ナオミが育つにつれてケネスは午前中を海で過ごすのが日課になった。
彼女が海で泳ぐことを好んだからだ。ナオミが泳ぐ姿は巨大な一匹の魚の優雅さを持っていた。黒髪をゆらゆらと揺らしながら泳ぐのが、ナオミには至福のひと時だった。
人混みの中にいてさえもと言うより、人混みの中にいるとかえって疎外感を強く感じるケネスにとって、ナオミと遊んでいる時だけはすべての生命との一体感を感じられた。
ナオミは深い海の底まで泳いでいっては宝探しをし、潮の流れを友人にしては鬼ごっこを楽しんだ。あまりにも海になじんでいるナオミを見て夏海は、シーモンキーとあだ名を付けた。
実の子ども以上の愛情を二人はそそぎ、ナオミも二人を実の親以上に愛した。
俺のようなやつは子孫をのこしちゃいけねえと20代でパイプカットをしてしまったケネスには子種がなかった。
ケネスの母マリアは、ニューヨークで性的虐待を受けた児童カウンセラーのボランティアをしていた。変質者に、さらにやりきれないケースとしては実の親に、心と体に傷をおわされた子どもたちがどれだけつらい人生を送るかを聞かされ続けたケネスが子どもを作ることに複雑な感情を持つようになったのは想像に難くない。
父親から折檻を受けて育つうちに「自分が悪い子だから、父親が嫌うのだ」と思いこむようになった女性。その結果、大人になってからも自分を虐待してくれる「人間のくず」のような男にばかり惹かれてしまう。夜泣きばかりして思い通りにならない息子に、かんしゃくを起こすたびにかみつく母親に育てられた男性。彼の心と身体の傷が癒やされることは一生ない。
ある日、ケネスとマリアは、こんな会話をした。
「なぜそいつらは実の子をいじめたんだ? 自分の子どもが憎かったのか?」
「逆さ。彼らは子どもがかわいくってしかたなかったのさ」
「それなら、なぜ?」
「回りの誰でもいいから観察してごらん。好きな部分と嫌いな部分の両方があるはずさ。誰かを好きでたまらないのも嫌いでたまらないのもおかしさことさ。相手を好きになり過ぎても人はどうしていいかわからなくなっちまうんだ」
「でも俺は母さんが好きだよ。母さんだって俺が好きじゃないのかい?」
「もちろん、あたしゃお前が大好きさ。あんなに苦労させたのに立派に育って自慢の息子さ。でも、出来の悪い子ほどかわいいと言うじゃないか。お前が小さい頃、きかん坊をするたびにこっぴどく叱っただろう? どんなにお前がかわいくても悪いことには腹を立てた。それはあたしがお前に腹を立てながらも根っこでお前のことを大切な息子として受け入れていたからさ。相手のいろんな部分をひっくるめて理解して初めて人と人はちゃんとした付き合いが出来る。人間なんて喜怒哀楽のすべてを持ってるのが普通さ。そのすべてを持てる相手が自分に大切な人間なのさ」
「大切じゃない相手ってのは、じゃあどんな奴なんだい」
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