一日よく降りました。
明日のお昼くらいまでは大雨予報です。
今日は郵便を取りに出たくらいで、あとはずっと家に籠っていました。
ダンスの先生が台湾のお土産をなかなか会えないのでついに送って来て下さいました。
今日は一日「10週間の祈りの旅」に関することをして過ごしました。
参照聖書の箇所のところを読んでいたところ、旧約のイザヤやホセアなどに「あなたを背負って」という箇所がいくつも出ていました。
それでふっと思い出しました。
このブログでも何回かアップしたことのある「足あと(Footprints) 」。
この詩は長い間作者不明とされていたそうですが、ネットに寄りますと
「思いがけないところから作者が判明しました。
カナダに住むマーガレット・F・パワーズさんは、夫と娘が水難事故に巻き込まれ、自分も腕を折るという試練の時、「この詩をお読みすれば、きっと励ましになると思う」と看護婦さんが夫に読んでくれたという詩を開いて驚いた。なぜなら、それは彼女が若い頃に作った「フット・プリント(あしあと)」という詩だったからです。」
足あと
ある人が、ある夜、夢を見た。
海辺を、主とともに歩いている夢だった。
大空に、自分の人生のいろいろな場面がつぎつぎにあらわれた。
その一つ一つの場面には、2組の足あとが砂浜にくっきりときざまれていた。
その一つは自分自身のもの……もう一つは、主のものだった。
最後の場面があらわれたとき、彼はそれまでの人生のいっさいをとおして、
砂に残っている足あとをかえりみた。
そして、気がついたのは、
人生のいろいろな場所に、足あとが一組しかないことだった。
そして、さらに気づいたのは、
それが、彼の思い出のなかで、一番悲しいときだったことだった。
これを見て、彼の心は大いに悲しみ、主にたずねた。
「主よ、
私があなたについて行く、と決めたとき、
あなたは、私と一緒に、
ずっと終わりまで歩いてあげよう、とおっしゃってくださいました。
それなのに、私がここまで生きてきたあいだ、
一番苦しくさびしかったとき、
足あとが一人分しかないではありませんか。
私があなたを必要としていたとき、
あなたはいったいどうして私を一人ぼっちになさったのですか。
私にはあなたがわかりません」と。
主は答えられた。
「私のたいせつなたいせつな愛する子よ、
私は、あなたを愛しています。
決してあなたを一人ぼっちにはしません。
あなたが試練にあい、苦しんでいるとき、
あなたが一人分の足あとしか見えないという、そんなとき、
私は、あなたを背負って歩いていたのです。」
マーガレット・F・パワーズ
Footprints
One night a man had a dream.
He dreamed he was walking along the beach with the LORD.
Across the sky flashed scenes from his life.
For each scene, he noticed two sets of footprints in the sand;
one belonged to him, and the other to the LORD.
When the last scene of his life flashed before him,
he looked back at the footprints in the sand.
He noticed that
many times along the path of his life
there was only one set of footprints.
He also noticed that it happened at the very lowest and
saddest times in his life.
This really bothered him and he questioned the LORD about it.
"LORD, you said that once I decided to follow you,
you'd walk with me all the way.
But I have noticed that during the most troublesome times in my life,
there is only one set of footprints.
I don't understand why when I needed you most you would leave me."
The LORD replied,
"My precious, precious child,
I love you and I would never leave you.
During your times of trial and suffering,
when you see only one set of footprints,
it was then that I carried you.
Margaret F. Powers
私も人生の一番辛かった時期、同じような想いをしたことがありました。
少~しよくなったある日、銀行に行った時のこと。
まだまだ苦しくて苦手な銀行にやっとの思いで行ったことを覚えています。
その時、ふっと左側に人の気配を感じました。
その瞬間、なぜか「主だ」と確信しました。
なぜかわかりませんが、そう思ったのです。
その方は私が車から降りると同じように降りて、私に付き添って銀行に入り、終わるとすっと助手席に乗って来られました。
大切な方をお乗せしているわけですから、私はガタゴトしないように非常に注意深く優しく運転して帰ったのを覚えています。
この現存の体験は家に帰ってからもしばらく続きました。
帰ってすぐに家庭祭壇に行き祈っていると消えて行かれました。
トータルで1時間位の体験でした。
私はイエス様は私の右側の少し前方を歩いておられるのだとばかり思っていましたが、なぜか左側に寄り添ってという感じでした。
後にも先にも1回だけの経験でした。
この体験があるので、もしかして一番苦しい時には「背負って」というのは、全く感じられませんが本当かも知れないと思っています。
★致知一日一言 【今日の言葉】2025.6.10
