・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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気品と気位

2013年01月06日 | つぶやきの壺焼

「愛国は、やや品のよい私情、・・・良否は品格のみにしか存しない」____(考えるヒント:小林秀雄 から)
愛国そのものに良否はなく、唱える人それぞれの、あるいは唱え方の品格次第ということなのだろう。

品という字は、ほかの文字とつながって、品格、気品など、いろいろな意味をかもし出すので面白い。
気品の品が抜けて位に変わると、気位となり、高い意味にしか使われないこの言葉は、ずずっと位の下がったものになる。

昔のことだからもう書いてもよいと思うが、練習場のゴルフコンペで、フェリーを降りてゴルフ場まで40分ほどバスに乗ったとき、気品のあるご婦人と隣り合った。
今日はツイていると、よい気分で話をしていると、ご主人は○大の教授だとおっしゃる。
このあたりで感じていた気品が少し下がり、それから話も途切れ、ほどよく揺られて眠くなったか首をこちらに傾けてこられる。
クラブハウスに着いて目を覚まされても無言。

ゴルフもそこそこの成績で終わり、帰りのフェリーでは数人ごとのパーティーになった。

そこではじめて、「今日は失礼しました、寄りかかってお邪魔だったでしょう」と話しかけてこられる。
わざわざ皆の前で言のうかと思いながらも「いえいえ、もっと寄っていただいてもよかったです」とうっかり言ったとたんにシラ・・・。
すぐに別の話に切り替わって助かったが、話の切り替わるのといっしょに、往路のバスで感じていた気品の文字も切り替わる。
そう、気品から気位に。

こういう場合にも、やはり「いいえ」でなく「はい」のほうがよいのだ。
「はい、ナイスタッチでした」がよかったかと、あとから思いついても、言葉は間髪を入れずに出なければ役に立たないのである。