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《雑記》『白い巨塔』研究(その4)

2006-06-22 05:42:19 | 『白い巨塔』研究
◎『白い巨塔』におけると学閥と閨閥(2)
鵜飼は、東と同窓ではなかったが、東の祖父東一蔵が、鵜飼の父鵜飼敬之輔の恩師であったため、東都大学出身で、ともすれば外様大名になりがちな東をひきたて、昨年の医学部長選挙で医学部長の椅子についてからは、さらに東をひきたてて来たのであって。内科医に珍しく豪放磊落な彼は、斗酒なお辞せずの方で、酒を飲んでは陽気に喋り、毒舌を振ってずけずけ人の批評をしたが、それだけの実力があり、浪速大学の医学部内においても、隠然たる力を持っていた。(中略)小心臆病な東が、威厳と余裕のポーズをもって、浪速大学医学部の実力者の一人になり得たのは、多分にこの鵜飼のおかげであるかもしれなかった。それだけに東は、齢でいえば、自分より三つ齢下の鵜飼であったが、彼が医学部長になってからは、出来るだけ彼をたてるようにして附き合っているのだった。(p.11)
 鵜飼医学部長は典型的な俗物で、さしたる学問的な業績もないのに、学内政治だけで医学部長にまで登り詰めた人物です。最初は東の盟友ですが、教授選では袂を分かって、財前支持にまわります。
 東の祖父が鵜飼の父の恩師とはなかなか細かい設定ですね。

 早く父を失い、母にも大学を卒業する前年に死別している里見は、三知代の父の名古屋大学の医学部長をしている羽田融に、普通の舅と、その娘の夫という間柄以上の親しみと、尊敬を抱いていた。
 達筆なペン字でしたためられた手紙の封を切ると、一行十二、三字ぐらいの大きな字で、(先日、そちらの鵜飼医学部長とたまたま会う機会があり、あなたが着々と『生物学的反応による癌の診断法』の研究を続けておられる由を聞き、ただただ欣慶の至り、学問的業績のない医学者は駄馬に等しい、三知代には、ますます、日常の雑事を押しつけ、ひたすらに学問に励まれんことを祈ってやまない、小生の愚息にも、あなたを見習い、研究一筋に励むよう厳しく申しつけたが、何かの折、ご指導を乞う)という短かい手紙であったが、そこに解剖学の権威者として、その道一筋に生き、三知代の弟にあたる一人息子にも、同じ医学の道を歩ませている老医学者の面影が彷彿としていた。
「相変わらず、お舅さんらしい手紙な」
 と云い、医者は、患者にとって信仰のようなものだよ、と云い切ることの鵜飼と、生涯研究を続けることが医学者だと信じ、その道を歩んでいる舅の羽田とが、何を話題にして語り合ったのか、怪訝な思いがし(後略)(p.53)

 (里見の兄は)京都の国立洛北大学の第二内科の講師にまでなりながら、主任教授と意見が合わず、些細な事件から大学を去った(pp.54~55)
 里見脩二は第一内科助教授で、財前五郎とは同級生で、親友(?)です。学問一筋の純粋な人物で、それ故に浪速大学を追われることになります。
 兄は洛北大学(=京都大学)医学部、弟は浪速大学(=大阪大学)医学部とは、賢い兄弟ですね。

※画像はDVD「白い巨塔劇場版」

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