海外で事件が起きたとき、安否を知ることにはみな関心を持つ。
関心の持ち方はいろいろで、一般メディアの情報が、自分の知りたい水準に達しないと、
情報収集能力が足りないと利いた風なことをすぐに言う人もいる。
知ってどうする、何をするというのでもない。
ただ知れば満足というだけのことである。
日本人が、日本人のことを心配するのは当たり前だろうと、普段考えてもいない同胞意識が首をもたげて、知りたがりの尻を押す。
情報収集能力は、極秘情報の選別能力および隠蔽能力と巧みに平衡して行使されなければならないのに、何でもかでも知りたがって、必要な平衡維持の邪魔になることにはそっぽを向く。
相手がテロの場合、生存情報の発信が命取りになることもある。
じっと潜んでいて、適機の来るのを待たなければならないこともある。
火災現場の安否との見境いを忘れて、知らせよ知らせろと急かせてはならない。
野次馬の定義が見つかった。
それは、埒外のことを知りたがり、馬の群れにさえ見えてしまう人々のことだった。