はじめは奇異に感じていたJRという名も、ようやく抵抗なく耳に入ってくるようになった。
久しぶりに訪れ、模様が変わってしまった街で、駅の入り口を尋ねるときにも、すらっと口に出てくるようになった。
東京駅も昔の形が復活した。
それでも客扱いの隅々には、目が届いていない、気を配り損ねているところがある。
わざわざ探しているわけでもないのに、ときどきそれに行き逢う。
その一つ、横須賀線逗子駅には、20年前のお名残がまだある。
逗子から久里浜までは乗客が少ないから短連結にする。
それはよいのだが、問題は連結の仕方、ただそれだけのことに、二つものまずいことが残されている。
久里浜から運悪く逗子止まりに乗ると、乗り換えなければならないのは仕方がないのだが、乗り換え先のホームが、階段を登って降りる向こう側なのである。
逗子止まりダイヤは、1日に14回組まれているが、このうち降りたホームで反対側にすぐ乗り換えられるのは3回しかない。
一方、逗子で増結する電車もあるが、増結作業の間、長いときは10分も待たされることがある。
安全に着実な作業をというのは当然であっても、10分あれば大船あたりまで行ってしまう。
時代錯誤という言葉を、前世紀にはよく耳にしたが、いまどきこんなことが平然と続けられているというのは、錯誤というより茫失だろう。
そうさせるのは何か。
コクテツと呼ばれていた昔のしみが抜け切れないのかもしれない。
まだどこかに亡霊が潜んでいるのだろうか。