直感がさえてくるコツ
1、否定ブロックをつくらない
2、質問を投げ掛ける
3、即行動する
4、ぼーっとした時間をつくる
5、思い込みの枠を外す
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浅見帆帆子(ベストセラー作家)
○月刊『致知』2010年12月号
特集「発心、決心、持続心」より
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★致知出版社の「ご縁メール」
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『致知』では毎号特集テーマを設け、企画を組んでおります。
明日発行の7月号の特集テーマは「一念の微」。
「永久の計は一念の微にあり」
──安岡正篤師の遺したこの言葉は、
どんな一念を積み重ねていくかで人生は決まるという教えです。
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◆我が修行に終わりなし◆
柳澤眞悟(大峯金峯山回峰大行満)
宮本祖豊(比叡山十二年籠山行満行者)
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1,300年の歴史を持つ大峯修験道。
柳澤眞悟師は、記録に残る限りこの歴史の中で初めて
大峯山千日回峰という苛酷な修行を満行した行満である。
柳澤師の特筆すべきは、百日回峰行を2回満行後、
自身の心境に納得せずさらに厳しい千日回峰行に挑むという、
妥協を許さぬ求道心である。
この度、弊社より『積徳のすすめ』を上梓した
比叡山十二年籠山行満行者・宮本祖豊師と共に、
これまでの修行人生や修行を通して得た人生の知恵を
語り合っていただいた。
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修行したからといって願うことは叶わないかもしれません。
しかし、1%でも希望があればそれに向かって努力することが大切
柳澤眞悟(大峯金峯山回峰大行満)
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〈柳澤〉
きょうは遠路、奈良・吉野まで足をお運びいただきありがとうございます。
宮本さんが新しく出された『積徳のすすめ』(致知出版社)も
大変興味深く読ませていただきました。
〈宮本〉
恐れ入ります。
柳澤さんは修験道で知られる吉野山・金峯山寺の百日回峰行を2回、
続けて大峯山修験道1,300年の歴史で初めて
千日回峰行を満行された行満でいらっしゃるわけですが、
かねがねその求道心の強さには心から敬服しているんです。
きょうは久々にお会いできることを楽しみに、比叡山のほうからまいりました。
〈柳澤〉
いや、私などまだまだです。
むしろ、厳格な規律を守られ修行された宮本さんの僧侶としての姿勢に
いつも圧倒させられているのは私のほうですよ。
こうして親しくお話しするようになったのは確か5年ほど前からですね。
天河弁財天で当時、瀧口宥誠・善光寺貫主が導師を勤められた
弁財天浴酒供という密教の法要がありまして、
そこに宮本さんも出仕されていました。
宮本さんの『覚悟の力』(同)という本をいただいたのも、その時かと。
〈宮本〉
ええ。よく覚えております。
〈柳澤〉
その後、天台宗に伝わる密教の供養法、
阿弥陀供毘沙門天の供養法を伝法いただいたりと、
今日までお付き合いいただいているわけです。
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何をするにも一つひとつを丁寧に誠心誠意やっていく。
置かれた環境で一日一日それを積み重ねていく。
よき人生はそのことに尽きる
宮本祖豊(比叡山十二年籠山行満行者)
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〈宮本〉
柳澤さんは若くして百日回峰行に臨まれますが、
これがどのような修行なのか、『致知』の読者にぜひご紹介ください。
〈柳澤〉
ひと言で申し上げますと、
吉野山・金峯山寺の蔵王堂から大峯山頂の本堂まで片道24キロ、
標高差1,355メートルの道のりを100日間往復するというものです。
もっとも前半の50日間は足慣らしの意味もあって片道の24キロだけを歩いて
頂上の宿坊に泊まることになります。
起床は午前1時頃。滝に打たれた後、
鈴懸という修験独特の装束を整えて2時くらいに蔵王堂を出発します。
山中の25か所でお経を唱え、上りは6時間半、
下りは5時間半ほどを歩くでしょうか。
蔵王堂に戻るのはだいたい午後の3時くらいです。
私がこの大峯百日回峰行を行ったのは1975年、26歳の時のことですが、
90日目くらいに消化不良でご飯が食べられなくなったことがありました。
水すら飲めない。3日間ほど断食しながら歩いて、
とうとう山中で倒れてしまったんです。
行の失敗は許されませんから、携行する貝の緒で首を括ることも考えました。
そういう時、1時間ずらして出発し登ってこられたもう一人の回峰行者が、
そんな私を見て「眞悟さん、どうしたんですか。行きましょう」
と一喝してくれました。ふっと我に返って起きあがり、足を一歩踏み出しました。
もう一歩足を出したら歩けるのではないかと
互い違いに足を出していたら不思議に歩けるようになり、
3時間ほど遅れましたが、無事に山上本堂に辿り着くことができました。
山上の宿坊では、ご飯は食べられなかったのですが
少しだけお茶を飲めたんですね。
そこから少しずつ調子を取り戻して、何とか100日を満行させてもらったんです。
〈宮本〉
まさにご自身の限界を超えた境地に至られたのですね。
★[ECCJ] 今日(6月10日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
豊かさとは、創造的エネルギーの真理に調和している人に割り与えられるものです。
Abundance is the lot of him who is in accord with those truths of the Creative Energy.
(2842-2)