あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

部内の大祭。。生まれ変わり。。生きながらの出直し。

2021年01月19日 10時38分17秒 | 思った事

部内の大祭を無事に勤めさせて頂いた。

コロナ禍で心配される中であるが、コロナになってからずっとマスクを付けておつとめをしてきたので、別段変わることなく、勇んでおつとめをさせて頂いた。

これだけコロナが増えてくると、いつだれがなるか分からない。

また、80才近くなる方が、「数日前から微熱があり食欲がなかった。熱が下がって食欲が少し出て来たので、おつとめに来た。娘が心配するので、おつとめの途中で帰らせて頂きたい」と言われた。

早速、「おさづけをさせてもらいましょう」と話をした。おさづけの前に、症状などを聞きながら性分の話をした。

「これだけコロナが広がり、「病院へ行ったらコロナに感染するかも知れない」と思うようになったら、決定的な薬もあるわけではないし、医学ではどうしようもないでしょう。親神様がある事はしっていますよね。医者の手余りを助けると言われているのです。しかし、親神様がある事は知っていても、親神様に芯に凭れているでしょうか?親神様のお話をしっかりと受け止めているでしょうか?」という事を話した。

そしてその方の性分、家の性分、教会の性分などについて、具体的に話しをして、これをしっかりと自覚して、お詫びする事が何よりも大切ですと話をした。心がすっきりされたようで、最後までつとめて下さった。

このコロナのお陰で様々な事を感じさせて頂く事が出来て、本当にありがたいと思った。

おつとめの後には、次々とおさづけをさせて頂き、本当にありがたい大祭をつとめさせて頂きました。

 

さて、

世の中には色々な話があります。また色々な事件が起きてきます。

これだけ情報が入り乱れてきますと、何が本当か調べる事だけでも大変です。このような作業ばかりに時間を割いてはおれません。

そうした中、

親神様は「いんねんよせて守護する」と教えて下さっています。

世の中には色々な宗教があります。信者さん方に現れる事情や身上を見させて頂く時に感じる事があります。

それは、天理教の家に嫁いできて、親神様のお話を素直に聞ける。初めは素直ではなくとも、色々な事柄が起こるたびに、神様のお話を聞きいれる事が出来る人と、出来ない人との差を感じます。聞きいれる事が出来る人の多くは、その方の実家が何らかの信仰をしていて、神様に縁のある方で、神様に近い方のように思えるのです。

心に、親神様の話を聞きいれる事が出来る、何かしらの土台のようなものがあるのではないかと思ったりするのです。こんな事を書くと、そのように感じない人はダメな人のように思う方もあるかと思いますが、そうではないのです。

つまり、その時その時に、その人に必要な教えを、そうした宗教なりで教えて下さっている。階段であれば、一段目の教え、2段目の教えというものがあるように思います。

生まれ変わりの事で思案すればわかると思いますが、今分からない人は、今分からずとも、不思議な事を体験して感じたもの、これは心に刻まれているはずです。頭で理解できても、心から納得いかないという事もあるでしょう。これも同じであります。それはそれであります。

今世で、ふとひらめき心に得心が行く人もあるでしょうが、来生で得心が行く人もあるという事です。

この事については、「元の理」の話から述べたいと思いますが、次の機会にしたいと思います。

さて、

教祖の道中の中で、「誰だれは誰の生まれ変わりや」という話が沢山あります。こういう話から、生まれ変わりの人を特定する事に力を注ぐ人を、昔よく見聞きしました。実際に自分もこの話を聞いた時には、自分は誰の生まれ変わりか?とそんな事ばかりが気になっていました。

しかし、生まれ変わっているのに、前生の記憶がないのでしょうか?まれに、記憶があるという人の話が、ネット上にはあったりします。

誰の生まれ変わりという事よりも、ここの事がとても大事だと思うのです。

記憶があったならば、前生に借金をしていたならば、いつまでも借金に追われることになります。ましてや、現在と過去の記憶とが入り混じって、生活する事が大変だろうと思うのです。(前生の記憶がない方が、どれだけありがたいかとも思うのです。)

これでは、出直し、やり直しにはなりません。天理教で「死」する事を、「出直し」というのは、こういう意味も含まれているのです。

それぞれが、自分の環境から、自分のいんねんを悟り、自分の心を立て替えていく、これがとても大切な事です。

昔の先生方が、神様のお話を聞き、命危ないところをおたすけ頂きましたが、この時の心定めがとても重要だと思います。そうした時に「生きながらの出直し」という言葉をよく使われたようであります。

