・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

亡霊のたたり:2

2013年03月16日 | つぶやきの壺焼

もう一つの怪は別の駅に現れた。

そこはJRとの乗り換え改札口が直結していて、その便利さをあたりまえのように感じるまでになっている。
だが、便利なのは乗り換えのときだけ、これが憎い。

久しぶりに東京に出て行ったので、帰りに昔懐かしい薩摩屋敷のほの暗い炉辺に座り、薩摩揚げで一杯と思って、京急ストアでちょっとした買い物をしてから品川駅の階段を登る。
コンコースにその店はない。
そうだ、駅の中だったのだと思い出し、改札を pasmo で通って入る。
なぜか改札の中のほうが店が多い。
確かこの辺だった、入り口のはっきりわかる店だったから見つからないはずはないと、ぐるぐる隈なく歩いたが、ない。
あらためて案内図を見ても、なかった。

立ち飲み看板を見つけたのでそこに入り、きびなごをむしゃむしゃやりながら聞いてみると、屋敷は去年なくなったという。
しっかり容量のある銚子だったので、ほどほどのよい気分になった。
乗り換え改札口に pasmo をかざして通ろうとしたら、真っ赤なランプが点いてパタパタ扉が閉まった。
改札機の故障かと思って隣に行ったがダメ。
駅員を呼ぶ。 pasmo をチェックする装置で調べ「○○時に入場なさいましたね、精算窓口で入場料をお支払いください」
仕方なく窓口に並び「150円です」に「その pasmo で」と言ったら、立ち上がって別の装置のところに行き何か操作をしている。
待ち時間はマックの60秒より長かった。

黙って渡された pasmo と切符を受けとって改札口へ。
また赤ランプ。駅員を呼ぶ。「精算券を入れてください」
精算券と pasmo のどちらを先に入れたか覚えていないが扉は開いた。
せっかくのほろ酔いもどこかへ飛んでしまったが、また戻るには赤ランプが待っている。
乗り越しでなくても精算が必要なのは覚えたが、精算券と pasmo をどう入れるかは学習効果ゼロ。

通行人に近い入場者から出店の利用料をとるのもどうかと思うが、それなら黙って pasmo から引き落としておけばよいのに。
そんな簡単なことをしてはいけないのか。
「いけませ~~ん」
亡霊の声が聞こえてくる。


亡霊のたたり

2013年03月15日 | つぶやきの壺焼

はじめは奇異に感じていたJRという名も、ようやく抵抗なく耳に入ってくるようになった。
久しぶりに訪れ、模様が変わってしまった街で、駅の入り口を尋ねるときにも、すらっと口に出てくるようになった。
東京駅も昔の形が復活した。

それでも客扱いの隅々には、目が届いていない、気を配り損ねているところがある。
わざわざ探しているわけでもないのに、ときどきそれに行き逢う。

その一つ、横須賀線逗子駅には、20年前のお名残がまだある。
逗子から久里浜までは乗客が少ないから短連結にする。
それはよいのだが、問題は連結の仕方、ただそれだけのことに、二つものまずいことが残されている。

久里浜から運悪く逗子止まりに乗ると、乗り換えなければならないのは仕方がないのだが、乗り換え先のホームが、階段を登って降りる向こう側なのである。
逗子止まりダイヤは、1日に14回組まれているが、このうち降りたホームで反対側にすぐ乗り換えられるのは3回しかない。

一方、逗子で増結する電車もあるが、増結作業の間、長いときは10分も待たされることがある。
安全に着実な作業をというのは当然であっても、10分あれば大船あたりまで行ってしまう。

時代錯誤という言葉を、前世紀にはよく耳にしたが、いまどきこんなことが平然と続けられているというのは、錯誤というより茫失だろう。
そうさせるのは何か。
コクテツと呼ばれていた昔のしみが抜け切れないのかもしれない。
まだどこかに亡霊が潜んでいるのだろうか。


