確か、教祖120年祭の時だと思うが、杖を突きながら歩いていた方が、突然杖もなしに歩けるようになった様子がVTRに収められて、それが紹介された事があった。
当時、親神様の不思議が、映像に記録されたものでは初めての事だろうと思った。
そして、この映像から親神様を知る人が増えて、お道の教えも伸びる事だろうと思った。
ところが、この映像で教勢が伸びたという話は聞かなかった。
あれからかれこれ20年近くなろうとしているわけだが、その後、私自身は不思議な働きを感じさせて頂きて今日まで来ており、自分の徳相応の御守護を感じて、それなりの行いをと、「信者の栞」を心に日々を通らせて頂いている。(周囲から見たらどのように映っているかはわからないが。。。)
私が親神様の不思議な働きを間近に感じたのは、教祖100年祭の時である。
畳一畳も自分で歩く事が出来ない方が、本部の神殿でおさづけをして頂いて、杖も突かずに歩けるようになったことである。
それから数年、大教会にいる間、そうした不思議を見ることは全くなく、実際に、周囲を見ていると、教祖が教えられたとおりの歩み方をしている人は全く見受けられず、「こんな事では教会も、天理教もどうなることか分からない」と思い、「こんな事ではたすからない。」と常々口にしていた。
ところが、「こんな天理教をしていても良い事はない。やめた方がいい。」と親戚などからいわれると、「でも、親神様はあるから。。。」と自然に口から言葉を出していた。
この「でも、親神様はあるから」という言葉は、自分の心に響き、不足ばかりをしてしまう今の状況を変えて、一からやり直したいと思った。そこで、やり直すために、どうするかと考えたところが、布教の家だった。
そうしたところ、大教会長さんから、布教の家へ行くようにと、話を貰った。自分から頼むことなく、行って来いと言われた事に驚いた。
そして、布教の家に行き、自分は何のために信仰をするのか。「いんねんを切り替えるために」という事を、身をもって感じた。
そうしたことを感じても、大教会に戻れば、同じ環境で、以前のように不足になってしまう。何とかしなければと思い、人のために、教会のためにと行えば行うほど、周囲の事が目につき、不足になってしまうのである。
そして、大教会を出て、自分で生活をする事になる。ある時に大教会長さんから、「ここを出て生活をしていけるのか」という言葉を言われて、「この人はいったい何を信仰しているのだろうか?」「何のためにこの教会にいるのだろうか?」と思った。
そして一年弱、建築会社で働く事となる。大教会から出ても、鼓笛隊の指導も月二回行い、青年会の行事なども参加していた。その中に、見合いをして、結婚する事となる。そして建築会社で世話になりながら、結婚生活をして行こうと思っていた。
しかし結婚が決まると、父親から「大教会へ戻れ」と話があり、「父親が喜こぶならば」と再度大教会に住み込むこととなった。
すると、数カ月もたたずに、今の教会の会長さん夫妻から、教会を出たとの連絡を受け、留守番役として教会に入る事となる。
ただただ神様があるだけの、空っぽの教会に、一人で留守番に入った。妻は修養科に行っている最中の事だった。
そこからは、何も分からない新婚生活と教会生活が同時に始まった。
そんな不安な中だったが、唯一嬉しかったのは、両親が大教会の用事の無い時に来てくれて、夫婦揃って上段を掃除している姿を見た時だった。
最初の一年余りは、信者さんが来るのは月次祭だけという教会だったので、それ以外は、信者さん宅への訪問や大教会でのひのきしんに明け暮れた。(月次祭前になると、料理をしたことがなかった妻が、料理の本を出して、大教会の母へ電話をしながら、直会の準備をしていた。)
そして教会に入って1年半が経ったある時、突然父が倒れたとの連絡を受ける。吐血と下血をして救急車で運ばれたとの事。家族・兄弟が寄ってお願い勤めをするも、原因が分からず、母から「大教会長さんは大丈夫だと言っている」と聞くだけで、大教会としてのお願いづとめもなかった。
25日の夕方、本部でお願い勤めをしていると、専修科の時の校長先生から「おい長谷川」と声を掛けられた。私の事を覚えていてくれたことが嬉しく、父親の事を話したが、「私には分からん」と言われて、「ひょっとしたら助からないかもしれない」と、心によぎった。そして数日後、手術の甲斐もなく出直した。
私には、頼れる人もなく、頼れるとしたら親神様だけだった。
ある時、こんな言葉を聞いた。「人に凭れたらその人は倒れる。凭れて良いのは親神様だけだ」というものである。
それからは、親神様の思いはどこにあるのか。という事を常に考えて歩む日々となった。
そして今日、親神様の思いのままに、今日一日がある。どれだけ人間が望んだとしても、親神様の思いに叶っていなければ叶わない。と思うようになった。そして、おさしづを探るうちに、親神様の思いに叶っていても、その旬が来なければ芽が出ないという事も知った。(ただ、この兼ね合いがまだ分からない。悟れない。)
そして、いくつもの親神様の不思議を見せて頂き、また事情身上を通して、心を変えた分だけ、悟れた分だけのものがある事も知った。
けれども、次には、こうした事が周囲には伝わらない事が、今の悩みと言えば悩みである。
ここまでを振り返って、60年の歳月がかかっている。
おふでさきを読んでいると、「ざんねん」ばかりが目に付くのも、同じことのように思えている。
親神様の思いが周囲に伝わらない。
人間がどのようになっていくか、親神様には見えている。こうなったらこうなるだろうと、幾筋も見えている。
そして、何もせずに、そのままにしておけば、どうなるかも見えている。
だから、何とかしたいと、どんなときでも導きの手を出して下さっていると思うのである。
これは、一人だけの事ではない。また、全体の事だけではない。
一人ひとりが良くなって、全体が良くならなければならないと思う。
自分は何もせずに、周囲が良くなる事ばかりを願っていては、ダメなのである。
一人ひとりが助かりたい、よくなりたいと願い、心の向きを変えて、全体が良くなる。これが、争うことなく陽気ぐらしに向かう歩だと思う。
あこがれは、勇気と育つ力を与えると思う。
あこがれるヒーロー。それがひながただと思う。
しかし、親神様の理想と、現在の人間の理想が違いすぎて、教祖のひながたが、あこがれの対象にならなくなっているようにも思える。
世界中にまた、新型コロナが蔓延し始めて、ロックダウンが始まった。
日本も、東京からのGOTOキャンペーンが始まり、広がりが顕著になってきている。
11月3日、マイクロバスを借りて、12,3人でおぢばがえりの予定をしている。無事にいけますように。。。。