あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

八つのほこり。。2.。「おしい」

2021年01月24日 11時34分02秒 | 八つのほこり

 惜しいというほこりは、
 治めねばならぬものを惜しいと思い、かやさねばならぬものを惜しいと思い、人に貸す事を惜しいと思い、ぎりをするものを惜しいと思い、人に分配する事を惜しいと思い、難渋に施すものを惜しいと思い、人のために暇を費やすのを惜しいと思い、
 すべて出すべきものを惜しいと思うはもちろん、人の助かる事、人のためになる事に費やす物事を惜しいと思う心がほこりでございます。
 又、身惜しみと言う、横着な心も惜しいのほこりと聞かせて頂きます。この惜しいという心がありますから、人を助けるということもできません。返すものはだんだん延びる、返礼は薄くなる、納めねばならぬ金銭も怠る、義理を欠く、人が物を貸してくれと言えば、あるものも無いと言ったり、空いているものもふさいでいると言ったりして、うそをつくようになる。こうなれば、だんだん恩を重ねるばかりで、人には悪く言われ、けちんぼなどとそしられて、人のほこりのためにもなります。
 また、出すものは出し、やるものはやりながらも、この惜しいという心のために、理を失ってしまう事がしばしばあります。例えば、人に物をやっても、もっと少しにすればよかったと思ったり、神様へお供えしてもああ惜しい、お供えしなければよかったと思ったり、物を買いましてもせんど値切って、向こうが負けると言うと、もっと値切ってやればよかったと思ったり、惜しいけれども義理で仕方がないと思って出したりする事がしばしばありましょう。
 こういう心遣いでは、せっかく出しながら、心で取り返してしまう理で、何にもなりません。そこで神様は、そういう心を出すものは、人は受け取っても、天が受けとらんと聞かせられます。丁度、種をまいてすぐ掘り返しているようなもので、労して功なしでございます。そしてまた、事によっては、大層惜しいと思いますが、惜しいと思っても取り返しがつきません。そして惜しい惜しいの心が残念となり、心の悔やみとなって、ついに気が狂ったり、病が出たりする事も、しばしばあることでございます。
 これは、惜しいという凡人の心のために、我がと我が身を殺すものと言わなければなりません。また、身惜しみ、骨惜しみという事も同じことで、例えば、どのような勤めをしているとしても、心で満足せず、つらい、うたてい(方言?)と思って嫌々(いやいや)した分には、天のお受け取りはございません。すなわち、労して功なしで、やはり恩を被るような理になります。そういう心遣いである者は、人のいる前では働くような振りをして、人のいない所ではなまくらをするに違いありません。そんなものが、人のためになる事が出来そうな事はありません。いささかな骨折りで人の喜ぶことや、または、物が粗末になる事があっても、だれかがするだろうと思って放っておく。ちょっと一足そこへ出て、捨てて来れば片付く事でも、不精にして、放っておいて、だれかしてくれるだろうと思っている。互いにそういう心では横着の勉強をしているようなものです。
 人間というものは、心も体も動かさずにはおられないものです。働いて楽しむように出来ています。それなのに、心が不精になり、身が横着になりますと、神様のご守護も不精になり、横着になります。一時によい働きをしようと言ったとしても出来そうなはずはございません。一生「使いにくい人や、頼みにくい人や」と言われて、のらりくらりして果ててしまって、この次の世に持ち越す理は、恩をきた理ばかりでございます。横着の心というものは出易いものですから、よくよく注意をしなければなりません。

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八つのほこり。。1。「ほしい」

2021年01月24日 11時30分56秒 | 八つのほこり

 欲しいというほこりは、
 分限に過ぎたるものを欲しいと思い、与えもないのに欲しいと思い、人のものを見ては欲しいと思い、
 すべて、我が身分を思わず、たんのうをせずして、欲しい欲しいという心がほこりでございます。
 例えば、分限に過ぎたものというのは、おおよそ皆それぞれの、身分相応と言う事があります。百姓は百姓らしく、月給取りは月給相応の身なり、くらし方をせにゃならん。学生は学生らしくせにゃならん。同じ学生と言えども、それぞれの財産と境遇とによってそれ相応の程度にせにゃならん。しかし、何ほど財産があると言えども、学生はその学生たるの分限を守らなねば、ほこりであります。
 例えば、良い服を欲しいと思い、又はよい器具を欲しいと思って求めたり、学生には不必要な物を求めるのは、たとえ与えがあるとしても、程度の過ぎたもので、ほこりでございます。なぜならば、ほかの同じ学生にほこりをつけさせます。すなわちそれは、我さえ良くば良い、という事になりましょう。これは大いなるほこりの根源であります。
 また、与えもないのに欲しいと思い、人のものを見て欲しいと思う事は、例えば友達が時計を持っていると、自分も欲しいと思います。また、人がものを食べているのを見ると、自分も欲しいと思います。これはもっともな事で、だれでも同じ人情でございます。けれども、めいめいに与えがあるとか、無いとかいうことは、天のさい配であって、めいめいのいんねんからで、決して人をうらやむのではない。心を治め、たんのうをして、欲しいと思う心をさらりと捨ててしまわにゃならん。
 何事についても同じ事で、欲しいと思う心がわいても、自分の身を振り返り、ふところを探り見て、求めるだけの理が無い時には、さらりとその心を捨ててしまえば、ほこりの理は残らないでしょう。しかし、この欲しいと思う心の理がこもって、捨ててしまう事ができなければ、悪い行いにもなって来るのであります。また、行いに現れなくても心の不平不足となり、不足の理が積もり重なれば、身の不足となります。ゆえにほこりであります。
 もしも、身分不相応なものや、与えの無いものに、欲しいと思うところから、次々と求めますと、人には損をかける。内々には波風が立つ。様々なほこりが生じるましょう。また、それがだんだん長じて来ますと、人に損をかけるのも何とも思わず、借りたものはもらった物のように思い込み。内々のなげき、口説きも、全く心にかけないならば、人をペテンにかけ、生みの親をペテンにかけてまでも、我が欲しいの妄念(もうねん)を遂げるようになり、果ては、盗みもする、詐欺もするようになるのであります。
 そうなればもはや、法律の罪人でございますが、そうなる元といえば、罪とも咎(とが)ともいえぬ、ただささいな欲しいという凡人の心であります。
 よって身分を思わず、懐を考えず、むやみに欲しいという思い、念を起こすことが欲しいのほこりでございます。

 
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アメリカ大統領の就任式。。。医者や薬について。。「ごく」。。「元のいんねん」

2021年01月21日 11時05分53秒 | 思った事

1月20日(日本時間21日午前0時ごろから3時ごろまで)テレビ東京のウエブ生配信で見ていた。

何か起こるのではないかと、ハラハラしながらの視聴だった。

その1時間くらい前に、他のWEBサイトで、ホワイトハウスから出て、空軍の飛行場で行われるトランプ大統領の離任式の様子を見た。

コンピュータを2画面で使っているので、大統領就任式が始まるのと同時に、トランプ大統領がフロリダに着き、人々に迎えられる様子が映し出されて、計算されての報道になったのだろうか?とも思ったが、なんだかとても不思議に感じた。

就任式で、ペンス副大統領が赤のネクタイをしていたのが、一番初めに目についた。議会の時には青のネクタイだったので、とても気になった。

この大統領就任式について、はじめはバーチャルで行われると聞いていて、どんな風になるのか、偽装されての就任式になるのではとの思いもあり、心配していた。けれども、チャンと放映されていたので、良かったと思った。

そして何よりも、暴動がおこらなかったのか何よりだった。
もしここで暴動などが起これば、それこそ中国共産党と同じようなものと思った。

けれども、情報を追いかけて、不正というものを目の当たりにした一人としての心情としては、本当に、何とも言えないものがある。

以前も、私がトランプ大統領の立場でなくてよかった。と書いたのだが、それは、私だったら不正を正すのに武力行使をしていただろうと思うからである。

教祖は「病の根を切ろう」「謀反の根を切ろう」と言われた。謀反の根を切る上には、武力や圧力を掛けすぎて相手に恨みを持たせてしまっては、この根は切れないのである。この事は、世間でもよく言われることである。

悪事をされても、「人を恨むな、罪を恨め」お道ならば「たんのうせよ」という言葉である。

教祖は、監獄に入れられて、様々な仕打ちを受けても、恨むことなく「教えが届かぬのや」と言われて通られた。

また「悪を善で治めよ」という言葉もある。

また、「登れぬ堰は、神が取る」として、無理にするなという事も、弾圧に対する「おさしづ」ある。

中国共産党によって、多大に弾圧されている人々の事を思うと、本当に心が痛む。すぐさま何とかしたいと思うのは、私だけではないと思う。

なんとかそうした人々が、安心して暮らせるようになって欲しい。と願う。

 

実は昨日、「元の理」から「科学や医学」についてブログを書こうと思ったのだが、どうも書けずに、気になった動画だけをFacebookにシェアしていた。

その気になった動画の中で、一つだけコメントを付けてあげたものがある。

それは、

【米大統領選挙】リンウッド弁護士が示した過去のメッセージ!1965年 → もしも私が〇〇だったら!ポップコーン②【BBニュース】

という動画である。

この中で気になったのは、8分10秒当たりで、もし私が悪魔だったらという話の中で「ささやきのキャンペーンから、今の人間は、まるで人間が神様を作ったようになっている」という言葉である。

医学や心理学などが発達してきて、本来は、神様があって、人間が生かされているのに、その反対の心になっているというのである。

このお道の場合でも、「神様の話を医学的に証明できるから」とするならば良いのだが、「それは神話だ、迷信だ」としてしまう事は、互いを信じ助けあう陽気ぐらしの御守護につながらないように思う。

