・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

柿のころ

2011年10月16日 | つぶやきの壺焼

柿の実の色づく時期になった。

柿という字は日本の人名にときどき用いられる、姓にも名にも。
柿沼さん、柿右衛門さん。

外国にもあって、ヒッチコックは吊るし柿のただ食いの意味があるのだと、ひどいことを言っていた人がいた。

柿はパーシモンだと思っていたのだが。
げんこつのような形をしたゴルフクラブを、金属製になった今もウッドと呼んでいるのは、もとはヘッドが木製だったからで、堅い柿の木が使われていた。パーシモンという名はそれで覚えた。

干し柿では忘れられないことがある。
酒好きで、「○○の親分」と呼ばれる大きな体をした、Yという先輩がいた。
仕事の帰りだったか、街を歩いていて「ちょっとそこへ寄ろう」と連れて行かれたのが、今はもう都会では見られない茶店。木のテーブルに木の椅子だった。
出てきたのが超大型の干し柿。貼り紙を見ると20円。当時ラーメンを食べてお釣りの来る値段だった。
干し柿といえば、真っ黒の実に粉が吹いたような固いコロ柿しか知らなかったが、あれは違った。べたっと平らに展ばされていて、あめ色で柔らか。

食べ物の味は書き表しようがない。違うものに出会えば、こんな味ではないとしか言えない。
忘れないとしか言いようがないその味は、つまり、忘れられない味なのである。


厚みの力

2011年10月15日 | つぶやきの壺焼

厚みは力になる。
面の皮の厚みもそうだ。

厚顔大人の国がある。その国では、国際法に従うことは常識の仲間入りをしていないらしい。
外交の場でそれを指摘されても、知らん顔のふりをして通す。
その手あの手で、プロパガンダも100回続けば真実になる。力まかせである。

そこでは、有能とは、役得や賄賂を稼ぎ出す能力を表す言葉になっている。
友はおごり合いによって結ばれ、信じられるのは金と天のみ、夫妻間はもとより不信、貧者を救う同情心はまったく持たれない。
怨念の爆発を革命と呼び、それが力の発揮とされる。

その力の本殿に向かって、尻尾をふりふり近づいていく非力な者もいる。訪問の手土産に面の皮をさらに厚く塗りたてるのを手伝ってくる。

地球も、面の皮が厚くなりすぎると、内皮のところで皺取りがうまくいかなくなったり、ほてったりして、大いに迷惑なことが起きる。

暴力とは、制御能を失った力のこと、さて、この力、次はどこにどう現れるのだろうか。


名さび

2011年10月14日 | つぶやきの壺焼

ステンレスの物干し竿にひびが入って、手を怪我したと家人が言うので、その竿を見ると、縦に筋が入ってめくれ上がってきている。

買ったときは、ステンレスもずいぶん安くできるようになったものと思っていたが、これはステンレス鋼管製ではなく、ステンレスコーティングを施した軽量鋼管だったらしい。
水切りができずに中から錆びているようである。
とりあえず、透明の幅広テープを巻き、手に引っかからないよう応急手当はしたが、さて、これがいつまでもつのやら。

槍さびといううた沢がある。

♪ 槍は錆びても名は錆びぬ 昔忘れぬ 落とし差し
♪ 槍の穂先を 奉書で受けて おせきめ召さるな 我が友よ
  エ~サアサー 柳生流儀の荒木又右衛門
⇒  http://sasakimikie.seesaa.net/article/69715101.html

長いところだけ似ていても槍ではなく、物干し竿が錆びたのでは色気もない。

物干し竿といえば、佐々木小次郎の備前長船長光は、今どうなっているのだろうか。
レプリカが熊本の「武蔵博物館」にあるという記事もどこかにあったが、熊本県博物館連絡協議会加盟館一覧に、その館の名はない。

ステンレスは錆びないものと思っていたが、やはり錆びるのか。
だが、この錆び具合を見ると、ステンレスが錆びたのではない。ステンレスの名が錆びてしまったのだ。


時計

2011年10月13日 | つぶやきの壺焼

駅の改札を入った正面に発車時刻の電光表示がある。解かりやすくて便利になった。
すぐ脇の時計を見る。行ったばっかりか、残念、と思いながらも、人の動きの気配で、遅れていた電車がまだ止まっているのではないかと感じて階段を駆け上がる。

発車したはずの電車がまだホームにいた。急いで跳び乗る。
飛び乗りは危険ですという看板をときどき見かけるが、跳び乗りならいいだろう。

ホームの電光表示をもう一度見る。その脇の時計と比べて見る。発車予定時刻は階下に出ていた表示と変わらない。当たり前だ。
だが時計は違っていた。まだ2分前。
ホームの時計と腕時計を比べて見る。合っている。

改札口を入った正面の時計が進んでいたのだ。

降りた駅でそんなことを伝えてみても、「ああそうですか」で終わりかもしれない。
帰ってからのメールにしよう。

電鉄会社のHPはすぐ見つかる。「お問い合わせ」の書き込み欄がある。「こうだった」では問い合わせにならないから、質問形式に仕立てなければならない。
「こういうことがありましたが、時計のチェックは毎日しないのですか」としておく。