ホワートデーはキャンディーを贈る日

2013年03月14日 | つぶやきの壺焼

今日はせいぜいお菓子屋さんの提灯もちをつとめることにしよう。

ホワイトデー公式サイトというのがあった。
http://www.candy.or.jp/whiteday/

全国飴菓子工業協同組合がつくったもので、コーシキと銘打たれると、そうかと思わなければ義理が悪いような気になるところが我が民族の善良な性格である。

今日一日は軽薄とか販売戦略とかいう文字を忘れておこう。

ホワイトデーのいわれや歴史は、コーシキサイトを見ればよくわかるから、あえて書かない。

第1回が1980年、昭和55年だったとあらためて知ると、ひとつのものごとが抵抗なく受けいれられるようになるには、早い人に孫が生まれるぐらいの年月がかかるものだとつくづく思う。

さてホワイトデーの次は何を繰り出すのか、ブラウンデーのクッキーは平凡すぎるし、ピンクもブラックも陰の意味にどうかと思うところもある。
レインボーデーでは交通整理が大変だろう。

まずはネーミング・リクルートから、「名づけ飴」でも売り出したろどうだろうか。


期限戦略

2013年03月13日 | つぶやきの壺焼

期限と戦略は常に深い関係にあります。

協定期限という国際戦略も、賞味期限という販売戦略も、判断力を鈍らせておいて有利にことを運ぼうという術策です。

TPP交渉に新たに参加する国に対し、「交渉の進展を遅らせない」という条件が示されていれば、実際の交渉では期限を設けて諾否を迫られるということになります。

賞味期限が来て食品が毒物に急変するはずはなくても、今どうするかを迫られれば、新しいものに買い換えるほうを選ぶでしょう。

プリカに有効期限を設ける会社もあります。
割引率はわかりやすいように示されていますが、よく見ると、足繁く通わなければ使い切れない有効期限が決められていることもあります。

ポイントの有効期限なら、なかったものと思うこともできますが、代価の有効期限はボッタクリと思われても仕方ありません。

期限を設けるということは、情報提供策でもあり、放置期待策でもあります。
わかりにくくても確かめることしか、その戦略への対抗手段はなさそうです。

時は氏神になることがあっても、締め切りは常に鬼神です。


誇れる文化

2013年03月12日 | つぶやきの壺焼

そばには鰊がなぜ合うのか。
ほかの魚では生臭くて嫌になるだろう。
越前に魚を楽しむ「おとと蕎麦」というのがあるそうだが、それは生さかなを載せて見た目を楽しむもののようで、変わりだねである。

てんぷらそばも、海老か烏賊ぐらいで、魚類のものはまだ知らない。
漁港とそばの里の両方を隈なく探せば、あるいは違うものが見つかるかもしれないが、そうだ、ヤフーの知恵袋に聞いてみよう。

ともかく、鰊そばで不味いのにまだ会ったことがない。
味に自信のないものは出さないからか。
日本の食べものという誇りを、それぞれの店がだいじにしているからだと思う。
聞けば怒るかもしれないが、ラーメン屋ほど軽々しく感じない。

そのかわり店の主人にこだわりが強いらしく、不味い店は徹底的に不味い。
あるところで、多分砂糖の味だろう、口に粘りつくような甘ったるいそばつゆに辟易したことがある。

こだわりの強いそば屋に、いまどき配線ショートで火災を起こす建物がまだあった。
それが歴史を誇る老舗なのに驚く。
三口で食べきれそうなそばが、値段は一般の二倍くらい。
確かに美味かった。

いまは、ショートで火の出る事故を防ぐブレーカーというごく簡単な装置のあるのが普通の電気設備なのだが。
店の人は知らなかった、保安協会という定期点検をしてくれるところの人も気づかなかった。
老舗という名のほこりが眼に入って、見る眼を曇らせてしまったのだろうか。