先程、「元の理」から医学についての話をしたいと書いたが、「元の理」では「虫鳥畜類と生まれ変わりをして」と言われている。

今の科学や医学では、人間はサルなどから進化をしたという事が言われている。また、胎児の成長を見た時に、段々と進化の過程をへて人間の形へと姿を変えて、子供として生まれ出る事は知られている。

こうした事は、医学や科学技術が進んだから分かったことで、教祖はこうした技術の無い時から、進化したことを説かれている。そしてこれが真実なのだから、親神様の言われることを信じなさいとも言われているのである。

また、人間の我々は、虫・鳥・畜類の生まれ変わりをしているから、そうしたものの鳴き声などをまねる事が出来るとも聞かせてもらう。

「修理や肥に医者薬を」をとも聞かせてられる。

これは、人というものは、簡単に心を変えろと言っても、なかなかすぐに変えられるものではない。ましてや幾度も生まれ変わって積み重ねた上のいんねんから出る事を払うのは、大変な事なのである。そうした大変な身上も、少しでも和らげれるようにとして医学や薬学などの治療法を教えられたと、私は理解している。薬などが効くから心を変えなくても良いという事ではない。心を変える手助けに医学や薬があるという事である。

そして、ここで注意をしなければならない事は、薬には何を混入されているか分からないという事である。それを作っている人や処方してくれている人を信じるしかないのである。

私たちは、病気の助かりを願うために「おさづけ」を戴いている、それ以外に、助かる手段に「ごく(御供)」を戴いている。

この「ごく(御供)」は、一番最初には、「はったい粉」を出されていた、その後に「金平糖」となったのだが、世の中から何か薬物が混ざっているのではないかという疑惑を持たれて、「洗米」となった。

そして、不思議に助かる理由については「何も「ごく」が効くのではない。心の理が効くのやで」と言われている。この心の理というのは、助かりたいという誠の心と、助かってもらいたいという誠の心の事を言われている。

 

ともかく、人間を作る時に「人間を作って、共に楽しみたい」と思って作られたと教えられるのだから、人間の都合だけで喜んでいては、神様の思いに添わないのである。神様と共に喜びあうのが、真の陽気ぐらしである。

そして、この「人間を作って、陽気ぐらしをさせて、共に楽しみたい」という、親神様の思い、心が「元のいんねん」と言われるものである。この「元のいんねん」の上に、それぞれがあり、幾度も生まれ変わりを繰り返して、それぞれに「良いいんねん・悪いいんねん」を作ってきているのが現在である。

心の切り替え、これをしっかりと心に置いて、日々を歩みたいと思う。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。

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部内の大祭。。生まれ変わり。。生きながらの出直し。

2021年01月19日 10時38分17秒 | 思った事

部内の大祭を無事に勤めさせて頂いた。

コロナ禍で心配される中であるが、コロナになってからずっとマスクを付けておつとめをしてきたので、別段変わることなく、勇んでおつとめをさせて頂いた。

これだけコロナが増えてくると、いつだれがなるか分からない。

また、80才近くなる方が、「数日前から微熱があり食欲がなかった。熱が下がって食欲が少し出て来たので、おつとめに来た。娘が心配するので、おつとめの途中で帰らせて頂きたい」と言われた。

早速、「おさづけをさせてもらいましょう」と話をした。おさづけの前に、症状などを聞きながら性分の話をした。

「これだけコロナが広がり、「病院へ行ったらコロナに感染するかも知れない」と思うようになったら、決定的な薬もあるわけではないし、医学ではどうしようもないでしょう。親神様がある事はしっていますよね。医者の手余りを助けると言われているのです。しかし、親神様がある事は知っていても、親神様に芯に凭れているでしょうか?親神様のお話をしっかりと受け止めているでしょうか?」という事を話した。

そしてその方の性分、家の性分、教会の性分などについて、具体的に話しをして、これをしっかりと自覚して、お詫びする事が何よりも大切ですと話をした。心がすっきりされたようで、最後までつとめて下さった。

このコロナのお陰で様々な事を感じさせて頂く事が出来て、本当にありがたいと思った。

おつとめの後には、次々とおさづけをさせて頂き、本当にありがたい大祭をつとめさせて頂きました。

 

さて、

世の中には色々な話があります。また色々な事件が起きてきます。

これだけ情報が入り乱れてきますと、何が本当か調べる事だけでも大変です。このような作業ばかりに時間を割いてはおれません。

そうした中、

親神様は「いんねんよせて守護する」と教えて下さっています。

世の中には色々な宗教があります。信者さん方に現れる事情や身上を見させて頂く時に感じる事があります。

それは、天理教の家に嫁いできて、親神様のお話を素直に聞ける。初めは素直ではなくとも、色々な事柄が起こるたびに、神様のお話を聞きいれる事が出来る人と、出来ない人との差を感じます。聞きいれる事が出来る人の多くは、その方の実家が何らかの信仰をしていて、神様に縁のある方で、神様に近い方のように思えるのです。

心に、親神様の話を聞きいれる事が出来る、何かしらの土台のようなものがあるのではないかと思ったりするのです。こんな事を書くと、そのように感じない人はダメな人のように思う方もあるかと思いますが、そうではないのです。

つまり、その時その時に、その人に必要な教えを、そうした宗教なりで教えて下さっている。階段であれば、一段目の教え、2段目の教えというものがあるように思います。

生まれ変わりの事で思案すればわかると思いますが、今分からない人は、今分からずとも、不思議な事を体験して感じたもの、これは心に刻まれているはずです。頭で理解できても、心から納得いかないという事もあるでしょう。これも同じであります。それはそれであります。

今世で、ふとひらめき心に得心が行く人もあるでしょうが、来生で得心が行く人もあるという事です。

この事については、「元の理」の話から述べたいと思いますが、次の機会にしたいと思います。

さて、

教祖の道中の中で、「誰だれは誰の生まれ変わりや」という話が沢山あります。こういう話から、生まれ変わりの人を特定する事に力を注ぐ人を、昔よく見聞きしました。実際に自分もこの話を聞いた時には、自分は誰の生まれ変わりか?とそんな事ばかりが気になっていました。

しかし、生まれ変わっているのに、前生の記憶がないのでしょうか?まれに、記憶があるという人の話が、ネット上にはあったりします。

誰の生まれ変わりという事よりも、ここの事がとても大事だと思うのです。

記憶があったならば、前生に借金をしていたならば、いつまでも借金に追われることになります。ましてや、現在と過去の記憶とが入り混じって、生活する事が大変だろうと思うのです。(前生の記憶がない方が、どれだけありがたいかとも思うのです。)

これでは、出直し、やり直しにはなりません。天理教で「死」する事を、「出直し」というのは、こういう意味も含まれているのです。

それぞれが、自分の環境から、自分のいんねんを悟り、自分の心を立て替えていく、これがとても大切な事です。

昔の先生方が、神様のお話を聞き、命危ないところをおたすけ頂きましたが、この時の心定めがとても重要だと思います。そうした時に「生きながらの出直し」という言葉をよく使われたようであります。

これに関して、具体的に「稿本天理教教祖伝 逸話編」の中に、次の話があります。

【一つやで】逸話篇199  

 兵神真明講周旋方の本田せいは、明治十五年、二度目のおぢば帰りをした。その時、持病の脹満で、又、お腹が大きくなりかけていた。それをごらんになった教祖は、
「おせいさん、おせいさん、あんた、そのお腹かかえているのは、辛かろうな。けど、この世のほこりやないで。前々生から負うてるで。神様が、きっと救けて下さるで。心変えなさんなや。なんでもと思うて、この紐放しなさんなや。あんた、前々生のことは、何んにも知らんのやから、ゆるして下さいとお願いして、神様にお礼申していたらよいのやで。」
と、お言葉を下された。それから、せいは、三代積み重ねたほこりを思うと、一日としてジッとしていられなかった。そのお腹をかかえて、毎日おたすけに廻わった。
 せいは、どんな寒中でも、水行をしてからおたすけにやらせて頂いた。だんだん人が集まるようになると、神酒徳利に水を入れて、神前に供え、これによって又、ふしぎなたすけを続々とお見せ頂いた。こうして、数年間、熱心におたすけに東奔西走していたが、明治十九年秋、四十九才の時、又々脹満が悪化して、一命も危ないという容態になって来た。そして、苦しいので、「起こせ」とか、「寝させ」とか言いつづけた。それで、その頃の講元、端田久吉が、おぢばへ帰り、仲田儀三郎の取次ぎで、教祖に、お目にかかり、事の由を申し上げると、教祖は、
「寝させ起こせは、聞き違いやで。講社から起こせ、ということやで。死ぬのやない。早よう去んで、しっかりとおつとめしなされ。」
と、仰せ下された。そこで、端田等は急いで神戸へもどり、夜昼六座、三日三夜のお願い勤めをした。が、三日目が来ても、効しは見えない。そこで、更に、三日三夜のお願い勤めをしたが、ますます悪くなり、六日目からは、歯を食いしばってしまって、二十八日間死人同様寝通してしまった。その間毎日、お神水を頂かせ、金米糖の御供三粒を、行平で炊いて、竹の管で日に三度ずつ頂かせていた。
 医者に頼んでも、「今度は死ぬ。」と言って、診に来てもくれない。然るに、その二十八日間、毎日々々、小便が出て出て仕方がない。日に二十数度も出た。こうして、二十八日目の朝、妹の灘谷すゑが、着物を着替えさせようとすると、あの大きかった太鼓腹が、すっかり引っ込んでいた。余りの事に、すゑは、「エッ」と、驚きの声をあげた。その声で、せいは初めて目を開いて、あたりを見廻わした。そこで、すゑが、「おばん聞こえるか。」と言うと、せいは、「勿体ない、勿体ない。」と、初めてものを言った。
 その日、お粥の薄いのを炊いて食べさせると、二口食べて、「ああ、おいしいよ。勿体ないよ。」と言い、次で、梅干で二杯食べ、次にはトロロも食べて、日一日と力づいて来た。が、赤ん坊と同じで、すっかり出流れで、物忘れして仕方がない。
 そこで、約一ヵ月後、周旋方の片岡吉五郎が、代参でおぢばへ帰って、教祖に、このことを申し上げると、教祖は、
「無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。未だ年は若い。一つやで。何も分からん。二つ三つにならな、ほんまの事分からんで。」
と、仰せ下された。
 せいは、すっかり何も彼も忘れて、着物を縫うたら寸法が違う、三味線も弾けん、という程であったが、二年、三年と経つうちに、だんだんものが分かり出し、四年目ぐらいから、元通りにして頂いた。
 こうして、四十九才から七十九才まで三十年間、第二の人生をお与え頂き、なお一段と、たすけ一条に丹精させて頂いたのである。

