昨日、3月23日、大教会の月次祭が終わりました。
大教会の会報も無くなって、どうなるだろうかと思っていましたが、ホームページに神殿講話と会長挨拶が掲載され続ける事になりました。
そして、ホームページを啓もうするチラシと名刺が配られました。
どんな事も、人がいなければ続かないのです。
そして、その行う人も、親神様の御守護を頂かねば出来ないのです。
おもしろい事に、愛知大教会の会報は、昔も発刊されていましたが、作る人がいなくなって中止になっています。
会報と言いますと、様々な連絡事項も掲載されると思いますが、今回中止になった会報は、連絡事項よりも、神殿講話と会長挨拶をメインとした会報でした。
なぜそれがメインなのかと言うと、昔から講話は録音されていたのです。
その録音はカセットテープで、今でも資料室にあります。
それをほどき、活字にする人が無かっただけなのであります。
そうした中に、昨日、大教会にいる母親から、遠い信者さんが「大教会から会報が送られなくなったけれども、どうしたのだろうか?」とその友人の方に話しをしていたと聞きました。
母親は「個人的に大教会から送られるとは?」と思っていたそうですが、「それを送っていたのは私です。」と話しました。
その遠い信者さんは、コロナ禍で大騒ぎの中でも、昨年の5月に行われた創立130周年に参拝に来られた方で、教会へも行けないからと、大教会に於いてある会報を大事に持って帰られたので、事務所の青年さんに個人的に送るように頼んでありました。
昨日の月次祭で、大教会のホームページを案内した名刺を配っていましたので、その友人にパスワードを教えておきましたので、母親から話が行く事でしょう。
さて、昨日の神殿講話は、婦人の方でした。
とても素晴らしいお話でした。
そして、その話の後で、大教会長さんが「この講話が、話すことを思いとどまらせて下さいました。」と話されました。
良かったと私は思いました。
後で、妻や数人の女性が、「何を思っていたのか知りたい」と言っていましたが、「それを聞いても、不足するだけだよ。」と話をしておきました。
どんな事も受け止め方ひとつで、変わってきます。
(受け止め方については先日このブログで書いておきました。)
聞かねばならない事ならば、親神様は聞かしてくださいます。
私がこのブログやFacebookに共有している事は、自分から求めるというよりも、タイムリーに出会ったもので、考える資料となるものが主であります。
いくら私が、「実際に目撃したから」「体験したから」と言っても、それぞれの立場・考え方によって、そんなのはウソだという事もあるのです。(それがとても多いのですが。。。)
時が経ち、身近に表れて来た時、これを見た人があの話は。。と思い出せば、次へ行動を考える材料になるだろう、そうなって欲しいと思って書いています。
その一つが、今話題のワクチンです。すでに4回目、子供への接種が発表されています。
3回目の接種をした方々に、結構多くの副反応があるようで、信者さん方の近くにも、それが見えて来たようです。
今日、接種をしたご夫婦が数日で同時に亡くなった事を身近に見て、驚いて、危険な者だったのだと話をしていたと聞きました。
私は「危険なものだから」と話題が出るごとに言っていますが、多くの方は「そんなことはない」という感じです。
親神様は、どんな不思議も見せて下さいます。
それは、それぞれの心に応じてであります。
一つ言えるのは、
それぞれの段階に応じた「誠の心」を受け取って見せて下さるのです。
まずは、我が事の身上事情について、どうでもこうでもと願う誠を受け取られます。
その次は、我がの事ではなく、自分の家族周囲の人のためにという誠を受け取られます。
その次は、自分の周囲のためにではなく、世界中の人のためにという誠を受け取られます。
その人の段階によって、親神様の望まれる誠は異なりますので、見せて下さる不思議な働きも違ってくるのであります。
さらには、その身上事情が、その人個人の心の切り替えを求められているのか、その人の周囲の人の心の切り替えを求められているかも、思案するために重要な事であります。
「とても良い人がどうして?」という話しをよく聞きますが、「良い人というのは、誰に対して良い人なのでしょうか?」
家の大黒柱に身上があるという事は、「その家の人々の心の切り替えを求めている」と考える事が一つの例です。
今、「復元の研究」に、初版の『正文遺韻』を投稿し終ろうとしています。
これを書き残された、諸井政一先生が歩まれて、若くして出直された道を思う時、
倍化運動の元となった増野道興先生が歩まれて、若くして出直された道を思う時、
教祖が25年の定命を縮めて現身を隠された事と重なり、
そうした事を思わずにはおられません。
悟るために必要な事柄は、教祖のひながた(教祖と周囲の人とのやり取り)また、先人の先生方の歩まれた道にあると思います。
よく、霊などの声が聞こえるという人々が、様々な事を発信していますが、
この聞こえる声が、良い方へ導いてくれるものか、悪い方へ導くものか、本人には分からないようであります。また周囲にもそれは分からないのです。
幻聴が聞こえる人の事を思うと、それと同じだろうなぁと思いますし、
教祖や本席様が親神様のお言葉を伝えられる時の様子を、教祖伝やおさしづから思うと、同じように重なります。
親神様は、入り込んで話している事が本当だという事を証明するために、見えぬ先から言っておくとして、様々な予言をされていますし、不思議な事を見せられたのです。
その備忘録が「おふでさき」です。
大切なのは、その言葉ではなく、その言葉から後に現れて来る事柄を検証する事。
これがとても重要だと思います。
よく「これが真実です」という言葉を聞きます。
「これが真実です」というフェイクニュースもあるのです。
これらを、先の霊の言葉と重ね合わせて考えても分かるかもしれません。
また、
真実は分からなくても、画像からそんなことは不自然だと思える物もあるのです。
それを自分自身で考えて取り除く事が大切かも知れません。
ウソをついている人々は、それがばれるのを恐れています。
だから、真実は消して、自分に都合の良い情報だけにしたいのです。
そう考えると、このフェイスブックやユーチューブなどで妨害されるものほど、真実という考えも出てくるでしょう。
考える事も、親神様の御守護がなければできません。
心のほこりを払ってくださるのも「神がほうきや」と言われるごとく、親神様のお導きによるものです。
その御守護、お導きを頂く元は、おぢばであり、おつとめであります。
陽気なおつとめ。
教祖が現身を隠される時、不揃いであっても喜ばれた。
十分に練習出来てなくても喜ばれた。
命捨ててでもと心定めて、つとめられたその心を受け取られたからだと私は思います。
おつとめの鳴物についても、書いてきましたが、技術的な事は、熟練すると分かってくるものです。
熟練するためには、練習を重ねる事と、理解する事です。
嫌々やっていては、そうはならないのです。
陽気なおつとめを勤めたいと、望むから、色々な事が思い浮かばせて頂ける、周囲から教えて頂けるものだと思います。
世界の悪事がどんどん表に出て来て、もうそろそろかなぁと思っていますが、分からない人に分からずに、ショックを受ける事が多いのではないかとも思えています。
思うがままに書きました。
参考になれば幸いです。
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