あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

教祖の逸話から、見分ける力の大切さを。。。そのためには。。。

2022年03月18日 21時18分44秒 | 思った事

ファイザーの社長の発言を説明している動画に当たりました。

最後まで見て考えて見て下さい。

【削除後に復活】『ワクチン効かない!』ファイザー社長が暴露!しかし、なぜ日本人は3度も4度も打つのか?

41,519 回視聴 2022/03/16配信
中野浩志の未来予測(時読み®)
チャンネル登録者数 15.5万人
 
私たちは、自分の主観で物を見ます。
善い人だと思うと、悪い事を言われても、良い事だと思ってしまうのです。
 
そうした中に、騙されます。
オレオレ詐欺が流行っています。
 
「オレオレ」という言葉を、自分で勝手に良いように解釈して、騙されるのです。
 
日本人、またお道の人は、教祖のひながたを通ろうとして、人を助けることを考えます。
そうした時に、自分は人の事を思うから、相手も同じように人の事を考えるだろうと思いがちです。
 
ところが、そうは行かない。
隣の国の政府のやり方を見て、良く分かっていると思います。
 
自分は人の命を大切に思っているから、相手も人の命を大切に思っていると思うのです。
 
これが、大きな落とし穴に陥る元です。
 
おたすけをする人に対してのお話で、よく人を見極めてお話を取り次ぐように話されています。
 
教祖も、人に応じて対応が異なっています。
総ての人の心をたやすく受け入れてはいません。
 
逸話編の7
「真心の御供」で、立派な重箱に詰めたお餅を供えられても「ああ、そうかえ。」という言葉を言われただけで、一向に満足はされず、粗末な風呂敷包みで竹の皮にいれたほんの少しのお餅を「すぐに、親神様にお供えして送れ」と大いに喜ばれたという話は、とても有名な話です。
 
これを話す時は、大概は、「良い心でお供えをさせて頂きましょう」と言って、話をすると思います。
そして、「教祖は優しい方」というイメージで、その前の「ああ、そうかえ」という言葉には、心がいかないのではないでしょうか。
 
教祖は、しっかりと人の心を見定めて、それなりの対応されているのです。
 
こうした人の心を感じることの重要性と対応の仕方も、こうした逸話で教えて下さっていると思うのです。
 
掃除をする事についての道具の例え話でも、
とても汚れたものを洗うのに、絹のような布でこすっても落ちないのです。
反対に、きれいに磨かれたものを掃除するのに、たわしでこすってはダメなのです。
だから、親神様は私たちの性分を見分けて、適材適所に使われます。
だから、私たちも人も見分けて、それぞれの道具として使うようにと教えられているのです。
 
つまり、人を見分ける、人の心を見定めることが、どれだけ大切かという事だと思うのです。
どんな事も、人がするのです。
 
そうした人や、物事を見分けることを、今様々な事で教えられているように思うのです。
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