・・・・・・・

「無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。未だ年は若い。一つやで。何も分からん。二つ三つにならな、ほんまの事分からんで。」

この言葉です。そうした姿を実際に、ひながたで見せて下さっているのです。

この逸話から、その他色々と悟る事が出来ると思います。

これまでの事をお詫びして、人のためにという心に切り替えてやり直す。それによって、結構にならせて頂ける。これを信じて、日々の事を通りたいと思うのです。

・・・・・・

親神様、教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。

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ヤフーニュースから。。。報道の記録。。元の理について。。一神教か、多神教か。

2021年01月18日 07時25分51秒 | 思った事

アメリカだ統領選挙から、報道が偏っている事を知り、YouTubeの動画をFacebookに張り、このブログにも記録として、記事を載せて来た。

ある時から、冷静な判断をするためには、記事だけではならない事、コメントもなければならない事に気が付いて、スクショで記録する事と下。

記録にしようとスクショだけ取ってある記事もあるのだが、時間がなくて公開はしていない。

アメリカ大統領選挙は、軍事政権樹立、トランプ大統領続投。という形が見えてきている。

鉄条網内の議事堂周辺が、違法者の留置場となるのではないかとも思えるくらいである。

私は、天理教者として、教祖の言葉、親神様の言葉を信じている。

昨日、『天理教教典』の「第三章元の理」と、『こうきの研究』に掲載されている、こうき話と呼ばれる「こうき本」の2つを、このブログに上げた。 こうき話16年本  和歌体十四年本(山澤本・37)

昔に、天理教が宗教弾圧を受けた原因は、この「元の理」である。当時、天皇は神との思想の元、日本は統治されていた。そこに当たって、全ての人間は、親神の子供であり、兄弟であるという話の根本となる話であり、人間の魂はどじょうであるという話などが弾圧の元となったのである。

当時も今も、おさづけやおつとめで「医者が手放した病気の方が不思議と治る事や、人知では解決できない問題が不思議に解決するなど」親神様の不思議は各地に現れていた。だから、信者は親神様・教祖を信じ、この中心となる教会本部の言葉で動いていた。

話がそれたが、この「元の理・元はじまりの話」は、人間が知恵や文字を習得する以前からの話である。

地球誕生以前からの話である。

私たち人間が様々な歴史を学び、考える事ができるのは、知恵や文字を親神様から与えられたからである。

天理教はこうした、人間の根幹を教える話であり、世界中にある宗教宗派、偉人たちが出現する元を教える話でもある。

元の理からすれば、一神教ではなく多神教といえる。神名を授けられた道具が神なのだから。

しかし、教祖を月日の社とされた、天理王命として考えると、一神教となる。その時には、神名を授けられた道具は、天理王命の守護の一つひとつになるからである。

さらに、「おふでさき」のからすれば、真実の神は「月日」の2つである事になる。 教典第3章元の理

  このよふのしんぢつの神月日なり
  あとなるわみなどふくなるそや       六 50

こうした点を考えると、一神教か、多神教というのは、見方によっての表現でしかない事が分かる。

その他、各地の神様(参り場所)について、おふでさきの注釈で、予言された事が書かれてあるのだが、これはまたの機会にする。

天理教の教えの基準とするものは、「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」(これは、親神様が直々に下されたお言葉である。)の外に、教えの概要をまとめた「天理教教典」があり、歴史の上から教理を説いた「稿本天理教教祖伝」「稿本天理教教祖伝逸話編」「稿本中山真之介伝」がある。そして、これらを補完する上に、様々な書籍が出されている。私がいつも引用する「正文遺韻抄」をはじめ、「先人の遺した教話」、またいくつかの大教会から出されている「教会史」や初代の伝記などである。

さらには、不思議なおたすけを体感して、その事実を記載したおたすけ話も、色々な方が書いている。

また、世の中には、天理教を反対しての書籍もある。こうしたもろもろすべてが、親神様の御守護を知り、自分たちが幸せになるために参考資料だと私は思う。

今、世界中で・日本中で様々な事が起こっている。けれども、それを知らない人もある。インターネットもテレビも何もない中で生活をされている方にとっては、知る由もない事である。

けれども、「知った」という事は、それを思案する「いんねん」があると私は考える。これをどうするかは、それぞれである。

天理教の中でも、この「いんねん」という言葉を排除しようとした時期がある。この事についても機会があれば書きたいと思う。

 

これを読んでくださった方々、今の天理教は、表統領先生が話された通り、やり直しの時である。という事は、世界もやり直しの時と考えて良いかと思う。

「元の理」では、何度も「出直した」として、やり直しが記されている。

人間としての姿かたちは、何度もやり直して、物などを作る上にとても便利な体に、ここまで整っている。

次は心の成人である。そのための出直し、「心のやり直し」が繰り返されるとも考える事が出来ると思う。

 

身体があってこそ、心が動く、相手があるからこそ、心が動き、幸せも不幸せも感じるのである。

身体のみならず、この世界全ては、親神様からのかりものである。

これを忘れない事、これを心に定めておくこと、これがとても大切な事だと思う。

 

以下に書く切っ掛けとなった記事を、記録としてコピペしておく。

・・・・・・・・・

報道されぬトランプ弾劾反対論

配信 Japan In-depth

【まとめ】

テキサス・メキシコ国境付近に設置された新しい国境の壁の前で演説するトランプ大統領(2021年1月12日) 出典:flickr; The White House
 

トランプ大統領弾劾訴追決議案を可決した米下院(写真は2021年1月3日の開会式の様子) 出典: United States House of Representatives

古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

・・・・・・

記事 スクショ

 

 

 

 

コメント スクショ

 

 

 

 

 

 

2021年1月18日朝の記事より。。

 

親神様・教祖、どうか大難は小難にとお守りください。

 

 

 

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第3章「元の理」

2021年01月17日 21時45分26秒 | こうき本

    第三章 元の理     『天理教教典』

 親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろとして、この世の表に現れた、奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた。

 この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。
 そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢょの中に、うをとみとが混っている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。
 続いて、乾の方からしゃちを、巽の方からかめを呼び寄せ、これ又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めて、これ等を男一の道具、及び、骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び、皮つなぎの道具とし、夫々をうをとみとに仕込み、男、女の雛型と定められた。いざなぎのみこと いざなみのみこととは、この男雛型・種、女雛型・苗代の理に授けられた神名であり、月よみのみこと くにさづちのみこととは、夫々、この道具の理に授けられた神名である。
 更に、東の方からうなぎを、坤の方からかれいを、西の方からくろぐつなを、艮の方からふぐを、次々と引き寄せ、これにも又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試された。そして夫々、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る道具と定め、その理に、くもよみのみこと かしこねのみこと をふとのべのみこと たいしょく天のみこととの神名を授けられた。
 かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに、人間を創造されることとなった。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢょを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたねとされた。そして、月様は、いざなぎのみことの体内に、日様は、いざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の間に、九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなみのみことの胎内に宿し込まれた。それから、いざなみのみことは、その場所に三年三月留り、やがて、七十五日かかって、子数のすべてを産みおろされた。
 最初に産みおろされたものは、一様に五分であったが、五分五分と成人して、九十九年経って三寸になった時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも、身を隠された。しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の子数を宿し込み、十月経って、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って三寸五分まで成人して、皆出直した。そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って四寸まで成人した。その時、母親なるいざなみのみことは、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、にっこり笑うて身を隠された。そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた。
 その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後に、めざるが一匹だけ残った。この胎に、男五人女五人の十人ずつの人間が宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になった時、親神の守護によって、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別出来るように、かたまりかけてきた。そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎に一人ずつ生れるようになった。次いで、五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになった。
 この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。

  月日よりたん/\心つくしきり
  そのゆへなるのにんけんである       六 88
  このよふのしんぢつの神月日なり
  あとなるわみなどふくなるそや       六 50
  にんけんをはぢめよふとてたん/\と
  よせてつこふたこれに神なを        六 51

 この世の元の神・実の神は、月日親神であって、月様を、くにとこたちのみこと 日様を、をもたりのみことと称える。あとなるは皆、雛型であり、道具である。更に申せば、親神は、深い思召の上から、その十全の守護を解りやすく詳しく示し、その夫々に神名をつけられたのである。

  しかときけこのもとなるとゆうのハな
  くにとこたちにをもたりさまや      一六 12

 思えば、親神は、この世人間を造られたばかりでなく、長の歳月、限りない親心をもって、その成人を守護し、時に応じて旬々の仕込みをなされた。人類の成人とその文化の発達とは、悉く親神の篤い守護による。

  月日にわせかいぢううをみハたせど
  もとはじまりをしりたものなし      一三 30
  このもとをどふぞせかいへをしへたさ
  そこで月日があらわれてゞた       一三 31

 親神は、この真実を明かし、一れつ人間に陽気ぐらしへの道を教えようとて、教祖をやしろとして表に現れられた。即ち、最初産みおろしの子数の年限が経った暁は、元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようとの、元初りの約束に基く。

