『正文遺韻抄』を読んでいると、おや?と思うような記述がある。
その一つを書いてみたい。『人間の数について』153頁を、以下に読みやすいように書換えておく。
『人間の数について』
ある時、梅谷様より、仲田様・山本様などに、「人間は、9億9万9千9百9十9人の人数と、聞かせられます。そして、その中には牛馬に堕ちている者もあるとの事であれば、人間の数は、現在増えているのでしょうか。又は減っているのでしょうか。」とお尋ねしたところ、「そんなことは知らぬから、これから神様へ伺おう」と言われて、教祖の御前に伺い、仲田様から、事の次第をお尋ねになられた。しばらくお伺いの感じで「それは増えてある。とおっしゃる」と仰せられて、それからその内訳をお聞かせ下されたのには、
「元は、9億9万9千9百9十9人の人数であったが、その中に、牛馬に堕ちている者もあるけれど、この世初めの時より後に、生き物が出世して、人間と登りている者が沢山ある。それは、鳥でも獣でも、人間を見て、『あゝうらやましいものだ。人間になりたい』と思う一念から、生まれ変わり出変わりして、段々と「こうのう」を積むから、そこで天にその本心をあらわしてやる。すると、今度は人間に生まれてくるのやで、そういう訳で、人間に引き上げてもらった者が沢山あるで」と仰せられたので、一同感服して、御前を下がった。
と書かれている。
ここで気になる事を記しておく。
①人間は、9億9万9千9百9十9人の人数と、聞かせられます。そして、その中には牛馬に堕ちている者もあるとの事であれば
と言われている事から、「悪事をした人間は牛馬になる」「牛馬となれば人間にはなれない」という話が説かれていた事が前提にある事に注意できる。
②しばらくお伺いの感じで「それは増えてある。とおっしゃる」と仰せられて、それからその内訳をお聞かせ下された
という事から、教祖はまず内なる親神様に伺われて、それを伺われた人に話されている様子が分かる。
③この世初めの時より後に、生き物が出世して、人間と登りている者が沢山ある。
という事から、ぢばで宿しこまれた人数は、「9億9万9千9百9十9人」である事をはっきりと言われており、その人間以外にも生物がいる事を言われている。その生物には、『あゝうらやましいものだ。人間になりたい』と思う一念 とある事から、考える事が出来るものである事が分かる。
④しかし、そのように思ってもすぐには成れない。人間になるための条件が 段々と「こうのう」を積むから と示されている。 さらに、「こうのう」を積んだのちに、天にその本心をあらわしてやる。 と次の段階を示されている。
⑤ここでもう一つ。この 天にその本心をあらわしてやる。 という言葉から、人間にしてくれるのは自然になるのではなく、親神様の意思があって人間になっている事が分かる。
さて、ここに出てくる、「天にその本心」という言葉であるが、十柱の神様の説き分けについて、「くにとこたち」は天にては月様。「おもたり」は天にては日様。と『信者の栞』には書かれてあるが、その外おたすけをされた方が書いた本によると、他の神様にも天における星が記されている。
そのことを考えると、私たち人間一人ひとりの本心(魂の事かどうかは分からないが)は、星に関連するのではないかとも思える。
また、「元の理」では、一番初めに宿しこまれた、「9億9万9千9百9十9人」は、ドジョウであり、それが月日の神様に食べられて、人間の魂となっている。そして、この次の頁に『動物の進歩について』という話があり、そこでは、『こういうものに生まれてくるさかいに、人間に食われてしまわにゃならん。早く人間に引き上げてもらえよ』と教祖がおっしゃった記述がある。
また、逸話篇132には、
【おいしいと言うて】
仲田、山本、高井など、お屋敷で勤めている人々が、時々、近所の小川へ行って雑魚取りをする。そして、泥鰌、モロコ、エビなどをとって来る。そして、それを甘煮にして教祖のお目にかけると、教祖は、その中の一番大きそうなのをお取り出しになって、子供にでも言うて聞かせるように、
「皆んなに、おいしいと言うて食べてもろうて、今度は出世しておいでや。」
と、仰せられ、それから、お側に居る人々に、
「こうして、一番大きなものに得心さしたなら、後は皆、得心する道理やろ。」
と、仰せになり、更に又、
「皆んなも、食べる時には、おいしい、おいしいと言うてやっておくれ。人間に、おいしいと言うて食べてもろうたら、喜ばれた理で、今度は出世して、生まれ替わる度毎に、人間の方へ近うなって来るのやで。」
と、お教え下された。
各地の講社から、兎、雉子、山鳥などが供えられて来た時も、これと同じように仰せられた、という。
とあり、これらの事を思い合わせると、食べるという事がどれだけ重要な事かと思える。
さて、「元の理」「元はじまりの話」また、教祖がお聞かせ下された話から、この世の中の事、世界の事、魂・心についても、興味が湧くのではないかと思います。
親神様・教祖、どうぞ陽気ぐらしに向けて、大難は小難にとお守りください。そして心をお守りください。