またたび

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気仙沼で被災の歴史的建物 救済目指す  とのことこと

2012-06-29 08:20:18 | Weblog
読売新聞の記事です。

【気仙沼で被災の歴史的建物 救済目指す】

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20120628-OYT8T01328.htm

震災に耐えた気仙沼市の歴史的建造物の修復・保存を考える「気仙沼風待ち復興検討会」が28日、発足した。市民有志や専門家ら同会のメンバー約10人は今後、国や財団法人の支援を受けながら、貴重な文化財の救済を目指す。

 同市には、魚町・南町の内湾地区を中心に、大火事のあった昭和初期直後に建てられた建造物が「東北屈指」と言われるほど多く残っていた。震災で一部が失われたが、国登録文化財15件をはじめ約350か所以上の歴史的建造物が残存する。

 同会は当面、メンバーの大学教授らの知識を生かし、内湾地区にあって津波で被災した酒造会社「男山本店」社屋など国登録文化財5件の修復を計画している。文化庁助成事業で179万円を受けたほか、財団法人の基金から3100万円の支援も決まっている。

 同社屋は1932年、魚町に建てられた。津波で1、2階部分が失われ、3階部分のみが隣接地にまたがる形で残った。計画では、今年度中に骨組み強化や囲いをして元の場所に戻す。市の街づくり計画が決定後、「曳(ひ)き家」という手法で移転先などに建物を動かし、基礎を再建する。

 街づくりへの配慮から、一時は取り壊しを考えたという同社社長の菅原昭彦さん(50)は「新たな街づくりの邪魔にならず、文化財として建物を残せればうれしい。昔の気仙沼の暮らしぶりを知る上で貴重な財産になる」と保存に前向きだ。同会の菅原千栄会長(60)は「街の成り立ちを示す文化財を後世に伝えてゆくことに意義がある。市民の声を反映しながら活動したい」と意気込む。



以前にも書きましたが、魚町近辺は中学時代に新聞配達をしていたエリアなので、
ほんとに馴染み深いといいますが、思い入れがあります。

“計画では、今年度中に骨組み強化や囲いをして元の場所に戻す。市の街づくり計画が決定後、「曳(ひ)き家」という手法で移転先などに建物を動かし、基礎を再建する。”
移転先に魚町的な歴史文化財の街が出来る?んですかね。
そのときは新聞配達しまっせー!