  にんけんをはじめだしたるやしきなり
  そのいんねんであまくたりたで       四 55
  このよふをはぢめだしたるやしきなり
  にんけんはじめもとのをやなり       六 55
  月日よりそれをみすましあまくだり
  なにかよろづをしらしたいから       六 56

 親神は、この約束により、人間創造の母胎としての魂のいんねんある教祖を、予めこの世に現し、宿し込みのいんねんある元のやしきに引き寄せて、天保九年十月二十六日、年限の到来と共に、月日のやしろに貰い受けられた。この人と所と時とに関するいんねんを、教祖魂のいんねん、やしきのいんねん、旬刻限の理という。

  この月日もとなるぢばや元なるの
  いんねんあるでちうよぢさいを       八 47
  このはなしなんでこのよにくどいなら
  たすけ一ぢようけやうのもと        八 48

 かくて、親神は、教祖の口を通して、親しく、よろづいさいの真実を明かされた。それは、長年の間、一れつ人間の成人に応じて、修理肥として旬々に仕込まれた教の点睛である。即ち、ここにいよいよ、親神直直のだめの教が垂示された。けだし、十のものなら九つまで教え、なお、明かされなかった最後の一点、元の親を知らして、人類に、親神の子供たるの自覚を与え、一れつ兄弟姉妹としての親和を促し、親子団欒の陽気ぐらしの世と立て替えようとの思召からである。これを、

  このよふを初た神の事ならば
  せかい一れつみなわがこなり        四 62
  せかいぢう神のたあにハみなわがこ
  一れつハみなをやとをもゑよ        四 79
  せかいぢういちれつわみなきよたいや
  たにんとゆうわさらにないぞや      一三 43

と教え、更に又、

  月日にわにんけんはじめかけたのわ
  よふきゆさんがみたいゆへから      一四 25
  せかいにハこのしんぢつをしらんから
  みなどこまでもいつむはかりで      一四 26
  このさきハせかへぢううハどこまでも
  よふきづくめにみなしてかゝる      一〇 103

と仰せられている。陽気ぐらしこそ、人間生活の目標であり、理想である。これを実現しようと、よふきづとめを教えて、たすけ一条の道をつけられた。よふきづとめの理は、実に、この元初りの真実による。

  ちよとはなしかみのいふこときいてくれ
  あしきのことはいはんでな
  このよのぢいとてんとをかたどりて
  ふうふをこしらへきたるでな
  これハこのよのはじめだし
 

※「元はじまりの話」の研究材料として 2021.01.17

 

親神様・教祖、大難は小難にとお守りください。

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「元の理」こうき話2。。。こうき話十六年本

2021年01月17日 21時13分08秒 | こうき本

こうき話十六年本

 ……次に、十六年本の一つ“桝井本”を紹介いたします。同じようなお話の羅列になりますが、比較されますと、だんだん内容が粉飾されてゆく様子がおわかり頂けると思うからであります。
 十六年本の様子につきましては、前にも申しましたように、『復元』第十五号に発表されてありますが、諸本の照合による校正を避けて、桝井本の姿のままを紹介することにいたします。これには他本との間に、御守護の説きわけに、順序を異にしている点がありますので、とりあえずそのままを発表することにいたします。……(「こふきの研究」p107より抜粋)

 

16年本(桝井本・5)内容

「こふきの研究」p108~140

【註・文中カッコ内は、桝井本(5)に欠けていて、意味が通じ難いので、上田本(20)宮森本(21)梶本本(22)喜多本(23)などによって補いました。の《補・○○本》としてあるのは、補った本を示すものであります。】
(文中の[1]などの数字は「こふきの研究」には無く、資料として使う上に私がつけた。)
指定の番号へ移動します。1234567891011121314 ]

