた。班長である船尾と東の席の次は、旧帝国大学の国立大学、その次は旧単科医科大学の官立大学、新制大学というような順で席が並び、同一大学から二人出席している場合は、卒業年次の早い者が上席に着くという順になっていた。(p.80)

「ええ、来年の三月がいよいよ私の停年退官の時期にあたっているので、私のあとを継いで、うちの第一外科を切って廻せるような人物がほしいのですよ。」
 東は、一気にそう云った。船尾は怪訝そうに東の顔を見、
「おたくには、あの財前君という食道外科で定評のある、腕のたつ助教授がちゃんといるじゃありませんか、うちの教室のいる連中は、東都大学以外は大学じゃないなどと考えているほど、東都大学絶対主義の連中が多いのですが、おたくの財前君には、さすがに意識してますよ、(中略)
「ええ、そりあ、心あたりはないことはありませんが、ただ東都大学の系列下の大学ならともかく、浪速大学出身者で固められている当の浪速大学へ、東都大学出身の者を出すことは、まるで、姑、小姑いじめの多いところへ、一人だけ可愛い弟子を婿入りさせるようなものですからね、これがちょっと可哀そうで――」
(中略)
「なるほど、可愛い弟子につまらぬ苦労をさせたくないというお考えですか、しかし、その点はご心配なく、教室の姑、小姑にいじめられる苦労は、私自身が十六年前にいやというほど経験しましたが、今度、私のあとへ来る人は、既に私が切り拓き、地均らしした地盤へ来るのですから、そんな苦労はありませんよ。それに船尾さん、あなただって、正直なところ、この話は悪くない話でしょう、あなたの時代に、東都大学のあなたの門下生を浪速大学へ送り込んでおくということは、あなた自身のジッツ(ポスト)の拡張になり、それだけ、主任教授としての船尾さんの勢力が拡大されることじゃないですか」(p.83)

(船尾教授よりの手紙)
 その際、ご依頼を受けました東教授の後任候補者の人選の件は、非常に延引致しておりましたが、(中略)別紙同封の如く、現新潟大学教授亀井慶一君と、現金沢大学教授菊川昇君の二名を推薦致します。
(中略)
 学歴と職歴は、両者よく似たもので、どちらも地方の名門中学校から旧制第一高等学校理科へ入学、さらに東都大学医学部へ進学し、卒業後、教室に残って副手、助手、講師を経て、ともに昭和三十二年に東都大学医学部講師から、地方国立大学医学部の教授に就任している四十三歳の少壮教授であった。(p.107)

 東都大学の船尾教授は学問的業績もあり、政治力もある、まさに学会の大ボス中の大ボスです。この船尾の推薦で金沢大学の菊川教授が財前の対抗馬になるわけです。しかし、いかに東都大学出身とはいえ、講師から助教授を経ずにいきなり教授になるものでしょうかねえ。
 劇場版「白い巨塔」では、滝沢修が船尾教授を演じていますが、その重厚な演技が印象に残っています。

※画像は劇場版「白い巨塔」ポスター。

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