連休明けに回答メールが来た。
「ご指摘をいただきました,駅改札内の時計につきまして,時刻が進んでいないか,確認を行いましたが,進んでもなく,遅れてもいないとの報告がありました。
このたびは,当社駅設備に関して,ご連絡をいただきましたこと,お礼申しあげます。
お客さまからのご意見は,当社サービスに関わる貴重なお言葉でございます。」
という丁重なものだった。

「駅改札の~~~いないとの」の中味を書き換えれば、前後はテンプレートで間に合うから多分同じだろう。それなら丁重に感心も感激もいらない。
「進んでもなく,遅れてもいないとの報告があり」お見事、事実を確実に伝える、客相の回答の見本どおりである。

問い合わせを受けた駅での駅員の対応を想像してみる。
「え、あ、いえ、進んでません」
「いけねえ、すぐ直せ」

さて、これで毎日時計のチェックをするようになるかどうか。電鉄会社の性格判定の材料になる。
A:時計の狂いを乗客から指摘されるようなことはない。
B:時計の狂いを乗客から指摘されれば、それ以降時計の狂いはなくなる。
C:時計は機械、たまには狂うこともあると気にしない。

これは性格だから、格付けとはひと味違う次元の話である。


通過価値

2011年10月12日 | つぶやきの壺焼

コピールアクという言葉を耳にしたとき、はじめは、歩くコピー機のしゃれかと思った。
まったくの見当違いで、コピ・ルアクはインドネシア語で Kopi Luwak, ジャコウネコ・コーヒーだった。
「コピ」はコーヒーを指すインドネシア語、「ルアク」はマレージャコウネコの現地呼び名だという。

しかし、ネコとコーヒーは、どう考えても結びつきにくい。
結びついたのは香りで、赤いコーヒーの実が、ネコのおなかを通って、種だけ消化されずに出てくると、格別の香りが付くのだそうである。

オランダがインドネシアを統治していた時代、農民はコーヒーを作らされるだけで飲むことができなかった。
畑に麝香猫がやってきてコーヒーの実を食べる。排泄物にはそのまんま豆が混ざっている。農民は種を拾い集め、洗って乾かして飲んでみた。えも言われぬ香り、これはこれはと珍重されるようになった。コピ・ルアクの誕生である。

ある工程を経て上がった価値を付加価値などというが、これは通過価値だ。

どうにもやり場のない困りものの放射性廃棄物も、通過価値によって新しいエネルギー源になるような怪猫が現れないだろうか。


役割

2011年10月11日 | つぶやきの壺焼

知識人の役割は政治家を励ますことだと、西部邁が言った。

人を引き摺り下ろすのが仕事本来のあり方ではないのに、人々はそのことに明け暮れる。

なぜ引き摺り下ろしたがるのか。
取って代わりたい人以外には、それが楽だからというほかに理由は見つからない。

なぜ楽なのか。
単純な古典力学、ニュートンの「万有引力の数学的法則」である。

しがみついてじっとしているだけで、相手が動けば引き摺り下ろす力が働く。

永田町の建物の中で、ただの引き摺り下ろしでないことをさせるにはどうしたらよいか。
内部のすべての重力を小さくする、そんな仕掛けを作れば、もう少し別の仕事をしてもらえるのではないか。

それができれば、文化勲章、恩賜発明賞、日本学士院賞、国民栄誉賞を、いっぺんに受賞してもよさそうに思う。


不動の自由

2011年10月10日 | つぶやきの壺焼

サファリパークの動物の不幸は、自由の錯覚だと言った人がいる。
仕切られた囲いの中で、走り回ったり寝そべったりするさまを人が見れば、ああ自由でいいなと思う仕掛けになっている。
だが、あの動物たちは、そこにいなさい、これを食べなさいと、厳重な制限を受けている。彼らは、檻のある動物園と自分たちがいるところを比べてみるすべを持たないから、あそこよりもましと思うようなことはないが、まったくの自由ではない。

この間夏休みが終わったと思ったら、また秋休みというのがあって、学校は連休だと孫がやってきてごろごろしている。
中学生のほうは急に休みで迷惑だとぼやき、小学生のほうは学校にいるほうが面白いと言う。

散歩にでも誘い出そうとしてもいやだと言う。
何もしないのが自由だ、どこかに出かけるのは束縛だと決めているらしい。

吾人が子供のころは、自由にするという感覚も、束縛されているという感覚もなかった。
ゲームだ、テレビだと、自分からは何もしなくても何か目の前のことが変わってくるのが日常になると、人間は自分から動こうとしなくなる。

むかし、子供は歩き回っているものだったが、いまはしゃがみこんでいるものに変わってしまった。
体を思い切り縮めて動かない状態が、いちばん自由に近いと思っているのだろうか。


不眠

2011年10月09日 | つぶやきの壺焼

妙な癖がついた。
夜中に目が覚めて、そのあと眠気のさめないうちに寝てしまえば、それから4時間ぐっすり眠れる。ということは4時間経たないと目が覚めないのである。
夜中の目覚め時刻は、そのときによって違うから、それにつれて朝起きる時刻も変わる。