神の古記
[1]  [ 1234567891011121314 ]
 此の世は、元人間も世界も無く、泥の海ばかり。その中に、神と云うは、月日両人(居たばかり。此月様と云わ《補・梶本本22》くにとこたちのみことと云う神なり。日様はわおもたりのみことと云う神なり。その中より、月様が先に居てた。国床を見定めて、日様へお談じなされ候には、
 泥の海に、月日両人居たばかりでは、神と云うて敬う者なし、何の楽しみもなく、人間を拵え、その上世界を拵えて、守護をさせば、人間は重宝なる者で、陽気遊山を見て、その他何事も見られること
と相談定まり、此の人間を拵えるには、種・苗代が要るに、道具雛型なくばいかん事故(註:ことゆえ)、道具雛型を見出すること。
 見澄ませば、ぎぎよと云ううをがいる。此うを人ぎよとも云う、人間の顔で、鱗なし。肌は人間の肌。又見澄ませば、みいと云うしろぐつながいる。この者も、今人間の肌にて、鱗なし。この二人とも、心は真っ直で、正直なる者、此の姿、心を見て、これを引き寄せ貰ひ受けて、此の姿をも以て人間拵える種・苗代に貰い受け様と、相談まします。右両人引き寄せて、
 此の度人間と(云者を拵ゑ度ニ付、其《補・梶本本22》)方(註:ほふ)の姿、心を以て、人間の種・(苗代《補・梶本本22》)に貰い受けて、
仰せられ候えば、両人嫌うて、断りを申上ると言えど、押して貰い、
 人間を拵え、世界を拵えその上は、此の世の一神に授け、人間の親神と拝ますことゝ、
言うて無理に承知をさせて、貰い受け遊ばされて。
[2]  [ 1234567891011121314 ]
 それより、なによの道具、人間の魂、五体の道具雛型を見出そふと見澄ませば、泥海中にとじよふばかりおる。この者を貰い受け、食べ、此の味わい心を見て人間の魂とす。又見澄ませば、乾の方にしやちほこがいる。此の者に承知をさせて貰い受け、食べて心味を見るに、しやちほこ云ううをは勢い強く、変にしやくばる者である故に、男の一の道具に仕込みて、人間の骨の守護とす。又、巽方にかめがいる。これ貰い受け、食べて心味わい、姿を見るに、此の者は皮強く、倒れぬ者である故に、女の一の道具に仕込んで、人間の皮つなぎの守護とす。又、東の方にうなきがいる。これを貰い受け、食べて心味わい、姿を見るに、此の者は勢強く、頭の方からでも、尾の方へも出入りする者である故に、人間の飲み食い出入りの守護とす。これを五体とす。
 人間に、息、風を以て物を言わす道具雛型と見澄ませば、坤の方にかれがいる。此の者承知をさして貰い受け、食べて心味わい、姿を見るに、此の者は身薄(すき、味よき者で有、丸き《補・梶本本22》)ものや、角なるものでは風が出ず、身薄きもので扇げば風が出るものである故に、人間の息、風の守護とす。尚も人間の楽しみ、食物を第一に拵え置く道具を見澄ませば、西の方にくろくつないる。此の者を引き寄せ、貰い受け、食べて心味わい、姿を見て、此の者は勢強く、引きても切れぬものである故に、食物、立毛、地より生えるものゝ引き出しの守護として、一に使た道具なり。又、人間の生るふ時親子の縁を、死に出直しの時に縁切りの道具、見澄ませば、艮の方にふぐと云ううをがいる。此の者を貰い受け、食べて心味わい、姿を見るに、此の者は大食するもので、食べて中(註:あたる)ものである故に、人間の生き死にの時縁を切る守護とす。此の世のよろづ切るものに守護とす。
[3]  [ 1234567891011121314 ]
 これなる、道具とするを嫌う者を無理に貰い受け、人間を拵える相談を定めて、ぎぎよしやちほこを男一の道具に仕込み、それよりくにとこたちの命との心を入り込み、男神で人間の種なり。みいかめを女の一の道具に仕込み、それにおもたりのことの心を入り込み、女神にして、人間の苗代となして、此の屋敷のかんろたいじばを神体(註:神たい)の中央として、北枕に寝て、九億九万九千九百九十九人の人数、三日三夜に南無々々と二人づつ宿し込み給う。此の事を以て、南無とはあうんのことなり。今人間も南無々々として居ることは良ことなり。南無と云うは夫婦のことなり。夫婦とは、天と地を象りて夫婦はじめた事なり。人間と云う名を付けたは、雛形の人ぎよと人間の良き事あれば、これを今にけんと云うことの残り、この二つの理を以て人間と名を付け給う事なり。
[4]  [ 1234567891011121314 ]
 東西と云う、西東北南と云うは宿し込みの時、北枕の西向きに寝た人間の本芯は目の事故、西向きを西と云う。西より目を東へ送る故に東と云う。様は先に起きて北向きになる故に北と云う。様はあとより南向きに起きなされた故に南と云う。
 此世と云うは、夜から世ふ照らしなさる月様が先はじめ、夜から始まりた此の理をもって、此の世と云う。これ皆人間の言うことは、元初めの時人間を象りて名を付けた(事を云て居るなり。《補・梶本本22》
 身の内は神のかりものなり。人間守護下さる神は、国とこたちのみ事おもたりのみ事、この二柱の(神《補・上田本20》)は元の神、あとの八柱の神は人間を拵えるに付き、使うた道具衆に神名を授け給う。この十柱の神は、此の世の元の神なり。
[5]  [ 1234567891011121314 ]
  此の訳左に
 くにとこたちの命は、天にては月様なり。この神は男神にして、御姿は、頭一つ、尾は一条(註:ひとすじ)の大龍なり。此の世界、国床を見定め給う。此の理を以てくにとこたちの命とゝ云う。又国を見定め給う故に国見定めの命と云う。人間を宿し込み給う時に、上より突くが故に月様と云うなり。月様が先に立つ故に日月とは云われず、月日と云う。三十日を又一月と云う。仏法にては、釈迦如来と現れ、仏法を授け給う。又、先に出でて法を始め給うにて、ぜんじゆう様と云う。人間身の内目の潤いの守護の神様なり。則(註:横に?)目は此の神様のかりものなり。
 おもたりの命様は、天にては日輪様、此の神は女神、御姿は頭十二の三条(註:三すじ)の尾に三つの剣ある大蛇なり。この神様は人間宿し込みたもう後は、日々に身が重くなる故に、おもたの命と云う。日々に理を増す故に日輪様と云う。尾に三ツの剣ある故に、此の理をあしきな女は邪険と今にても云うなり。頭十二ある一つの頭にて、十二月の間、一月づつ頭代わりて守護を事。日々代わりて守護。又、十二時(註:十二とき)つゝ頭代わりて、目を一時とす守護ある故に一ケ年を十二月と定め、一日を十二時(註:十二とき)と云う。十二支の方頭(註:ほふかしら)を取り巻きありて守護あり。此の理を以て十二支と云うなり。仏法にては三尊(?)(註:三づん)の弥陀如来、又、心澄んだる理を以て、勢至観音、大き見える故に、寛大とも云う。観音と云うも同じ理なり。人間の身の内温みの守護の神、又温みは此の神様のかりものなり。
 此の二柱の神様は、此の世の人間の実の親様。人間には此の世御照らしの如く入り込み、御守護なされ、故に、自由自在を叶うことなり。
 後なる神様は、此の二柱の神様の守護に依って、御働きあることなり。
 国さつちの命、この神様は天にては源助星、女神様なり。御姿はかめなり。かめと云うは、皮強き、地につきても踏ん張り強く、倒れぬ者で、土色なるの故、くにさつちの神と名を授け、女一の道具に仕込んだ故、亀甲(註:かめこ)の理を以て、おめこと云うなり。おなごと云うも同理なり。人間皮繋ぎの守護、仏法にては普賢菩薩、達磨大師、弁天、結びの神、黄檗山(註:おふはくさん)の神の守護なり。此の世の金つなぎ、または、よろづつなぎものは皆此の神の守護なり。人間の身の内皮つなぎは、(此神様の借ものなり。万づつなぎ物は、此神の守護なり。《補・梶本本22》
 月よみの命様は、此の神は、天にては破軍星にて、男神なり。御姿はしちほこと云う。又、鯉のこせたる者も同ことなり。しちほこと云うものは、勢い強く、変にしゃくばるもの故に男の一の道具に仕込み給う。男の道具は此の理を以て、せいのこと云う。又、男と云うは、とこわ宿し込みのとき、突くが故に、此の理を以て月よみの命と名を授け給う。仏法では、八幡様と云う。聖徳太子様、此の神様の御守護なり。人間身の内骨の守護なり。
 (雲読之命《補・梶本本22》)、神様は、天にては朝明神の星となり。女の神にして、此の姿、うなぎなり。此の者は、頭の方へも、尾の方へも出入りする者で、つるつくものである故に、人間の飲み食い出入りに使うた道具なり。故に、くもよふみの命と名を授け給う。仏法にては、文珠菩薩、龍王、神農、薬師如来、水神様。此の神、飲み食い出入りは、此の神様のかりものなり。此の五柱神様の守護によつて、これを五体と云うなり。
 かしこねの命、此の神様は、天にては未申の方に集まる星なり。男神にて、御姿はかれと云うなり。此の者は身薄き者で、故に、人間の息の、風の道具に使うた。故にかしこねの命と名を授け給うなり。仏法にては、大日如来、円光大師様、此の神様の守護なり。人間の息此の神様かりものなり。息は風、風で吹き分けて物を言わすなり。
 人間身の内は、六柱の神が入り込みて守護を下さる故に、自由に叶う事故、これ全く、此の神のかりものなり。此の六柱の神様は南無阿弥陀仏なり。南無と云うは、目、温み。阿弥とは、皮繋ぎに、芯の骨なり。陀仏とは、飲み食い出入りに、息の事なり。南無阿弥陀仏と云うは、人間の身の内の事なり。これで身の内六台と云うなり。火と水は一の神なり。風よりほかに神はなし。息は風なり、風は神なり、如何なあしきも吹き払うなり。
 おふとのへの命、この神様は、天にては宵の明神の星なり。男神にて、御姿はくろぐつな也。此の者は勢い強く、引きても切れぬ者故、人間の食物、立毛、万物引き出しの道具に使うた神なり。引き出すには大綱が要る。又、引き出す者は玄人(註:くろと)と云う。何事にても、先立つてする者は、玄人云う名今にあり。此の理を以ておふとのへの命と名を授け給う。仏法にては、不動明王と名を授け給う。尚又、弘法大師、役行者、此の神様の御守護なり。故に百姓の神なり。
 たいしょくでんのみことは、此の神様は、天にては艮の方にあつまる星なり。女神にして、御姿ふくと云ううをなり。此の者は、食えば中る(註:あたる)ものである故、人間の死に生き、縁を切り道具に使た。ふくと云うもの、人間も大食すれば、寿命を無くなる。よく中る故に、此の理を以て大食天の命と名を授け給う。仏法にては、虚空菩薩、妙見菩薩、鬼子母、県さん、此の神様の守護に同じ事なり。此の神様は鋏にて、よろづ切る。
 (伊邪那岐の命、此《補・梶本本22》)神、天にて、天の川隔てにして現れある星なり。七夕様と云う。げぎよふ、または、人魚とも云ううをなり。此の者は今の人間なる様な姿にて、心も真っ直ぐなるもので、これを雛形として、人間の種に使たもの、これは人間の父様なり。この証拠に、伊勢の内宮様、天照皇太神宮、此の神なり。
 いざなみの命は、此の神様は、天にては天の川隔てにしている七夕様という星なり。女神にて、御姿は白くつななり。しろくつなと云うは、此の者も人間の肌にて、綺麗なる者、心も真っ直ぐなるもので、これを人間の苗代に使うた。これは人間の母親なり。此の証拠に、伊勢の外宮様、天照大神宮様は此神なり。
[6]  [ 1234567891011121314 ]
 天輪王命は此の十柱の神の総名なり。此の神様は無い人間拵えるに付使た道具なり。此の者を神となして、人間の身の内、此の神様の守護なり。此の外に、何の処つても、(何処を尋ても《補・梶本本22》)身の内より外に神はなし。此の世の神や仏と云うて拝ましていたれとも、皆人間が、紙や金や木をもつて拵えたものばかりなる故に、どうも紙や金や木の中へは神が入り込むことは出来ずもの、人間には皆神が入り込み、何の守護もする故に、人間に勝れる神がない事なり。
 此の度、天輪王の命と名を授け給うは、当年八十六才になる中山みき、此の者も、前部にある通り、若い時より、ただ、人をたすける心一条の者、此の心を月日しかと受け取り見澄ませば、此の者の魂と云うは、いざなみの命の魂を生まれさせおきた事故、四十六年以前に天降り、体内(註:しんたいとルビあり)月日の社に貰い受け、心を天理に叶た故に、みきの代わりに此のやしきに天輪王の命と名を授け、又屋敷は人間宿し込み元のぢばの事故に、地め名に授け給うなり。
 此の事、皆(取次ゑ《補・梶本本22》)聞かし下さる話と云うは、右みき人間の心なく、何の覚えもなく、月日様入り込み刻限をみて四十六年以前より今日に至りても、神の御話ある事を取り次ぎのものへと(聞かせ被下事なり。《補・梶本本22》)元十柱の神の魂を、一に人間に生まれさせておきて、それに月日入り込み、人間月日の使うた一の道具なる。
[7]  [ 1234567891011121314 ]
 此の度迄は此たすけ、教える事出来ず、故に、これ迄世界中に、拝み祈祷や、易判断、医者薬、これは皆人間の修理肥に教えある事なり。
 これ迄に、人間の宿し込み相済み、又、人間生み出(したる《補・梶本本22》)人数の年限相過ぎ候。(故、元の神々の魂を《補・上田本20》)此のやしきへ生み出している。此のやしきは、人間宿し込み、三年三月留まりて、此のやしきより生まれ出るなり。此の世人間の親里なる故に、道具を貰い受けたる時に、人間の年限を経ちたならば、元の屋敷へ連れ帰り、陽気遊山を見て、楽しみ遊びをさせますとの約束ある故の事なり。故に、元の親を生まれさせおきて、その者を月日の社として入りこみ、たすけ教えるも、無い人間、無い世界を拵えたも、何の形もなくに拵えたは、六ツかしいことである。
[8]  [ 1234567891011121314 ]
 又、此の度たすけ始め教えるも同じ事にて、神の言う事は、これ迄に書き物にあることや、人間の知りてる事は言わん。これ迄ある事は、言うて教えるには及ばず。書き物にても無い事、人間も知らぬ事を言うて教えること故に、これ又むつかしい筈の事。
 此の世は月日両人の身体なり。天地抱き合わせの世界。人間は、月日懐に住ま居して居るものなり。それ故に、人間のする事に、月日の知らん事はなし。人間は皆神の子なり。身の内は神のかしものなる故に、他人と云うは更になし。皆兄弟なり。
 これ迄は、人間に病と云えば、医師、薬、拝み祈祷と云うていたれども、人間には病ないものなれど、人間には八つの心得違いの道がある故に、病の元は心からと云うなり。この八ッ心違いと云うは、ほしひおしみ、(恨み《補・梶本本22》はらたちかわひにくいよくに、こふまん。これ八つの心得違いは身の内のほこりとなり、十五歳になる迄の子供のあしきは親のほこりを子に現れて意見する事なり。十五歳以上はあしき病や、不時災難、これ皆、その者は第一、家内中のほこり積もり重なる故、意見立腹。此の意見も憎さではなし、たすけたいから、心直す為に意見する事なり。此の親にたすけを頼むことならば、親の教えの道家内残らず、十五歳よりの、右八ッの心得違いを真実よりさんげして、此の後は、虚言(註:きよふげん)とついしょふ、よくこふまんなき様にして、人をたすける心と入れ替えて願えば、その心を神が受け取りて、よろつたすけをするなり。
[9]  [ 1234567891011121314 ]
 尚、此の度かくらつとめを教えるは、これも、これ迄ないこと始めかけ、これは元十柱の神の姿の形を以て、かくら両人は、国常立之命面足の命なり。男神、男の面を冠り、女神は女の面を冠り、つとめ手振りも、元の道具の雛形、形を学びをし、陽気遊山踊りをする事なり。この人衆十人、鳴物数九ツ以て神をいさめる事なり。人衆都合十九人にて、よふきつとめなり、よふきつとめをしてたすかると云うは、陽気遊山を見ようとて人間を拵えたる世界なり。依って元の姿を寄せて、共々勇むるに付、たすけるものは、たゝ、人間はそれを知らずして、人はどうでも、我が身さいよくばよき事と思う心は違うから、此の度のたすけ教えるは、あしきを払いて、陽気の心になりて願えば、神の心も人間の心も同じ事故、人間の身の内は神のかしものである故に、人間心を勇めば神も勇んで守護すれば、身の内あしきことはつとめ一条で、よろづたすけすると云うは、願い人は勿論、つとめの人衆も真実よりたすけたいとの心を以て願う事なり。
[10]  [ 1234567891011121314 ]
 人間、神のかしもの、身の内は、神の自由はおびやたすけで思案してみよ。産の許しは此のやしきへ願い出るなら、腹帯要らず、凭れ物要らず、七十五日の毒忌みも要らず、身の穢れなし。常の通りに許す事、おひやたすけは、人間を拵えた神の証拠に、よろづたすけの道開けなり。
[11]  [ 1234567891011121314 ]
 又この先は、人間の心澄まして、何時迄居りても、病まず死なず、弱らずのたすけを教える。おびや自由、早めなりとも、延ばしなりとも、願い通り叶うようの守りだす。疱瘡せぬようの請け合いの守り、又は、悪難除けの守り出す。百姓のたすけは、萌え出(註:はゑで)の札、虫払い札、成熟の札、肥のさつけの札。肥やしのさづけと云うは、糠三合、灰(三《補・梶本本22》)合、土三合、都合九合調合して、肥一駄のたすけなり。これ皆守りは、千宛てつゞ、つとめにかけて出す。札は千枚つゝ一つとめにかけて出す。肥は百駄つゞ一つとめにかけて出す。これ皆かくらほんつとめなり。
[12]  [ 1234567891011121314 ]
 老母に赤き着物は、天照の如く、月日、天に現れて照らすは、両人の目なり。目は開く故に世界中明らかなり。それ故に、やしろの赤き故に、世界中は明らかなり。それ故にやしろ何の事でも見いるなり。それ故に他なる着物は着れば身が暗し故、着て居る事は出来ぬ事。此のやしろも同じ人間に候らえども、此の者は、元の親のいざなみの命之魂なる故に、何の処の者でもたすけたい、可愛いばかりの心なり。此の者を雛形として月日入り込み、たすけ教える事であるから、世界中の者、親里参り、親にたすけて貰おと思うて願うなら、又、此の親の心を雛形として心入れ替えば、たすけは勿論、善悪とも神より返しをする事間違いなし。
[13]  [ 1234567891011121314 ]
 人間拵えたのは此のやしきの中央にて、前の部にある通り、いざなぎの命しやちほこを男の一の道具に仕込み、それに国常立之命を入り込み、どじよふ人間の魂として、いさなみの命かめを女の一の道具に仕込み入れた。おもたるの命を入り込み給うて、人間の苗代として九億九万九千九百九拾九人の人数を南無々々と二人宛三日三夜に宿し込み、三年三月留まりて居りて、それより今の奈良、初瀬七里四方の間七日かゝり産み下ろし、此のぢばが神かたと云うのは此の処なり。残る大和の国中四日かかりて産み下ろし、これで十(一《補・梶本本22》)日がおびやあけと云う。山城、伊賀、河内、三ケ国十九日かゝりて産み下ろし、これ三十日をはんみやと云う。残る今の日本中四十五日かゝりて産み下ろし、都合七十五日の間かゝりて産み下ろし、これ故に七十五日の間はおびや中と云うなり。即ち、産み下ろし毎に親の息をかけて産み下ろしおく。このぢばは今の宮地の地場となりてある処なり。これにていさなぎ様は死亡する。
 此の人間生まれ出しては、五分より生まれて九十九年目に三寸迄成長して、皆死亡す。又、元の人数を同じ胎内へ宿り込み、十月目より、又、諸処へ産み下ろし廻り、この地場は今の墓所なりてある処なり。此の人間も五分から生まれて、九十九年目には三寸五分迄成長して、皆死亡す。一度教えたる守(護で、元の人数同じ胎《補・梶本本22》)内へ三度宿り込み、又、十月目より、以前の諸処へ産み下ろし、此の地場は今のはらてらの詣り所なり。これを一みや、二墓、三原(註:三はら)と云う参り所なり。
 此の人間も五分から生まれて、九十九年目に四寸迄成長す。いさなみ様はこれを見て、こゝ迄成長するならば、五尺の人間になると喜こんで、にいこり笑うて死亡なされ、また四寸の理と、につこり笑うた理を以て、生まれ出るところも二寸に四寸、死に行く穴も二尺四寸と云うなり。
 又、此の人間も親の後を慕うて、残らず死亡す。それより、鳥類、畜類、虫螻(註:むしのら)異形の者と八千八度生まれ替わりた。故に、今人間は何もの真似でも出来る事なり。
 此の年限は、九千九百九十九年目に死亡す。又、さるが一人残りいる。これはくにさつちのみことなり。此の胎内に、男五人、女と十人づゝ生まれ、此の人間も五分から生まれて、五分々々とだん/\成長して、又、八寸迄成長した時に、泥水、高低出来かけ、一尺八寸迄成長したに、子が親(となりて、元の人数生揃ひ《補・梶本本22》)水土分かりかけ、これより男一人、女一人と二人つゝ生まれて三尺迄成長した時に、天地海山分かりかけ、人間物を言いかけ、それで、今人間は三才で物を言いかけるなり。五尺成長する迄は水中に住ま居。五尺になる迄に、人間の成長に応じ、天地海山、水土速やかに分かりあり。
 人数九億九万九千九百九十九人の内、大和の国へ産み下ろしたる人間は日本の地に上がり、外の国へ産み下ろしたる人間は食物を食い廻り、唐、天竺の地上がり行きたものなり。
 此の年限九千九百九十九年之間水中の住まいす。地に上がりたるより四十六年以前迄の年限九千九百九十九年なり。此の内、六千年の間人間に神が入り込み、何事も教え来たる事なり。人間のする事を神が教えたる事は誰も知りたる者はない筈の事、人間を拵えても、これ迄人間に入り込んで、口を借りて教えたことは今初めの事故に、実に承知する者少なし。虚言(註;きよふげん)と思えば虚言となる。真(註;まこと)と思えば真なる。神の言う事は真実と思て願えば、拝み祈祷や、薬飲まいでも、話一条で皆たすかる事、これ証拠なり。
[14]  [ 1234567891011121314 ]
 又、かんろだいを建てておくは、人間宿し込みたるじばの証拠に、元の十柱の神の謂うわれ形を以て建ておくなり。又この先は、世界中の心澄みたるうえは、かんろふだいの上に平鉢に食物を供え、それにかんろふを与え、これは人間の寿命薬となる、との御はなしなり。
 人間には病なく、薬なく、毒もなくして、此の元は皆心から。人間は死に行くと云うていれども、死に行くでなし。身の内は神が退く事なり。死ぬると云うは、衣服を脱ぎ捨ているも同し事なり、神が教え給うなり。
(終わり)

