11月3日に、マイクロバスで、家族と信者さん2名とでおぢばがえりをした。
その時には、全員で本通りへ買い物に行った。
祝日にも関わらず、神殿のみならず本通りも閑散としており、信者さん方は、「もっと人が多いと思った。これだけ空いていれば、コロナも大丈夫じゃないかなぁ。」と言っていた。
その本通りで買い物をしている時の写真を、今月の会報に載せて、帰られなかった方々に説明した。
部内の信者さんに、毎月月次祭は仕事を休んでつとめて下さる方があり、その方は、舌癌、喉頭癌になられてから、これまた毎月休みの時に、おぢばがえりをされていた。そしてその方は、ガンが発症してから、20年余り経つ、今も小さな癌が検診の時に見つかり、抗がん剤を飲んでいるが、通常の生活をされている。これがとても不思議なことで、部内の教会の皆さんの心の支えともなっている。
しかし、この新型コロナが蔓延してから、おぢばがえりを止めている。その方に、おさづけを取り次がせて頂くときに、「おぢばはこういう状態ですので、人と接しないようにすれば、車で行かれるのですから、大丈夫ですよ」と話をした。
11月27日におびやづとめが行われる。今年に入ってから初めてではないかと思う。
4月に、はえでづとめに行かせて頂いたが、昇殿して参拝する事は叶わなかった。
次女が高校を卒業してから今日まで5年余り、はえでつとめとおびやづとめは、ほぼ欠かさずに参拝させて頂いて来た。
今回のおびやづとめはどうしようかと思っていたのだが、布教所の月次祭がその日になったことと、大教会の神殿当番が重なったことから、行くことを止める事とする。
道あけとしての「おびや許し」で、これまでにも多くの方が、不思議な安産を願っておぢばへ参られた。
そして不思議を見せて頂いた方も多々あると思う。
けれども、不思議を見るだけで、本来の親神様の思いは、まだまだ伝わっていない。
伝わっていても、実践できていない。実践できる心の人がまだまだ少ない。これが、現状のように思う。
これがまた、親神様の「ざんねん」の一つだと思う。
世界中の裏が表に出ている。一目見ただけでは、なにが本当で、何がうそか、それすら分からないようになっているようにも思う。
すべては親神様はお見通しである。理の筋道もすでに教えられている。
表面的な事に惑わされることなく、歩むことが大切ではないかと思う。