これに関して、具体的に「稿本天理教教祖伝 逸話編」の中に、次の話があります。

【一つやで】逸話篇199  

 兵神真明講周旋方の本田せいは、明治十五年、二度目のおぢば帰りをした。その時、持病の脹満で、又、お腹が大きくなりかけていた。それをごらんになった教祖は、
「おせいさん、おせいさん、あんた、そのお腹かかえているのは、辛かろうな。けど、この世のほこりやないで。前々生から負うてるで。神様が、きっと救けて下さるで。心変えなさんなや。なんでもと思うて、この紐放しなさんなや。あんた、前々生のことは、何んにも知らんのやから、ゆるして下さいとお願いして、神様にお礼申していたらよいのやで。」
と、お言葉を下された。それから、せいは、三代積み重ねたほこりを思うと、一日としてジッとしていられなかった。そのお腹をかかえて、毎日おたすけに廻わった。
 せいは、どんな寒中でも、水行をしてからおたすけにやらせて頂いた。だんだん人が集まるようになると、神酒徳利に水を入れて、神前に供え、これによって又、ふしぎなたすけを続々とお見せ頂いた。こうして、数年間、熱心におたすけに東奔西走していたが、明治十九年秋、四十九才の時、又々脹満が悪化して、一命も危ないという容態になって来た。そして、苦しいので、「起こせ」とか、「寝させ」とか言いつづけた。それで、その頃の講元、端田久吉が、おぢばへ帰り、仲田儀三郎の取次ぎで、教祖に、お目にかかり、事の由を申し上げると、教祖は、
「寝させ起こせは、聞き違いやで。講社から起こせ、ということやで。死ぬのやない。早よう去んで、しっかりとおつとめしなされ。」
と、仰せ下された。そこで、端田等は急いで神戸へもどり、夜昼六座、三日三夜のお願い勤めをした。が、三日目が来ても、効しは見えない。そこで、更に、三日三夜のお願い勤めをしたが、ますます悪くなり、六日目からは、歯を食いしばってしまって、二十八日間死人同様寝通してしまった。その間毎日、お神水を頂かせ、金米糖の御供三粒を、行平で炊いて、竹の管で日に三度ずつ頂かせていた。
 医者に頼んでも、「今度は死ぬ。」と言って、診に来てもくれない。然るに、その二十八日間、毎日々々、小便が出て出て仕方がない。日に二十数度も出た。こうして、二十八日目の朝、妹の灘谷すゑが、着物を着替えさせようとすると、あの大きかった太鼓腹が、すっかり引っ込んでいた。余りの事に、すゑは、「エッ」と、驚きの声をあげた。その声で、せいは初めて目を開いて、あたりを見廻わした。そこで、すゑが、「おばん聞こえるか。」と言うと、せいは、「勿体ない、勿体ない。」と、初めてものを言った。
 その日、お粥の薄いのを炊いて食べさせると、二口食べて、「ああ、おいしいよ。勿体ないよ。」と言い、次で、梅干で二杯食べ、次にはトロロも食べて、日一日と力づいて来た。が、赤ん坊と同じで、すっかり出流れで、物忘れして仕方がない。
 そこで、約一ヵ月後、周旋方の片岡吉五郎が、代参でおぢばへ帰って、教祖に、このことを申し上げると、教祖は、
「無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。未だ年は若い。一つやで。何も分からん。二つ三つにならな、ほんまの事分からんで。」
と、仰せ下された。
 せいは、すっかり何も彼も忘れて、着物を縫うたら寸法が違う、三味線も弾けん、という程であったが、二年、三年と経つうちに、だんだんものが分かり出し、四年目ぐらいから、元通りにして頂いた。
 こうして、四十九才から七十九才まで三十年間、第二の人生をお与え頂き、なお一段と、たすけ一条に丹精させて頂いたのである。

・・・・・・・

「無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。未だ年は若い。一つやで。何も分からん。二つ三つにならな、ほんまの事分からんで。」

この言葉です。そうした姿を実際に、ひながたで見せて下さっているのです。

この逸話から、その他色々と悟る事が出来ると思います。

これまでの事をお詫びして、人のためにという心に切り替えてやり直す。それによって、結構にならせて頂ける。これを信じて、日々の事を通りたいと思うのです。

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親神様、教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。

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