 

【データ入力にあたって】
(註1;文字をデータ化するについて、ひらがなの横に漢字を書くような書き方は出来ないため、横に書かれている漢字を用いて入力をする。また「ゑ」という表記は「へ」「え」に、「よふ」などの「ふ」も「よう」などの「う」に、「へ」も必要に応じ「え」とし、「ハ」「バ」は「は」「わ」「ば」とし、「わ」も必要に応じて「は」と書き換えた。)
(註2;文中の各註は漢字があてられた元の読み方又は字)
(註3:本文中に《重複》とあるものは削除した)
(註4:本文中に下線があるものには下線を施したが、傍点のあるものは傍点を附けられないので字の色を
緑に変えて表示した)

 

※「元はじまりの話」の研究材料として。 2021.01.17

親神様・教祖、大難は小難にとお守りください。

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「元の理」こうき話。。。和歌体十四年本(山澤本・37)

2021年01月17日 21時01分52秒 | こうき本

和歌体十四年本(山澤本・37)

「こふきの研究」p56~73より

……先ず和歌体と説話体の両本を紹介することにいたします。
 和歌体は、明治十四年のもので、前回お話申したように、沢山の写本があり、歌の多少の差はありますが、『復元』第十四号で山澤為次氏のしるしているように、百六十首本と、百六十一首本の二首に結着するようでありますので、各写本の相違についての考証をを略して、『復元』第十四号にならい、山澤良助筆“明治十四年三月記之、山澤良助”と表記されている写本(37)を台本として、桝井本“此世初まりのお噺控え”(4)によって第百六十一首を補足して、紹介いたします。
 この山澤本は、おふでさきのように、一枚に八首の歌を、十六行に誌してあります。今、説明の都合上、歌の頭に番号をつけ、又、一枚を二頁に数えてこれを下方に記しましたが、勿論、これらの数字は、原本にはありません。また、原写本は、主として平仮名で誌され、脱字、誤写、漏写等ありますが、本文はそのままとして、右側に漢字を加え、また、訂正しておきました。神名等は、教典の例にならわず、原写本の用法をそのまま残し、側線をほどこしました。……(「こふきの研究」p56より抜粋)

