朝、目覚めた時に雨音を聴いた嬉しい朝でした。
今日は一日良く降りました。
今日の
果物
午後から、先日の英会話クラスで誘って頂いた美術館館長さんのお話を聞きに行かせて頂きました。
場所は英会話クラスの方のご自宅。
庭の柏葉紫陽花と深紅のバラを数本ずつ切ってお持ちしました。
岡山市内の一等地と言われる場所にあるそのお宅はやっぱりすごかった
入口から玄関への径
もうこんなにガクアジサイが咲いているのですね。
手作りのおやつ
ババロアでした
参加者は11人。
最初、お菓子を頂きながらホスト役の英会話のクラスの方が、86歳のお隣さんを紹介なさるのに「オノマトぺ」について話されました。
先生に寄りますとどこの国も興味ある分野のことには様々な表現方法があるとか。
例えばイヌイットには雪や氷でしたかについての言い方がとても多くあるそうです。
あともう一つ例を出されていましたが忘れてしまいました。
お隣さんは皆さんにお名刺を渡され、折り紙も見せられて、すぐに溶け込んでおられました。
今日のテーマは先生が西安に行かれたところから始まったのですが、吉備真備や鑑真和上のお話がとても興味深かったです。
吉備真備は岡山出身と言われていますが、お父さんが奈良にいらしてそこで中国人女性と結婚されたので(確か奈良県の八木)、遣唐使にも受かりやすい環境にあったようです。
留学生として、政府の高官として2回行っているわけですが、遣唐使というのは4艘なのだそうですが、2回目の帰国の時、鑑真和上は2艘目に乗り(これもいろいろあってそうなったのですが)、1艘目は漂流してベトナムに着いたそうで、陸路中国には戻ったものの、日本の土を踏むことが出来なかったそうです。吉備真備は確か4艘目で紀伊半島に漂着し、後日、無事合流出来たようです。
鑑真和上の乗った2艘目は確か鹿児島に漂着。
6回目の挑戦後というのは映画で確か観た気がします。
又、岡山と鑑真和上との関係について唐招提寺を作るのに、岡山の田んぼ(多分、お米)を提供したようで・・・どこの地域の田んぼがいくらとか全部資料が残っているのも驚き。
吉備真備の持って帰ってきた琵琶が現在、正倉院にインド系の世界唯一現存の5弦の琵琶ということで収納されているそうです。
こちらは吉備真備の祖母の骨壺
(中に遺灰もあるそうです)
元禄時代、農民が発掘したそうです。
来月は7月中旬だそうですが、その間、先生とそのグループは今度はキルギスに旅されるそうです。
今日はアメリカ帰りのお若い男性も参加されていました。
何ともどこもインターナショナルと言いましょうか。。。
家に帰ってからお隣さんが館長さんが県立美術館で毎週月曜日お話をなさっていることを調べて教えて下さいました。
今日はしっとりとした緑と石畳に囲まれた空間で、文化的な時間を持つことが出来ました。
帰り道
帰宅後、エンドウを収穫し、夕食に卵とじを作りました。
★致知一日一言 【今日の言葉】2025.6.3
魂
どんな国、民族の再生も
その土台に信仰心、
魂がなければ始まりません
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ジェイソン・モーガン(麗澤大学准教授)
○『致知』2025年7月号「一念の微」【最新号】
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★日本をいかに甦らせるか。荒谷氏×モーガン氏の
憂国の対談はこちら
★致知出版社の「ご縁メール」
長嶋茂雄さんを追悼して!
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「ミスタープロ野球」元巨人軍監督
長嶋茂雄さん(89歳)の死去を悼んで
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プロ野球初の天覧試合となった
1959年の阪神戦でサヨナラ本塁打を放ち、
王貞治さん(現ソフトバンク球団会長)との「ON砲」で
9年連続日本一に輝く黄金時代を築いた長嶋茂雄さん。
2013年、監督時代の教え子に当たる松井秀喜さんとともに
国民栄誉賞も受賞なさいました。
訃報を受け心より
ご冥福をお祈りいたします。
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「忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉」作家五木寛之
〝ハイ、では一緒に写真を撮りましょう〟
長嶋茂雄
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好評連載の五木寛之氏の
「忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉」にあった
長嶋茂雄氏との対談の日の思い出をご紹介します。
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【長嶋さんとの対談の日の思い出】
ミスター、といえば長嶋さんである。
誰もが認める日本人男性の一方の旗頭だ。
巨人軍よりも、むしろ長嶋さんのほうが不滅の存在だろう。
私は学生時代、デモにもいったが神宮球場へもよく通った。
昭和20年代後半、6大学野球がプロ野球をしのぐ人気を集めた時代である。
当時、立教のサードを守っていたのが長嶋選手だった。
早稲田の3塁は小森、ショートが広岡、立教の投手は小島である。
長嶋さんの守備は、とにかく華やかだった。
1塁へ送球したあとの手の残しかたを、よく真似したものだ。
その時代から40年あまりの年月が過ぎて、
私は長嶋さんと対談することになった。
どこかのホテルの部屋ではじめて挨拶したとき、
ちょっと意外な気がした。スポーツマン特有の無骨さを想像していたのだが、
思いがけず場慣れしたスマートな応待ぶりだったからである。
考えてみればジャーナリズムの修羅場をかいくぐってきた大スターだ。
一介の小説家との対談ぐらい平凡なゴロを処理するよりも楽な仕事だろう。
実際に並んでみると、長嶋さんは意外に大柄な人だった。
球場では体格のいいプロ野球選手の中にまじっているので、
それほど大きい印象はなかったのだ。
俊敏な動きのせいで、なんとなく軽快な先入観があったのだろう。
そのときどういう話をしたかは正確にはおぼえていない。
ただ、上手に相い槌づちを打ってくれるので話がしやすかった記憶がある。
【定番の記念撮影】
今でもよく憶えているのは、
「それではこの辺で」という主催者の言葉で対談が終了した後のことだ。
「じゃあ、ハイ、一緒に写真を」
と、長嶋さんは早口で言って、
ソファーの真ん中に私と並んで坐すわった。
対談中の写真はすでに撮影を終えていたのだが。
「じゃあ、ハイ、では一緒に写真を」
★[ECCJ] 今日(6月03日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
自分が生きたことで地球を良くしようと思うなら、すべての人は為すべき義務、役割を持つ。そして、これこそが地上におけるあなたの目的である。
Each with a duty, a function to perform if the world would be better for thou having lived in it, and this is thy purpose in the earth.
(3481-2)