事業という名の悪業

2013年03月11日 | つぶやきの壺焼

大震災からまる2年、放射線の影響のごく少ない地域でも、まだ更地のまま砂埃だけが舞っているところが多い。

何も行われていないはずはないのだが、力の注ぎどころが、カネの集まっているところへの上積みでしかなかった。
背負い込まずの成り行き任せという、平常時のいちばん簡単な安穏用税手段に倣い従うだけで、非常時の手段を構ずるに至らなかったのだ。

官庁で永年習慣になっている予算額消化率100%の目標達成には、カネの集計だけには注意を注がれても、その効果にも、効果以前の過程にも目を向けられることがない。
重要な直轄事業も、もっとも管理に手間のかからない大手企業へのお任せ発注が目標達成のためには最良の手段とされる。

復興予算という名がついていても、総額でいくらつけたということしか報じられない。
それがどういう使われ方をしたのか、現地現場の復興にどう役立ったのかは明らかにされない。
明らかにすれば、カネの動き回る経路が網の目のようになっていて、網の目を潜るごとに、熱エネルギーのように節々で消耗されていってしまうという不合理がさらけ出され、大いに困る人が出てくるのだろう。

建設は明らかにプラスの事業だが、復興は、大きなマイナスを減らしゼロに近づけるという行為なので、一般建設事業とは性質が違うのである。
それらを事業と呼んでひとくくりにして、同じ発注方式、管理方式をとっていたのでは、生成されるのは砂埃だけということになる。
こうした当然の結果が、数字の報告はなくても、確かな実態として現れたということなのだろう。


渋さで勝負

2013年03月10日 | つぶやきの壺焼

やや時期はずれだが、柿渋は染め色に味わいが出てなかなかよさそうである。
貧者には台所にあった渋団扇の印象しか残っていないが、ことによると、いまは辞典の表紙補修材に化けてしまっているあの手鞄も、柿渋染めだったかもしれない。

その柿渋が、インフルエンザやノロウイルスを撃退する力を持っているという。
http://www.hiroshima-u.ac.jp/gsbs/kenkyu_syokai/shimamoto/

http://e-shibu.com/musyukakisibu.html

ただし、こんな注意書きもあるので、酒の清澄剤にされる柿渋でも、大量にぐびぐびやってはよくない。
★目に入った場合には直ちに十分量の水で洗い流すこと。
★皮膚に付着した場合には十分量の水で洗い流すこと。
★飲み込んだ場合には直ちに十分量の水でうがいし、更に水を飲むこと。

良薬は口に苦しに、もうひとこと、渋しも加えると舌がもつれそうな感じがする。


電子判定

2013年03月09日 | つぶやきの壺焼

サッカーにも電子判定がとり入れられるそうです。
観客の目も肥えてきて、録画で瞬間の画像まで残ってしまうと、審判の眼も追いつけなくなったようです。

相撲にも電子判定を使ったらどうでしょう。
物言いという儀式も、相撲の楽しみの一つのようですから、検査役はとにかく土俵に上がらなければなりません。
検査役が土俵に上がると、吊り天井から判定機がスルスルと降りてきて、確認ボタンを押させます。

土俵に足の裏以外の体の部位が先につけば負けの判定を出すよう、力士はチップをまわしに仕込んであります。

この方式の欠点が一つありました。
「もう一丁」の取り直しが激減してしまうことでした。


片道技術

2013年03月08日 | つぶやきの壺焼

Got a 0ne way ticket to the blues.
で終わる「恋の片道切符」という歌がむかしあった。

恋や旅は片道切符もよいかもしれない。
しかし、世界の原発技術は、片道切符で失敗している。

作るだけつくっても、必ず訪れる寿命終期の処理技術に、十分な手を伸ばさずにずるずるとこれまで来てしまった。
廃炉という帰りの道筋をはっきりさせずに、片道切符で走り続けてしまったのだ。

