あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

真実・ウソという言葉に騙される。不自然を排除する事から。。

2022年03月24日 18時09分11秒 | 思った事

昨日、3月23日、大教会の月次祭が終わりました。

大教会の会報も無くなって、どうなるだろうかと思っていましたが、ホームページに神殿講話と会長挨拶が掲載され続ける事になりました。

そして、ホームページを啓もうするチラシと名刺が配られました。

どんな事も、人がいなければ続かないのです。

そして、その行う人も、親神様の御守護を頂かねば出来ないのです。

おもしろい事に、愛知大教会の会報は、昔も発刊されていましたが、作る人がいなくなって中止になっています。

会報と言いますと、様々な連絡事項も掲載されると思いますが、今回中止になった会報は、連絡事項よりも、神殿講話と会長挨拶をメインとした会報でした。

なぜそれがメインなのかと言うと、昔から講話は録音されていたのです。

その録音はカセットテープで、今でも資料室にあります。

それをほどき、活字にする人が無かっただけなのであります。

そうした中に、昨日、大教会にいる母親から、遠い信者さんが「大教会から会報が送られなくなったけれども、どうしたのだろうか?」とその友人の方に話しをしていたと聞きました。

母親は「個人的に大教会から送られるとは?」と思っていたそうですが、「それを送っていたのは私です。」と話しました。

その遠い信者さんは、コロナ禍で大騒ぎの中でも、昨年の5月に行われた創立130周年に参拝に来られた方で、教会へも行けないからと、大教会に於いてある会報を大事に持って帰られたので、事務所の青年さんに個人的に送るように頼んでありました。

昨日の月次祭で、大教会のホームページを案内した名刺を配っていましたので、その友人にパスワードを教えておきましたので、母親から話が行く事でしょう。

さて、昨日の神殿講話は、婦人の方でした。

とても素晴らしいお話でした。

そして、その話の後で、大教会長さんが「この講話が、話すことを思いとどまらせて下さいました。」と話されました。

良かったと私は思いました。

後で、妻や数人の女性が、「何を思っていたのか知りたい」と言っていましたが、「それを聞いても、不足するだけだよ。」と話をしておきました。

 

どんな事も受け止め方ひとつで、変わってきます。

(受け止め方については先日このブログで書いておきました。)

聞かねばならない事ならば、親神様は聞かしてくださいます。

私がこのブログやFacebookに共有している事は、自分から求めるというよりも、タイムリーに出会ったもので、考える資料となるものが主であります。

いくら私が、「実際に目撃したから」「体験したから」と言っても、それぞれの立場・考え方によって、そんなのはウソだという事もあるのです。(それがとても多いのですが。。。)

時が経ち、身近に表れて来た時、これを見た人があの話は。。と思い出せば、次へ行動を考える材料になるだろう、そうなって欲しいと思って書いています。

 

その一つが、今話題のワクチンです。すでに4回目、子供への接種が発表されています。

3回目の接種をした方々に、結構多くの副反応があるようで、信者さん方の近くにも、それが見えて来たようです。

今日、接種をしたご夫婦が数日で同時に亡くなった事を身近に見て、驚いて、危険な者だったのだと話をしていたと聞きました。

私は「危険なものだから」と話題が出るごとに言っていますが、多くの方は「そんなことはない」という感じです。

 

親神様は、どんな不思議も見せて下さいます。

それは、それぞれの心に応じてであります。

一つ言えるのは、

それぞれの段階に応じた「誠の心」を受け取って見せて下さるのです。

まずは、我が事の身上事情について、どうでもこうでもと願う誠を受け取られます。

その次は、我がの事ではなく、自分の家族周囲の人のためにという誠を受け取られます。

その次は、自分の周囲のためにではなく、世界中の人のためにという誠を受け取られます。

その人の段階によって、親神様の望まれる誠は異なりますので、見せて下さる不思議な働きも違ってくるのであります。

 

さらには、その身上事情が、その人個人の心の切り替えを求められているのか、その人の周囲の人の心の切り替えを求められているかも、思案するために重要な事であります。

「とても良い人がどうして?」という話しをよく聞きますが、「良い人というのは、誰に対して良い人なのでしょうか?」

家の大黒柱に身上があるという事は、「その家の人々の心の切り替えを求めている」と考える事が一つの例です。

 

今、「復元の研究」に、初版の『正文遺韻』を投稿し終ろうとしています。

これを書き残された、諸井政一先生が歩まれて、若くして出直された道を思う時、

倍化運動の元となった増野道興先生が歩まれて、若くして出直された道を思う時、

教祖が25年の定命を縮めて現身を隠された事と重なり、

そうした事を思わずにはおられません。

悟るために必要な事柄は、教祖のひながた(教祖と周囲の人とのやり取り)また、先人の先生方の歩まれた道にあると思います。

よく、霊などの声が聞こえるという人々が、様々な事を発信していますが、

この聞こえる声が、良い方へ導いてくれるものか、悪い方へ導くものか、本人には分からないようであります。また周囲にもそれは分からないのです。

幻聴が聞こえる人の事を思うと、それと同じだろうなぁと思いますし、

教祖や本席様が親神様のお言葉を伝えられる時の様子を、教祖伝やおさしづから思うと、同じように重なります。

親神様は、入り込んで話している事が本当だという事を証明するために、見えぬ先から言っておくとして、様々な予言をされていますし、不思議な事を見せられたのです。

その備忘録が「おふでさき」です。

大切なのは、その言葉ではなく、その言葉から後に現れて来る事柄を検証する事。

これがとても重要だと思います。

よく「これが真実です」という言葉を聞きます。

「これが真実です」というフェイクニュースもあるのです。

これらを、先の霊の言葉と重ね合わせて考えても分かるかもしれません。

また、

真実は分からなくても、画像からそんなことは不自然だと思える物もあるのです。

それを自分自身で考えて取り除く事が大切かも知れません。

ウソをついている人々は、それがばれるのを恐れています。

だから、真実は消して、自分に都合の良い情報だけにしたいのです。

そう考えると、このフェイスブックやユーチューブなどで妨害されるものほど、真実という考えも出てくるでしょう。

 

考える事も、親神様の御守護がなければできません。

心のほこりを払ってくださるのも「神がほうきや」と言われるごとく、親神様のお導きによるものです。

その御守護、お導きを頂く元は、おぢばであり、おつとめであります。

陽気なおつとめ。

教祖が現身を隠される時、不揃いであっても喜ばれた。

十分に練習出来てなくても喜ばれた。

命捨ててでもと心定めて、つとめられたその心を受け取られたからだと私は思います。

 

おつとめの鳴物についても、書いてきましたが、技術的な事は、熟練すると分かってくるものです。

熟練するためには、練習を重ねる事と、理解する事です。

嫌々やっていては、そうはならないのです。

陽気なおつとめを勤めたいと、望むから、色々な事が思い浮かばせて頂ける、周囲から教えて頂けるものだと思います。

 

世界の悪事がどんどん表に出て来て、もうそろそろかなぁと思っていますが、分からない人に分からずに、ショックを受ける事が多いのではないかとも思えています。

思うがままに書きました。

参考になれば幸いです。

 

 

コメント
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