あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

第3章「元の理」

2021年01月17日 21時45分26秒 | こうき本

    第三章 元の理     『天理教教典』

 親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろとして、この世の表に現れた、奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた。

 この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。
 そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢょの中に、うをとみとが混っている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。
 続いて、乾の方からしゃちを、巽の方からかめを呼び寄せ、これ又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めて、これ等を男一の道具、及び、骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び、皮つなぎの道具とし、夫々をうをとみとに仕込み、男、女の雛型と定められた。いざなぎのみこと いざなみのみこととは、この男雛型・種、女雛型・苗代の理に授けられた神名であり、月よみのみこと くにさづちのみこととは、夫々、この道具の理に授けられた神名である。
 更に、東の方からうなぎを、坤の方からかれいを、西の方からくろぐつなを、艮の方からふぐを、次々と引き寄せ、これにも又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試された。そして夫々、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る道具と定め、その理に、くもよみのみこと かしこねのみこと をふとのべのみこと たいしょく天のみこととの神名を授けられた。
 かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに、人間を創造されることとなった。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢょを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたねとされた。そして、月様は、いざなぎのみことの体内に、日様は、いざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の間に、九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなみのみことの胎内に宿し込まれた。それから、いざなみのみことは、その場所に三年三月留り、やがて、七十五日かかって、子数のすべてを産みおろされた。
 最初に産みおろされたものは、一様に五分であったが、五分五分と成人して、九十九年経って三寸になった時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも、身を隠された。しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の子数を宿し込み、十月経って、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って三寸五分まで成人して、皆出直した。そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って四寸まで成人した。その時、母親なるいざなみのみことは、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、にっこり笑うて身を隠された。そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた。
 その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後に、めざるが一匹だけ残った。この胎に、男五人女五人の十人ずつの人間が宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になった時、親神の守護によって、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別出来るように、かたまりかけてきた。そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎に一人ずつ生れるようになった。次いで、五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになった。
 この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。

  月日よりたん/\心つくしきり
  そのゆへなるのにんけんである       六 88
  このよふのしんぢつの神月日なり
  あとなるわみなどふくなるそや       六 50
  にんけんをはぢめよふとてたん/\と
  よせてつこふたこれに神なを        六 51

 この世の元の神・実の神は、月日親神であって、月様を、くにとこたちのみこと 日様を、をもたりのみことと称える。あとなるは皆、雛型であり、道具である。更に申せば、親神は、深い思召の上から、その十全の守護を解りやすく詳しく示し、その夫々に神名をつけられたのである。

  しかときけこのもとなるとゆうのハな
  くにとこたちにをもたりさまや      一六 12

 思えば、親神は、この世人間を造られたばかりでなく、長の歳月、限りない親心をもって、その成人を守護し、時に応じて旬々の仕込みをなされた。人類の成人とその文化の発達とは、悉く親神の篤い守護による。

  月日にわせかいぢううをみハたせど
  もとはじまりをしりたものなし      一三 30
  このもとをどふぞせかいへをしへたさ
  そこで月日があらわれてゞた       一三 31

 親神は、この真実を明かし、一れつ人間に陽気ぐらしへの道を教えようとて、教祖をやしろとして表に現れられた。即ち、最初産みおろしの子数の年限が経った暁は、元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようとの、元初りの約束に基く。

  にんけんをはじめだしたるやしきなり
  そのいんねんであまくたりたで       四 55
  このよふをはぢめだしたるやしきなり
  にんけんはじめもとのをやなり       六 55
  月日よりそれをみすましあまくだり
  なにかよろづをしらしたいから       六 56

 親神は、この約束により、人間創造の母胎としての魂のいんねんある教祖を、予めこの世に現し、宿し込みのいんねんある元のやしきに引き寄せて、天保九年十月二十六日、年限の到来と共に、月日のやしろに貰い受けられた。この人と所と時とに関するいんねんを、教祖魂のいんねん、やしきのいんねん、旬刻限の理という。

  この月日もとなるぢばや元なるの
  いんねんあるでちうよぢさいを       八 47
  このはなしなんでこのよにくどいなら
  たすけ一ぢようけやうのもと        八 48

 かくて、親神は、教祖の口を通して、親しく、よろづいさいの真実を明かされた。それは、長年の間、一れつ人間の成人に応じて、修理肥として旬々に仕込まれた教の点睛である。即ち、ここにいよいよ、親神直直のだめの教が垂示された。けだし、十のものなら九つまで教え、なお、明かされなかった最後の一点、元の親を知らして、人類に、親神の子供たるの自覚を与え、一れつ兄弟姉妹としての親和を促し、親子団欒の陽気ぐらしの世と立て替えようとの思召からである。これを、

  このよふを初た神の事ならば
  せかい一れつみなわがこなり        四 62
  せかいぢう神のたあにハみなわがこ
  一れつハみなをやとをもゑよ        四 79
  せかいぢういちれつわみなきよたいや
  たにんとゆうわさらにないぞや      一三 43

と教え、更に又、

  月日にわにんけんはじめかけたのわ
  よふきゆさんがみたいゆへから      一四 25
  せかいにハこのしんぢつをしらんから
  みなどこまでもいつむはかりで      一四 26
  このさきハせかへぢううハどこまでも
  よふきづくめにみなしてかゝる      一〇 103

と仰せられている。陽気ぐらしこそ、人間生活の目標であり、理想である。これを実現しようと、よふきづとめを教えて、たすけ一条の道をつけられた。よふきづとめの理は、実に、この元初りの真実による。

  ちよとはなしかみのいふこときいてくれ
  あしきのことはいはんでな
  このよのぢいとてんとをかたどりて
  ふうふをこしらへきたるでな
  これハこのよのはじめだし
 

※「元はじまりの話」の研究材料として 2021.01.17

 

親神様・教祖、大難は小難にとお守りください。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「元の理」こうき話2。。。こ... | トップ | ヤフーニュースから。。。報... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

こうき本」カテゴリの最新記事