廃炉のためには、それ相当の技術開発が必要である。
なぜ、このだいじな技術開発に力が入らなかったのか。
廃炉工程には電気料金収入がついてこない。
使用済みの燃料には、まだ加工の余地があっても、使用済みの原子炉はスクラップにもならない。
ただ手がかかるだけの厄介ものなのである。厄介ものが続々出てきたらどうするか。地中に埋めるなどと言っても原子炉の墓地が増え続けるだけではどうにもならなくなることがわからないはずはなかった。
それでも知らぬ顔の半兵衛をを決め込んでいた原子科学者、技術者たちは、片道切符をだいじに持っていれば、いつか往復優待券にでも変わって、次世代の人たちに引き継ぐことができるとでも思い込むことにしていたのだろうか。


常識のいどころ:2

2013年03月07日 | つぶやきの壺焼

モクモクと煙を出し続けるあの国には、常識に相当する言葉はあるのでしょうか。
Google の翻訳にお願いしたら、日本語では読めない字が出てきました。

二つめは知識を意味する文字らしいのですが、見て意味を想像できない字からは、それがもつ概念も想像できません。

これ以外には、「常理」という言葉が見つかりました。

なるほど、「識」ではなく「理」なのです。
常に湛え持っている考えではなく、常に理屈が先に立つという違いが頭に浮かびます。

「識」は立場を変えなければ、いどころも変わりませんが、「理」は条件次第でどんなにもこね回すことができます。
こうなのだと言い負かせば理が通ったことになります。
それでは定まったいどころさえ見つかりません。

もともといどころのない煙は、風に乗って国外に飛んでいってしまえば、それはわが国が責任を負うものではない、という常理なのでしょうか。


常識のいどころ

2013年03月06日 | つぶやきの壺焼

常識にはいどころがあるようです。

たとえば、武家の常識と武士の常識とは、いどころが違います。
藤沢周平の「雪間草」に、藩の使者が殿の命じた金銭借り入れの交渉に、自分から破談を申し入れたという話があります。
武士の常識にこだわって、藩主の命に従う武家の常識を捨てなければならなかった辛い話です。

法の常識にこだわると、社会の常識から外れることもあります。
無免許でも、そのことを知らなければ、無事故無運転のゴールド免許保持者よりはるかに安心して乗せてもらえる人もいます。
無免許運転で、飛び出してきた自転車を避けようとして人を跳ねてしまい、裁判にかかりました。
道交法違反は明らかでも、起訴された傷害致死という罪状には無関係だから無罪放免という判決が下されたとします。
法治国家とは何かという常識も、うろうろしなければなりません。

ホームレスになった常識がどんどん増えていったら、どういうことになるのでしょう。


健康で文化的な空文

2013年03月05日 | つぶやきの壺焼

Google の「画像」で「人権 イラスト」と呼んだら、真っ先に出てきたのが人権イメージキャラクターでした。

人権の3要素はなんだろうと考えてみました。
1.イメージ
2.キャラクター
3、OS

イメージを描くことはまあよいとして、キャラクターが人権の要素と言ったのではOSのお怒りをこうむるかもしれません。

OSは、コンピューターのオペレーションシステムではなく、OかSか、両方かという駄洒落です。
Oは organization 組織、団体、構成、編成、体制、機構
Sは system システム、系、制度、方式、体制、組織
なのですが、人権ということを、巷で叫ぶ人がどうとらえているのか、それによって人権の扱いがどうなるのか、人権派と呼ばれる仕事をしている人たち、人権団体と呼ばれる組織に属している人たちは、このあたりをどう思っておられるのかが、関心の及ぶところであります。

ちかごろ頓に評判の落ちてきた日本国憲法の第二十五条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という読み方によってはずいぶんバカにされたような条文があります。
こういう権利も人権の一部なのでしょうか。

最低限度の生活を営む人権があるとしても、それを望まないという人権もあるでしょう。

すこぶる健康でも文化的とは言えないパチンコ三昧の生活、文化の泉に浸っているようでも不健康な昼夜逆転の生活、どちらもいけないと言えば人権侵害だと言われそうです。

よくよく考えてみると、人権は、あまねく平等などと大声で言われても、ある種の敵対的な立場におかれたとき、尊重の仕方に醜くかつ酷い偏重を生み出す奇妙な概念であって、ニコニコ仲良しキャラクターとは、イメージが合いにくいような気がしているのであります。


