あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

アメリカ大統領の就任式。。。医者や薬について。。「ごく」。。「元のいんねん」

2021年01月21日 11時05分53秒 | 思った事

1月20日(日本時間21日午前0時ごろから3時ごろまで)テレビ東京のウエブ生配信で見ていた。

何か起こるのではないかと、ハラハラしながらの視聴だった。

その1時間くらい前に、他のWEBサイトで、ホワイトハウスから出て、空軍の飛行場で行われるトランプ大統領の離任式の様子を見た。

コンピュータを2画面で使っているので、大統領就任式が始まるのと同時に、トランプ大統領がフロリダに着き、人々に迎えられる様子が映し出されて、計算されての報道になったのだろうか?とも思ったが、なんだかとても不思議に感じた。

就任式で、ペンス副大統領が赤のネクタイをしていたのが、一番初めに目についた。議会の時には青のネクタイだったので、とても気になった。

この大統領就任式について、はじめはバーチャルで行われると聞いていて、どんな風になるのか、偽装されての就任式になるのではとの思いもあり、心配していた。けれども、チャンと放映されていたので、良かったと思った。

そして何よりも、暴動がおこらなかったのか何よりだった。
もしここで暴動などが起これば、それこそ中国共産党と同じようなものと思った。

けれども、情報を追いかけて、不正というものを目の当たりにした一人としての心情としては、本当に、何とも言えないものがある。

以前も、私がトランプ大統領の立場でなくてよかった。と書いたのだが、それは、私だったら不正を正すのに武力行使をしていただろうと思うからである。

教祖は「病の根を切ろう」「謀反の根を切ろう」と言われた。謀反の根を切る上には、武力や圧力を掛けすぎて相手に恨みを持たせてしまっては、この根は切れないのである。この事は、世間でもよく言われることである。

悪事をされても、「人を恨むな、罪を恨め」お道ならば「たんのうせよ」という言葉である。

教祖は、監獄に入れられて、様々な仕打ちを受けても、恨むことなく「教えが届かぬのや」と言われて通られた。

また「悪を善で治めよ」という言葉もある。

また、「登れぬ堰は、神が取る」として、無理にするなという事も、弾圧に対する「おさしづ」ある。

中国共産党によって、多大に弾圧されている人々の事を思うと、本当に心が痛む。すぐさま何とかしたいと思うのは、私だけではないと思う。

なんとかそうした人々が、安心して暮らせるようになって欲しい。と願う。

 

実は昨日、「元の理」から「科学や医学」についてブログを書こうと思ったのだが、どうも書けずに、気になった動画だけをFacebookにシェアしていた。

その気になった動画の中で、一つだけコメントを付けてあげたものがある。

それは、

【米大統領選挙】リンウッド弁護士が示した過去のメッセージ!1965年 → もしも私が〇〇だったら!ポップコーン②【BBニュース】

という動画である。

この中で気になったのは、8分10秒当たりで、もし私が悪魔だったらという話の中で「ささやきのキャンペーンから、今の人間は、まるで人間が神様を作ったようになっている」という言葉である。

医学や心理学などが発達してきて、本来は、神様があって、人間が生かされているのに、その反対の心になっているというのである。

このお道の場合でも、「神様の話を医学的に証明できるから」とするならば良いのだが、「それは神話だ、迷信だ」としてしまう事は、互いを信じ助けあう陽気ぐらしの御守護につながらないように思う。

先程、「元の理」から医学についての話をしたいと書いたが、「元の理」では「虫鳥畜類と生まれ変わりをして」と言われている。

今の科学や医学では、人間はサルなどから進化をしたという事が言われている。また、胎児の成長を見た時に、段々と進化の過程をへて人間の形へと姿を変えて、子供として生まれ出る事は知られている。

こうした事は、医学や科学技術が進んだから分かったことで、教祖はこうした技術の無い時から、進化したことを説かれている。そしてこれが真実なのだから、親神様の言われることを信じなさいとも言われているのである。

また、人間の我々は、虫・鳥・畜類の生まれ変わりをしているから、そうしたものの鳴き声などをまねる事が出来るとも聞かせてもらう。

「修理や肥に医者薬を」をとも聞かせてられる。

これは、人というものは、簡単に心を変えろと言っても、なかなかすぐに変えられるものではない。ましてや幾度も生まれ変わって積み重ねた上のいんねんから出る事を払うのは、大変な事なのである。そうした大変な身上も、少しでも和らげれるようにとして医学や薬学などの治療法を教えられたと、私は理解している。薬などが効くから心を変えなくても良いという事ではない。心を変える手助けに医学や薬があるという事である。

そして、ここで注意をしなければならない事は、薬には何を混入されているか分からないという事である。それを作っている人や処方してくれている人を信じるしかないのである。

私たちは、病気の助かりを願うために「おさづけ」を戴いている、それ以外に、助かる手段に「ごく(御供)」を戴いている。

この「ごく(御供)」は、一番最初には、「はったい粉」を出されていた、その後に「金平糖」となったのだが、世の中から何か薬物が混ざっているのではないかという疑惑を持たれて、「洗米」となった。

そして、不思議に助かる理由については「何も「ごく」が効くのではない。心の理が効くのやで」と言われている。この心の理というのは、助かりたいという誠の心と、助かってもらいたいという誠の心の事を言われている。

 

ともかく、人間を作る時に「人間を作って、共に楽しみたい」と思って作られたと教えられるのだから、人間の都合だけで喜んでいては、神様の思いに添わないのである。神様と共に喜びあうのが、真の陽気ぐらしである。

そして、この「人間を作って、陽気ぐらしをさせて、共に楽しみたい」という、親神様の思い、心が「元のいんねん」と言われるものである。この「元のいんねん」の上に、それぞれがあり、幾度も生まれ変わりを繰り返して、それぞれに「良いいんねん・悪いいんねん」を作ってきているのが現在である。

心の切り替え、これをしっかりと心に置いて、日々を歩みたいと思う。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。

コメント
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