 

和歌体十四年本(山澤本・37)内容

(註1;文字をデータ化するについて、上記のような書き方は出来ないため、横に書かれている漢字を用いて、入力をする。また「ゑ」という表記は「へ」「え」に、「よふ」などの「ふ」も「よう」などの「う」に、「へ」も必要に応じ「え」とし、「ハ」「バ」は「は」「わ」「ば」と書き換えた。)
(註2;文中の各註は漢字があてられた元の読み方又は字)

1、此の世は本元なるは泥の海 元なる神は月日様なり
2、それよりも月様先へ国床を 見定めつけて日様に談じ
3、それ故にくにとこたちのみこと様 此の神様は元の親なり
4、これからに世界拵え人間を 拵えようと相談きまり
5、人間を拵えるにはそれ/\の 道具雛型見出す模様を
6、見澄ませば泥海中に見えてある うをとみいとが混じりいるなり
7、このうをは顔は人間身体には 鱗なしなる人間の肌
8、それ故に人魚と云ううをなるぞ 見澄ますところ一条なるの
9、心見て承知をさして貰い受け これに仕込むる道具なるのは
10、見澄ませばしゃちほことて変なるの 勢い強き此の勢を見て
11、貰い受け食て了もをては此の者の 心味わい引き受けなして
12、男の一の道具に仕込みあり 人間なるの骨の守護
13、このうをにくにとこたちが入り込んで 夫婦始め人間の種
14、それ故に神名をつけて大神宮 これなる神はいざなぎの神
15、此の神は何処に居るとな思うなら 当年巳の十六才
16、存命で在しますなり此の神は 元のやしきの一の神なり  註;在します=(おわします)
17、みい様はしろぐつなとて肌合いは 人間なるの如くなるなり
18、この心真あ直ぐなるを見定めて これを引き寄せ承知をさして
19、又他を見澄ますれえばかめがいる このかめなるは皮強くにて
20、踏ん張りも強くて倒けぬ此の者を 承知をさして食て了うなり 註;倒けぬ=(こけぬ)
21、その心味わいを見て女子の 一の道具に仕込み給いて 註;女子=(おなご)
22、みい様へ日様心入り込んで 夫婦始め人間なるの
23、苗代に使うたこれで一の神 いざなみの神伊勢では外宮
24、此の神は人間なるの元の親 此の親様は何処に御座ると
25、思うなら当年巳の八十と 四才にてこそ山辺の郡
26、庄屋敷中山氏と云うやしき 存命にてぞ在しますなり
27、現れて在しますなり此の親は 此の世にいる人間の親
28、又かめは人間の皮繋ぎにも 使うた道具これに神名を
29、くにさつち此の神様は親様の 胎内こもり抱きしめ御座る
30、今年から三十年経ちたなら 名はたまひめ元のやしきへ
31、連れ帰りその上なるはいつまでも よろづたすけの守護下さる
32、つきよみはしゃちほこなりこれなるは 人間骨の守護の神
33、此の神は当年巳の六十と 一才にてぞ現れ御座る
34、くもよみはうなぎなるなり此の神は 人間の食い飲みの守護神
35、此の神は当年巳の五才にて 存命にてぞ在しますなり
36、かしこねはかれいなるなり此の神は 人間息の守護の神
37、此の神は当年巳の八才で 存命にてぞ在しますなり
38、たいしょくてんのみことはふぐなるぞ 此の者心味わいをみて
39、人間の死に生きの時縁を切る これは此の世の鋏なる神 註;鋏=(はさみ)
40、此の神は当年巳の三十と 二才にてこそ在しますなり
41、をふとのべ食物の神これ神は くろぐつなとて引き出しの神 註;食物=(じきもつ)
42、此の神は当年巳の十六 存命にてぞ在わしますなり
43、人間の魂なるは泥海に いたるどじょう此の心見て
44、皆の者承知をさして貰い受け 食てその心味わいを見て 註;食て=(くて)
45、此のやあつ人間魂道具なり これに皆々神名をつけて
46、人間の子数は九億九万人 九千九百九十九人や
47、此の年を経ちたるならばいんねんの 元のやしきへ連れ帰りてぞ
48、陽気なる遊山遊びをさしますと 月日様より約束をなし
49、今此処で元の神々人間で 皆存命で現れている
50、これまでは此の親様へ出るまでは 我が身体は我がものなると 註;我が身体=(わがからだ)
51、思ていた心違いや此の度は 親様よりの教えを聞いて
52、発明して真実心誠ふと 思う心は家内残らず 註;発明=(はつめ)、家内=(かなえ)
53、かりものは目へ潤いと温みいと 皮繋ぎいに芯の骨なる
54、飲み食いや出入りなるも息なるも これみな神のかりものなるぞ
55、此の事を疑う者は更になし これ疑えば御利益薄し
56、かりものを誠真実思うなら 何叶わんと云う事はなし
57、此のやしき人間創め元のじば 此処は此の世の親里なるぞ
58、此の世の元のやしきのいんねんで 元の道具を生まれ御座るで
59、それをばな見澄まし給え四十 五年以前に天降りあり
60、日々に御話しありたその事を 詳しく筆に誌るすなり 註;誌るす=(しゆるす)
61、人間の一の道具はかめなると しゃちほことふこれ身の内へ
62、これよりも九億九万と九千人 九百九十九人子数を
63、このじばで三日三夜に宿し込み 三年三月留まりありて 註;三夜=(三よさ)
64、これよりな大和の国の奈良・初瀬の 七里の間七日かかりて
65、産み下ろし残る大和は四日にて 産み下ろしありこれで神館 註;神館=(かみがた)
66、山城に伊賀・河内と三国に 十九日にて産み下ろしあり 註;三国=(さんがく)
67、そのあとは四十五日他なるの 残る国々産み下ろしあり
68、これ故に七十五日をびやちう 産み下ろしたるじばはみや/\
69、人間は五分から産まれ五分/\と 成人をして三寸にては
70、果てましていざなぎ様はこれにてぞ をすぎましますこの後なるは
71、いざなみのみこと様なりその胎に 一度教えた此の守護で
72、又親に元の人数宿り込み 十月経ちた事なるならば 註;人数=(にんじゅ)
73、此の人も五分から生まれ五分/\と 成人をして三寸五分で
74、果てまして又もや同じ胎内に 元の人数三度宿りた
75、此の者も五分から生まれだん/\と 四寸になりてまた果てました
76、その時にいざなみ様も喜んで にいこり笑うてもうこれからは
77、五尺の人にはなると思し召し おかくれましたその年限は
78、この年は九十九年の間なり 三度ながらも九十九年や 註;この年=(このねん)
79、二度目の産み下ろしたる場所は 墓所なり三度めは 註;墓所=(はかしょ)
80、三はらやそこで一みや二墓なり 三度三はらこれ詣り所
81、これよりは鳥獣や畜類に 八千八度生まれ更わりて 註;鳥獣や畜類=(とりけだものやちくるい)
82、それ故に人なるものは何なりと 真似を出来ます事であるなり
83、此の間経ちたるならばその後は 月日様より又御守護で
84、さるなるを一人残りこれなるは くにさつち様此の胎にてぞ 註;一人=(いちにん)、胎=(はら)
85、人間を男五人と女子を 五人と都合十人づつ 註;女子=(おなごふ)
86、宿まりてこれも五分から生まれ出て 八寸の時水土分かり
87、一尺八寸の時海山も 天地日月分かりかけたり
88、一尺八寸までは一胎に 十人づつ生まれてるなり 註;一胎=(ひとはら)
89、これよりは三尺まで一胎に男一人に女子一人と
90、二人づつ生まれてたなり此の人を 三尺にて物を言いかけ
91、これ故に今人間も三歳で 物も言いかけ智恵も出来ます
92、これよりな今に於いても一胎に 一人づつと定まりなりし
93、此の人を五尺なるに海山も 天地世界も皆出来ました
94、水中を離れ出まして地の上に 上がりましたるその時までに 註;水中=(みずなか)
95、成人に応じ食物立毛も 不自由なきよふ与えあるなり 註;食物立毛=(じきもつりうけい)
96、だん/\と食物にては食い廻り 唐天竺へ上がり行くなり
97、人間を授けた神の証拠ふは をびや一条現れてある
98、此の話し宿り込むのも月日様 生まれ出るのも月日御苦労
99、産む時の守護下さる神様は たいしょくてんこれなる神は
100、胎内の縁切る神で法華(?)様 をふとのべへの神様なるは 註;法華(?)様=(ほふけさま)
101、産む時に引き出しの神真言で 産み出した後しまい繋ぎは
註;神真言=(かみしんごん)
102、くにさつち此の神様は禅宗で この三神はあつけん明王 註;三神=(さんじん)
103、此の三神をびや一切御苦労て をびや許しは腹帯要らず
104、凭れ物七十五日此の間 毒忌み要らず此の産式(?)を 註;産式(?)=(さんしき)
105、許しあり常の身体で穢れなし をびや許しは此のやしきにて
106、許し出すこれは此の世の人間を 創めかけたる親のやしきで
107、此の許し三千世界此の世に 他にあるまい生まれ故郷よ
108、人間を宿し込みたるやしきなる 証拠現すたすけ道開け
109、人間に病と言うてなけねども 心違いの道がある故
110、此の道は凡夫(?)心に八ツあり ほしいをしいとかハいにくいと 註;凡夫(?)=(ぶんぶ)
111、うらめしとはらだちよくとこふまんと これが八ツの心違いや
112、此の違い身の内なるの悪しきいの 譬え話の胸のほこりや
113、此のほこり積もり重なるそれ故に 病悩みも憂災難も 註;病悩みも憂災難も=(やまいなやみもうれさいなんも)
114、何もかも身の内守護神様の 心なおしの意見立腹
115、一れつにてんりん様を念ずるは 八ツのほこり十五才より
116、今迄にほこりつけたと思う事 心真実さんげをいたし
117、ほこりさい速やか洗た事なれば 病の根えは切れて仕舞うで
118、他なるのよろづたすけも同じ事 家内残らず心澄まして
119、願うなら家内睦まじ人間を 互いにたすけ心あるなら
120、此の心神様より見分けして よろづたすけや御利益深く
121、此の世ふも人間なるも出来たのは 月日様より御守護なり
122、此の元を知りたるものは更になし 天は月様地は日様や
123、此の世界天地日月同じ事 地と天とは実の親なり
124、父母と云うのは天地夫婦や 南無と云うのも同じ事なり 註;父母=(ちちはは)
125、後なるは道具衆なり人間の 五体残らず神のかりもの
126、神様のかりものなるは一に眼 これは月様かりものなるぞ 註;眼=(がん)
127、身の内の温み一切日様の かりものなるやこれ南無と云う
128、皮繋ぎくにさつちなる神様の かりものなるぞ芯なる骨は
129、つきよみのみこと様のかりものや これで阿彌なり飲み食い出入り
130、くもよみのみこと様のかりものや これで五倫と五体と云うなり
131、息吹くはかしこね様のやりものや 息で物言う風で吹き分け
132、これこそはなむあみたぶと六台や つなる神様たいしょくてん
133、あとなるのをふとのべゑの神様は 立毛引き出し百姓の神
134、此の神を寄り集まりて御座る故 方位八方許します
135、この内に東三神女子神 西三神は男神なり 註;東三神女子神=(ひがしさんじんをなごかみ)
136、辰巳いはくにさつち様仏法の 普賢菩薩に達磨弁天
137、戌亥はつきよみの神仏法の 八幡菩薩聖徳太子
138、東はくもよみの神仏法の 文珠菩薩龍王神農
139、薬師様薬の守護すいしやも 書物文字智恵も御守護
140、坤かしこねの神仏法の 大日様に法然様と
141、丑寅はたいしょくてん仏法の 虚空蔵菩薩妙見様に
142、鬼子母神橋詰様と儒来(?)と 県様とは同じ方なり 註;儒来(?)=(じゆらい)、方なり=(こふなり)
143、西こそはをふとのべ様仏法の 不動明王に弘法大師
144、此のやしき人間創め元の神 在わします故よろづたすけを
145、此の世を創めてからに今迄は 此のたすけをば出来ぬ事から
146、これ迄は医者薬も人間の 修理肥にて拵えありた 註;拵え=(こしらへ)
147、これからは医者や薬も呪いも 拝み祈祷もいらん事やで
148、神々の拝み祈祷や占いや これ人間の恩の報じ場
149、神様の御話聞いて思案して 真実心叶うた事なら
150、何にても叶わん事はなけねども 心違えば薬飲むなり
151、人間は死に行くなぞと言うけれと 死に行くやないかりもの返す
152、返すのは身の内ほこり積もる故 身の内神が退きなさる
153、此の事を着物に譬え話する 心のよごれはらさぬ者は
154、洗わずば着てる事をが出来んから なんぼ惜しても脱ぎ捨てるなり
155、着物でもなんぼよごれてあるとても 水で洗えば着て気がよろし
156、人間も心のよごれはろたなら 神も喜び守護下さる
157、人間は死ぬると云うは着物を 脱ぎ捨てるのも同じ事なり
158、神様は話しばかりで人間の 心よごれを洗いなさるで
159、此の話水と神様同じ事 よごれたるもの洗い澄まする
160、たすかるも心次第やいちれつに 早く心を澄ます事なり
161、心さい速やか澄んだ事ならば 親様よりはすぐに与えを

