あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

色々な情報から、迷い不安が募る時には。。。

2021年02月16日 21時55分03秒 | 思った事

「色々な情報から、事実を拾い集める事。それを整理する事。そして考えて、色々な人に相談する事。そして先の事は考えられる準備をしておく事。。」

私は、アメリカ大統領選挙から、YouTube上に出回る情報やネットニュースなどで、気になるものをFacebookに共有している。

また、その時の情報で思いつく事をブログに書いている。

それ以前から、「うそと追従」や「善と悪」など、ニュースから思う事を書いて来た。

こうした中に、ある事に気が付いた。

それは、短絡的に平和を望む人が多いという事である。

それは戦争などで勝利をしたら、それで簡単に平和が来ると考えている人が多いのではと思えるのである。

その代表的なものは、アメリカ大統領選挙で、戒厳令が発令されれば。。。などと言う事であり、それを望む人々がとても多いと、大統領就任式の後に思ったのである。

私自身も、大統領就任式にはそれが起こるのではないかと、期待半分であった。けれども、大統領就任式でのチャットに書かれている「大統領をやじるような」文字を見ていると、中国共産党や民主党が行っている「暴動を扇動したり、力でねじ伏せる」のと同じ心が、流れているように感じた。

そして、もし、ここで戒厳令が発令されれば、トランプの独裁という意識が湧き出るのではないかとも思えた。

その後、何も起こらなかったことにより、トランプが退任して、何かが起こると自信を持って発言されていた人々が謝罪する動画が各地で見受けられた。

そして「宇宙人」などの話が多分に目にするようになると共に、善と悪の戦いで話を進める人と、政治的な観点から話を進める人などと、人によって注目するところが違っている事が分かって来た。

少し前に、「誰が主役か」という事を、天理教での事で書いた。

スーパーマンが来て、悪者を退治してくれても、なぜ悪者が出来たのかと市民が理解していなければ、その市民の中から悪者が出る可能性はあるし、大なり小なり、その悪者と同じことをしている自分に気づき、心を変えなければ、この連鎖は止まらないのである。

連鎖が止まらないということは、永遠に望んでいるはずの平和は来ないということにもなる。

この事は、喜ぶ心を持つことにも言える。

どれだけ十分なものを与えられていても、心が貧しければ、喜ぶことは出来ない。

「よくに切りない泥水や」と教えられるが、「よく」の心がありすぎると、切りが無くなり、喜びは絶対に味わえない。

欲のために、人をないがしろにし、いじめたりすることで、人からは恨まれることになる。その恨みを感じて、おびえる事になる。

つまり、自分をいつまでも生かせたい、若くしたいなどの欲が強いということは、死への恐怖は人一倍あるという事になる。

そしてその恐怖から逃れるために、自分を恨む人などを殺めるために、またうそをつき、どんどん悪行を重ねる事となるのである。

反対に、神様を信じて、生まれ変わりを信じて、良い事を、人のためになる事をしようと考える人々は、苦難はあっても、気づきがあり、喜びが与えられる。

そして、苦難を乗り越えるたびに、不安や恐怖を乗り越える心を得ることになる。

 

今日、友人からコメントがあり、様々な情報で振り回される人に対して、どのように対処したらよいか困っているようだった。

特に今は、先日起きた東北地方での大地震、その後の寒波、大風などなどを体感したら、ネット上にある不安な情報で右往左往するのは当然の事と思う。

そうした中、どのように考えたら良いかといえば、それは、冷静に事実を整理する事だと思う。

先の事は分からないのである。

アメリカ大統領選挙から、マスメディアが信頼できないという事が露呈してくると、これまでそれに頼り切っていた人々にとっては、頼るものが無くなり、右往左往するのは当然の事である。

人任せにしていた人ほど、頼る人がいなくなった時に困るものである。そして、簡単に安心させてくれる情報に飛びつくものである。

必ず物事には結果がある。ただその結果が、すぐに出るかどうかは、その物事に寄るのである。

ワクチンなどは、本来ならば、何年もかけて、臨床試験を行い、データを集めて、作られるものなのである。けれどもそれをこれだけの短期間に承認したら、不都合があって当然の事である。ましてや、ワクチンに頼らずとも、罹患した症状を改善する薬があるとのニュースがあったにも関わらずに、それを検証せずにワクチンへと走ること事体に、私は多大なる不信を感じるのである。