シェアハウスの変人たち

2013年03月04日 | つぶやきの壺焼

「シェアハウスの恋人」というTVドラマが続いている。
TVドラマの題名は、新聞の番組表で何度か見ると、それで覚えた気になっている。
あの手の表になっている記事は、放送があることだけを見ればよいので、記憶の中身は正確ではない。
「シェアハウスの恋人たち」だったような気がしていたが、そうではなく「シェアハウスの恋人」だった。
「白い恋人たち」という半世紀前の映画の題名が頭のどこかにこびりついていて、うしろに「たち」をつけていたのだろう。

「シェアハウスの恋人たち」を、わざと1字間違えてみると、ぴったりの題名が出来上がる。
それが「シェアハウスの変人」では収まりが悪い。
たった2文字の「たち」の効果は大きい。
「たち」は人が3人以上集まるから成立するので、2人だけの場合「友だち」とは呼んでも「恋人たち」とは呼ばない。

「たち」が住むところを、シェアハウスと呼ぶのをこのドラマで知った。
シェアハウスにもいろいろな型がある。

無届けで生活保護受給者を住まわせているところも、シェアハウスなのだろうか。
ベニヤ板で仕切られた、それぞれが3畳ほどの大きさの部屋で、入り口にドアはなくカーテンが下がっている。
住んでいるのは人たちだけでなく、南京虫も同居している。
福祉事務所の人は「快適な施設ではないが、劣悪かどうかは入居者のとらえ方次第で、本人が契約しているのだから仕方がなかった」と、その環境を維持している理由を取材者に説明してくれたという。

はて、このシェアハウス、変人たちとは誰のことなのだろうか。
やむを得ず住む人か、施設の提供者か、施設の管理者か、その環境をだまって保全させておく人たちなのか、さて。


正気でないビジネス

2013年03月03日 | つぶやきの壺焼

正狂という熟語は聞いたことがない。
正否はあるが、正気はあっても否気とは聞かない。

熟語は対義を避けて、あるいは対比を嫌って作られてきたのだろうか。

ビジネスにも、正気の沙汰ではないビジネスが見受けられる。

2月15日に、ロシア南部チェリャビンスク州一帯に落下した隕石は、大気圏突入前の重さが約1万トン、直径は約17メートルという計算値が発表されている。
見た人がいるわけでなく、実際の寸法を測ったはずもないことが、さも本当のように伝えられる。
それでも、この仕事は正気で行われていると誰もが思っている。

しかし、Webの売買サイトで、「隕石の破片」であるという出品が相次ぎ、高いものには50万ルーブル(155万円)の値がついていると聞くと、正気のビジネスとは思えなくなる。

正気は、あるところで突然ひっくり返るらしい。
まだ名がついていない正気でなくなったビジネスは、なんと呼べばよいのだろうか。

実在しないから名前もないということは、この場合決してないのだが。


落ちない工夫:2

2013年03月02日 | つぶやきの壺焼

気球を燃えないようにするには、熱を加えずにもともと軽い気体を使えばよい。

ぼうぼうと燃える音も楽しみの一つという人には、音を聞かせる方法はいくらでもある。
地上の騒音から開放されるのも空中遊泳の快適さの要素であれば、大空のもとでわざわざ騒音を望むのもばかげてはいるが。

圧力調整がややこしければ、まぬけな操縦士にまかせず、ロボットを使えばよい。

水がめが壊れても破片が飛び散ることはないから、容器が破砕しても爆発を起こさないためには、中身がやり場のない気体でなく液体がよいのだが、空気より軽い液体、となるとこれは難題、アニメの世界に行ってしまう。

この間の気球炎上は、もう上がったり降りたりだけの位置を楽しむ時代は一段落、そろそろ終わりにせよという神のお告げではないかとも思う。