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ΓΝΩΘΙ ΣΑΥΤΟΝ-購書&購盤日記-

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《person》黒田寛一

2006-12-13 09:17:35 | person
 少し古い話ですが、今年の8月に黒田寛一が死去しました。なんといってもその業界(←どの業界だ)では伝説の人なので、新左翼ウォッチャー(?)の私としては何やら感慨深いものがありました。
<元革マル最高幹部>黒田寛一氏死亡 公安当局の調べで確認
 過激派「革マル派」の最高指導者、黒田寛一元議長(78)が今年6月下旬に埼玉県内の病院で死亡していたことが、公安当局の調べで分かった。黒田元議長は同派が結成された1963年から最高幹部で議長を務めた。96年の政治集会で、議長を退くことが表明されたが、その後も最高指導者として組織を指揮していたという。
(毎日新聞) - 2006年8月10日12時10分更新

革マル派・黒田前議長が死去 辞任後も強い影響力
 過激派「革マル派」の実質的指導者である黒田寛一前議長(78)が6月下旬に埼玉県内の病院で死亡していたことが関係者の話で10日分かった。
 黒田前議長は昭和38年に日本革命的共産主義者同盟(革共同)が分裂して革マル派が結成されて以来議長を務めた。平成8年に辞任後も強い影響力を及ぼしていた。
 昭和42年以降は集会などに姿を見せず、演説は録音テープで流したり代読されたとされ、消息は謎に包まれていた。
産経新聞(2006/08/10 11:47)

 最近、早稲田文学が出しているフリーペーパー『WB』Vol.06_2006_09に面白い記事があったので紹介します。
 黒田を麻原とアナロジーしてみるのは、黒田が旧制高校以来の網野善彦(歴史学者)の友人であり、その網野は中沢新一の叔父さんであり、中沢新一の『虹の階梯』(平河出版社)はオウム真理教の必読文献で……といった連想ゲームによるばかりではない。(すが秀実「たのしい革命(6)」)

 黒田寛一と網野善彦、意外なつながりでした。

※画像は黒田寛一。結構貴重では。
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《person》阿部謹也

2006-09-12 06:05:12 | person
訃報 阿部謹也さん71歳=一橋大元学長
 ドイツ中世史、西洋社会史研究の第一人者で、「世間」をキーワードに独自の日本人論を展開した一橋大元学長の阿部謹也(あべ・きんや)さんが4日、急性心不全のため東京都新宿区の病院で亡くなった。71歳。葬儀は近親者で行った。後日、お別れの会を開く。自宅は非公表。喪主は妻晨子(あさこ)さん。
 東京都生まれ。一橋大大学院博士課程修了。小樽商科大教授、東京経済大教授を経て、79年、一橋大教授に。92~98年に同大学長。99~02年、共立女子大学長を務めた。一橋大名誉教授。
 中学時代のカトリック修道院での生活をきっかけに西欧中世社会史に関心を持ち、69年から2年間ドイツに留学。グリム童話で有名なハーメルンの笛吹き男の伝承の研究を通じて下層市民の生活と社会的差別に視野を広げ、西洋市民社会の深奥に迫った74年の「ハーメルンの笛吹き男」は大きな反響を呼んだ。
 主な著書に「中世を旅する人びと」(サントリー学芸賞)「中世の窓から」(大佛次郎賞)「『世間』とは何か」など。
 97~98年国立大学協会会長。97年に紫綬褒章を受章した。
(毎日新聞 2006年9月11日10時8分更)

 阿部謹也氏の講演を聞いたことがあります。1997年3月21日(金)、場所は福山市北部市民センターでした。学区の人権啓発講演会で、演題は「『世間』と差別」。新聞でその記事を見つけて行ったのですが、入場は無料でゴミ袋までくれました(参加賞?)。内容は演題にあるとおり、お得意の「世間」論でしたが、大変に面白いものでした。しかし、たかだか学区の講演会に、当時一橋大学学長であった阿部謹也氏ほどの大物ががなぜ来たのか。今でも謎です。
 阿部謹也氏の著書は何冊か持っているのですが、読了したのは『自分のなかに歴史をよむ』ちくまプリマーブックス(1988)のみ。これを機会に、と思うのですが……。
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《person》鈴々舎馬風

2006-06-28 05:55:29 | person

落語協会新会長に馬風さん 円歌さんは最高顧問に
 社団法人落語協会(東京)は26日の総会で、会長を5期10年間務めた三遊亭円歌さん(74)に代わる新会長に、副会長の鈴々舎馬風さん(66)を選出した。円歌さんは最高顧問に就いた。
 馬風さんは「空いているホールや映画館などに話を持ち掛けて落語家の活躍する場所を増やしたい」と抱負を述べた。
 馬風さんは千葉県出身。柳家小さん門下で、1973年に真打ち昇進、76年に10代目鈴々舎馬風を襲名した。
(共同通信) - 2006年6月26日

 鈴々舎馬風がついに落語協会の会長になりましたね。「会長への道」が実現したわけです。シャレがマジになりました。芸風からすれば傍流でしょうが、圓楽や談志が協会から出て、志ん朝が死んだため、棚ボタでなった感もあります。芸の力や知名度からすれば、小三治がなってしかるべきかとも思うのですが、本人がなりたがらないんでしょうかね。小さんの襲名も断ったし。
 何か悪口ばっかり書いてますが、実は私、鈴々舎馬風は好きな落語家の一人です。著書の『会長への道』小学館(1996)も読んでます。
 2ちゃんねるでは、春風亭小朝、五街道雲助が役員を辞退したことが話題になってましたが、何かウラがあるんでしょうか。素人考えでは、いずれ小朝が会長になると思うんですけど。

 馬風一門にはホームページがあります。
※馬風一門ドットコム『鈴々舎馬風一門の長屋』はこちらです。
 一門ラインアップを見てみると、柳家三語楼がいます。御存知のように三語楼は五代目柳家小さんの実子で、この秋には六代目小さんを襲名することになっています。
 プロフィールを見てみると「平成14年 小さん没後、馬風一門加入」とあります。真打になる前に師匠が死んでしまった場合は、どこかの師匠につかなければならないのはわかっていますが、真打になった後に一門に加入することにはどういう意味があるのでしょうか。
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《person》森嶋通夫

2004-08-29 05:42:51 | person

森嶋通夫さん 80歳 死去=大阪大名誉教授、ノーベル経済学賞候補 2004/07/15(毎日新聞)


 今から20年近く前、大学院時代に経済学の教授に聞いたことがありました。

私「先生、日本人でノーベル経済学賞をとるとすれば誰でしょうか?」
教授「まあ、森嶋さんやろな」

 その先生は1960年に大阪大学経済学研究科の修了しておられますので、直接面識があったことと思います。ちなみに二番手は宇沢弘文東大名誉教授とのことでした。
 森嶋通夫の本は高校時代に『イギリスと日本』、『続・イギリスと日本』(岩波新書)を読んでいました。中身は忘れてしまいましたが、面白く読んだことは憶えています。
 その後、NHK人間大学で「思想としての近代経済学」を見ました(1993)。ソファに座ってリラックスした感じでしゃべってました。

 2チャンネルでもスレッドが立ってました。素人の私から見るとかなり専門的な論議があるように思えました。
森嶋通夫 死去
コメント (1)
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