だから、ワクチンに何か不純物でも混合されないかと、疑いが拭い去れないのである。

そして、この事については、医師や看護師などの医療従事者が良く分かっているはずと思う。

しかし、新型コロナで人が亡くなる事は事実で、治療するベッドが足りなくなり、医療崩壊を起こしそうになり、緊急事態宣言が出されたのも事実で、新型コロナを軽視する意見にも反対である。

ではどうするか。治療薬が承認されることを待つのが得策だと思う。そうしなくても、もう少し緊急事態宣言がしっかりと守られれば、昨年のGOTOキャンペーンが行われる前あたりまでは行けるはずである。

そして、台湾のように人の流入に対する水際対策をしっかりとして、物の流通だけを解禁にすれば良いと思っている。

皆が協力すれば、抑え込めない事はないと思う。けれども、ルールをやぶり、特権を持って、外から人を入れる人や、入っても自粛をせずに勝手な事をする人があれば、これは無理な事である。

このウィルスは、以前から言っているが、自分中心では治まらない。人の事を思っての対処をすれば治まる。マスクもそうである。人にうつさないようにとする中に効果が表れる。

今日共有した動画の中に、ワシントンDCでの子供たちの虐待、虐殺に関するものがあったが、このように人を人と思えないような事をする人がある限り、治まらないと思う。

人を大切にする人は、ルールを守ろうとする。反対に人を自分の意のままにしようとして、人を大切にしない人は、ルールを守らない。

人を縛るルールは作っても、自分はそのルールを守らない。元々自分本位であるから守れないのである。

そのことは、アメリカ大統領選挙の不正や、弾劾裁判の事からも良く分かったと思う。

この事は、教祖の教えには十分に説かれてある。「勝手は自分にはよいものなれど、治まる理にならん」と。

かしもの・かりもの、八つのほこり、いんねん、誠真実、そして元の理は、私たちの心の切り替えるための教えである。

何よりも大切なのは、自分の心が、自分勝手の心になっているか、人を助けたいという心になっているかを知り、人のためにという心になる事である。

そしてもう一つは、自分勝手で、人の善意を悪用する人から離れる事である。何度も何度も借金を繰り返す人、返して借りるならばよいが、借りた上にも借りる人、借りるためにうそをつく人、これは人の善意を悪用する代表者である。

以前にも書いたが、人は自分から反省して、変わろうと思わなければ、変わらない。

これは、依存症も同じである。ギャンブル依存症、麻薬依存症などなど、「可愛そうだからと、周囲がギャンブルの補填をしている間は、絶対に助からない。突き放して本人が気が付く事が大切」とその道の人が明言されている。

可愛そうだからと助け船を出すことが、反対に助ける事にならない事を知る必要もある。

可愛そうだからと思う人ほど、この見守る時間がどれだけ苦痛に感じる事か。

しかし、「かわいい」のほこりの説き分けを考えるならば、「その者に限り別段に可愛いという偏愛心がほこり」といわれるから、偏愛心を持っていないかと、思案してみる事も大切かと思われる。

 

話は変わるが、先日ある人と、地震の事からテレビ報道についての話となった。

その人は、インターネットを使う人ではないが、「テレビの報道は偏っている」とはっきり言われた。それは、発言を切り取って情報操作をしている事に気が付かれたからだった。

アメリカ大統領選挙から、トランプさんが勝つかもしれないからと、事あるごとに言って来て良かったと思った。

ついつい思うがままに書いてしまった。

最後までお付き合いくださいました方、ありがとうございました。

 

今、元はじまりの話、明治14年説話体を、読みやすいように書換えています。ボチボチと。。。

親神様の思いが伝わりますように。。。。。

どうぞ大難は小難にとお守りください。

コメント
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