夜中に目が覚めたあと、眠いうちにまた寝る。眠い眠いと思えば眠気は持続できる。
これが不眠に陥らない方法であるとわかってからは、眠れないことなど気にならなくなった。

不眠症は花粉症と同じで、気にするから症状が出るのではないか思う。
「症」の字つきの称号を求めたがる人は、医師の認定を貰えば諦めがつくのだろうか。
そうか、認定の証とは、組み合わせが、ヤマイであるかゴンであるかの違いで、正真正銘の正なのだ。

眠くなり損ねただけなら不眠症ではなく、鼻水が出るだけなら花粉症ではない。
そう思っておくことにする。

今朝は明け方4時まで目が覚めず、次の目覚めは7時56分だった。


2011年10月08日 | つぶやきの壺焼

吾一枚の舌もし噛まずば、どれほどにこの世、過ごしやすきか。

体機能統合制御失調で、舌を噛むことが多くなった。
舌だけではなく、頬の内側にも、唇にも、その災は及ぶ。

噛んでから、しまったまたやったと思っても、もう遅い。
そのときの痛さは瞬間だけなので、それほどでもない。

災いは3日後にやってくる。
細胞回復が追いつかず、傷がなかなかふさがらない。
免疫力低下で傷に細菌が入るとそこに住み着く。
そして1週間、苦痛が続く。

噛みさえしなければ、苦しまずに済むのだ。
わかっちゃいるけど・・・・・・。


狐舟

2011年10月07日 | つぶやきの壺焼

「孤舟」という本が出ている。
広告でふとこの書名を見たとき、狐舟、キツネの乗った小舟を想像した。

舟に狸は似合わない。カチカチ山があたまに浮かぶからか。

舟に狐は似合う。なぜか、理由はわからない。

そういうことがわからないのが、キツネの仕業だ。


予兆と予知

2011年10月06日 | つぶやきの壺焼

地震予知は学術研究用語かと思い続けていた。

何か新しいことを実際に役立たせるには、はじめはまず1割程度の効果しかないだろうと思っているから。
新しいものごとが仕事や日常生活に役立つには、何度か経験を積まなければならない。

地震の経験は、望んで得られることではないから、それを予知すること、予知を伝達すること、そして伝達を受けて防御行動をすることとなると、効果/機会、チャンス・パフォーマンスは、べき乗的に低くなる。
それでも、大地震のときには、たくさんの犠牲者出現を防げるかもしれない。
だから、精一杯できる限りのことはされているものと思っていた。

こんなデータのあることが報じられている。いや、報じられずに知った人だけが驚くようになっている。

3月11日、あの悲劇の直前ではない、2日前にはマグニチュード7.3、前日に6.8という強い地震が連日起きていたのだ。

2日続いて起きれば、専門家なら何かを察知しなければならないだろう。

二度あることは三度と言うではないか。それとも三度目の正直を正直に待っていたのだろうか。


変貌

2011年10月05日 | つぶやきの壺焼

○十年前には、15分か20分の待ち時間が惜しくて、毎日階段を駆け上り、通路の人の列をすり抜けて乗り換えに走った駅が、見違えるようになったらしい。

新駅ができたころ、この駅名は、たしか「工業都市」だったと思う。駅名だけで周りに工場はなかった。
工場が集まってくると駅名は変わった。

駅名にしても施設名、団体名にしても、地名以外に何かの意味や意図を持って命名すると、やがてその名前はそぐわなくなる。

工業都市という名前は、工場ができてしまえば陳腐になり、その工場群も退散してしまうと、何だこれは、ということになる。

特に「新」「ニュー」などのついた名前には、必ずそういう時期が来る。

安易な命名はのちに難儀のもと、そのときよい名前の命は短いものが多い。


秋の行事

2011年10月04日 | つぶやきの壺焼

普段は静かな学校から喚声が聞こえてくる。

我を忘れた声が集まると、それが響きとなって高いところに伝わりやすい。

市民の声が肝心なところへなかなか伝わらないのは、声を出す人が我を忘れられないでいるから、そしてそれが、響きになるまでにまとまらないからだろう。


映画案内

2011年10月03日 | つぶやきの壺焼

爆発ドンパチものだけではでない新しいアメリカ映画を紹介しているサイトがある。

「ビデオニュース・ドットコム」

http://www.videonews.com/

「自分探しを始めたアメリカはどこに向かうのか」という標題。

映画の話だが映画のことだけでない3人の対談。

長いので時間のあるときに、[ 300k] のボタンをクリックしてどうぞ。


レターパック

2011年10月02日 | つぶやきの壺焼

 

レターパックというのをご存知だろうか。
http://www.post.japanpost.jp/service/letterpack/merit.html

少しまとまったものを送るときに便利らしい。

日本郵便はテレビの宣伝をあまりしないから、利用する人が少ないのではないだろうか。
いや、受け取る事由がなければ来ない、来なければ使われてないという錯覚も生まれる。

人間は、自分に使う事由がないものは、存在価値がないと思いたがるものである。