 

※元はじまりの話の研究材料として。。。2021.01.17

親神様・教祖、大難は小難にとお守りください。

 
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春の大祭を終わりました。。時間がありませんので、思いつくままに。。火の中もあり渕中も。。

2021年01月14日 06時40分41秒 | 思った事

本日は1月14日です。

12日に春の大祭を無事に終えさせて頂きました。

うちの大教会では、大教会からの巡教は直属の教会にのみ、年に2回(春秋の大祭)になっています。このコロナ禍で、その巡教も希望される教会のみとの事になっています。

昨年の秋の大祭に対して、うちの信者さんに対して「巡教をどうしますか?」と尋ねました。

一人は、「会長さんだけではなく、他の先生の話を聞かせてもらいたい。」との事でした。

他の人は「会長さんが決められたならば」という声でしたが、その中に言葉には出さないが、曇った顔をされる方がありました。

その方に尋ねると「でも、コロナですし。。。」との事でした。

その方は、うちの教会へ来るのには、全くマスクもなく(外ではマスクをチャンとしておられます。)おつとめをされるのです。また、私たち夫婦がそのお宅での講社祭をさせて頂くについては、とても歓迎して下さり、共々に12下りのおつとめをさせて頂いているのです。

また、その方は親神様の不思議を親に導かれて、いくつも体感されてきた方です。

その姿を見て、この教会や私たち夫婦を信用して下さっているが、大教会からの巡教については信用されていないと感じました。

そこで、「今回はなしにします。春の大祭には受けられるように御守護頂きたいと思います。」としました。

そして、今回、第3波で緊急事態宣言が出されるかどうかという瀬戸際の大祭です。

大教会長さんに来ていただき、全員がマスク着用の上で、つとめました。(9名だけのおつとめです。)

うちの教会では、参拝の仕方はそれぞれに任せてあります。

前日に参拝に来て、お供えを届けて下さっている方、月次祭当日に参拝だけで帰られる方、夜に参拝だけに来られる方など、少しの信者さんですが、それぞれ信仰で行ってくださっています。

これらの方々は、親々の信仰から感じて、それぞれ心で行われています。

これらすべて、親神様がご覧くださっています。それぞれに成人の度合いは違うのです。

長年教会に通われて年齢を重ねた方だから成人できている。(親神様の思し召しに近い歩みが出来る)とは限りません。

こうした事は、教祖のひながたの中、先人先生方の歩みを見れば重なる事ばかりです。

 

今月の婦人会で、妻に不思議を見せて頂きました。

最近足が痛み、正座が出来なかったのです。それが、婦人会の時、神様のお話をしあっている時に、不思議と正座が出来ていたのです。

妻の足の身上については、教祖130年祭の前に見せて頂いています。(心思う事があり、それによりすぐに痛みが無くなったのですが、不足をしたらすぐに痛みが戻った事がありました。)

本当に親神様は、見抜き見通しであります。そして、陽気ぐらしが出来る心に代わるようにと、様々とメッセージを下さっています。

しかし、そのメッセージを読み解けるかどうかは、それぞれなのです。

ともかく、信者さん方には、妻の足の話をして、私たちは親神様を知っています。しかし、どんなことが起こるか分かりません。心倒すような事も起きると思います。けれども、親神様が天から降ろして下さっている綱を離さないで下さい。と話しています。

 

教祖のひながたでは、「おふでさき」に「火の中もあり渕中もそれを越したら細い道あり 細道をだんだん越せば大道やこれがたしかな本道である」と書かれている通りに、心倒すような中も通られているのです。その中も親神様の思いに沿って歩まれたのです。

楽々の道ばかりを求めていては、反対になってなってしまうとも聞かせてもらいます。

 

今日は支部例会の日ですが、緊急事態宣言が出されましたので、中止として資料配布と、時間をずらして個別での、年末調整事務を行う事になっています。

一神教か、多神教かという事について書きたいと思っているのですが、時間がありませんので、後日書ける時があれば書きたいと思っています。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。

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記事とそれに対するコメントを記録。。。今は戦争の中という認識。。。証拠信心。。

2021年01月10日 08時14分38秒 | 思った事

ヤフーニュースを見ていたら、コメントに次のような文章があった。

コロナの世界的流行、米議会への突入、現職大統領のツイッター等アカウント停止などなど、
今は平時ではないと認識しておいたほうが良いと思います。

物騒な話題や真偽不明な情報をどこまで信じるかは個人で判断されることをお勧めしますが、
知らないより知っていた方が間違いなく良いので、
大統領選挙からの一連の流れを把握しましょう。

調べた結果何が正しいのかは、1月20日の大統領就任式前後でわかるはずです。」

というものである。

先日、ある方と話をしている中に、「アメリカの友人から、アメリカ大統領選挙について、色々な情報を送ってくれている。とても熱心だが、本当かどうか分からない。」という言葉があった。

その時に思わず話をしてしまった。

「私たちには、信者さん方がおられます。今の現状がどのようになっているか、しっかりと知っておいた方が良いと思います。どちらがうそを言っているか、知る事、調べる事が大切だと思います。」と。

1月6日のアメリカ両院合同会議の様子と、襲撃事件の事で、大手メディアがトランプ大統領の発言と異なる事を言っている事、また、ツイッターなどのSNSがトランプ大統領その他の方のアカウントを停止している事は、全世界の人々が知った。

これは事実である。

これから先がどうなるのか、しっかりと見極める事が大切だと思う。

そして、この事から、自分自身の思案の仕方、行動を見つめ直す機会でもあると思う。

 

教祖は「証拠信心」と教えられた。

「かんろだい」を「人間宿仕込みの証拠として据えておく」と言われてもいる。

この証拠というものを、親神様はとても重要としていると思う。

ただ単に信じるというのではなく、自らが証拠を確かめて信じる事。これを重ねる事が大切だと思う。

 

記録として、見た記事とコメントのスクショを載せておく。

トランプ氏、残りわずかな任期終了までに考えられる五つのシナリオ(AFP=時事) - Yahoo!ニュース

 

・・・・・・・・・

トランプ氏、残りわずかな任期終了までに考えられる五つのシナリオ(AFP=時事) - Yahoo!ニュース

記事1/2頁目

 

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親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。

 

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