「自分の中で・・・・ありました」という何かの感想を述べるときの表現形式があります。
「私は・・・・と思いました」と言えばわかりやすい言葉になるのに、そうしないのはなぜでしょうか。
感想は自分が思ったことであるのに、変な日本語を使ってでも、自分を見せない、隠すわけではなくあえてあからさまにしない、話し方の習慣のようなものができているようです。
なんでもひとごとのように振舞い、人ごとのように話す、こういう言語空間の中では、いったん壁で跳ね返った言葉が伝わることになります。
その反射経路を探りながら聞き取るうちに、微妙な角度違いが、誤解や曲解のもとになりやすく、外国の人には日本人の言っていることが伝わりにくいのでしょう。
直接飛んできているタマも、どこかで反射するのを待っている、ひとごとぶりの背中を見せられているような日々です。
このじれったさを吹き飛ばす痛快なことを望んではいますが、まだ思いつきません。