< 老人の友人に対する至福(幸いな人)>

2021年02月20日 23時12分48秒 | 祈り

 今日はとても風が強かったです。

最高気温16.5℃、最低気温マイナス0.3℃。

朝は寒かったですが、日中は風がなければきっと暑かったと思います。

 今日の果物

午前中は大洗濯をしたりし、午後からは公園にお散歩へ行きました。

 

オーロラのような

 

 

 

我が家のバラ

葉が出て来ました。

 今夜は私の大好きな葦原瑞穂さんの著書「黎明」のグループで、オンライン懇親会(飲み会)が7時からありました。

2時間の予定でしたが、3時間を経過してもまだ盛り上がっています

私は残念ながら飲めないのでほうじ茶で参加しました。

今日はまだブログを書いていませんでしたし、すでに眠くなってきましたので、お先に失礼して退出してきました。

今はあちらの世に行かれた葦原さんの裏話がたくさん聞けて大笑いし、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 今日の母は割と早目にしんどさが消えたようでしたが「もう長くない気がする」と言っていました。

この言葉を母は結構何年も前から言っていますが、最近の母を見ていますと(実際には会えませんので見ていませんが)、残された時間はそんなに長くはないのかもしれないと思ったりします。

そこで、いつもと同じように普通に接すことが一番いいのかなと思いながらも、今まで指針としてきました以前も何回かアップしたこともある好きな祈りを再度アップしたいと思います。

英文は当時のセルビアの先生に直して頂きながら私が英訳しました。

< 老人の友人に対する至福(幸いな人)>

(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです。

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。


  

This prayer is one of my favorite prayers.
I translated this into English while asking my English teacher .

(Written by Kiryu St. Franciscan Monastery Fr,Brevian Walsh)

Blessed are the people that understands my staggering foot and my hand's trembling.
Blessed are the people who understand that great effort is necessary to hear the words of other people.
Blessed are the people who understand in good faith that my actions are slow and my eyes are growing thinner.
Blessed are the people whose calm face does not change even though I spill my coffee.
Blessed are the people who stop for a while and talk with a bright smile.
Blessed are the people who never say "I heard that story twice today."
Blessed are the people who know how to bring back the joy from long ago.
Blessed are the people who taught me that I am loved and not alone.
Blessed are the people who understand that I am not strong enough to carry the weight of the cross on my shoulders.
Blessed are the people who will with love celebrate the last days of my life's journey.

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6 コメント

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Unknown (kaminaribiko2、)
2021-02-21 05:40:35
老人のことをよく理解した素晴らしい言葉ですね。

私のBlogに転記させていただいてかまわないでしょうか?
Unknown (ピエリナ)
2021-02-21 06:56:54
おはようございます🤗

もちろん構いません。
少しでも年老いた人々や苦しんでいる人々を思いやることが出来たらと思います。
こんにちは (cokonoe)
2021-02-21 17:39:23
私は、母を看取りました。
今までで最も感動的な体験でした。
魂が震えたのを覚えています。

介護は、事情が違えばそれぞれが違いますから
参考にはなりませんけど、
それでも話の一つとして・・・

解脱とおっしゃる有言実行。
素晴らしいと思います。
cokonoeさんへ (ピエリナ)
2021-02-21 18:56:26
こんばんは、cokonoeさん(^^)/

コメントをありがとうございました。

確かに事情が違えば違ってきますが、どうしたらそのような魂が震えるほどの感動的な看取りとなられたのでしょうか?

お母様はご病気はおあありだったのでしょうか?

私はその時、自分がどのような態度や気持ちになるのか想像が付きません。
喘息発作が起これば救急車を呼ばないといけないでしょうし。

でも、出来ればcokonoeさんのように母を見送れたらどんなに母も私も幸せでしょうか。

解脱は究極の望みではありますが、なかなか程遠い気がします
そうですね~ (cokonoe)
2021-02-21 21:00:06
母は長寿のためいわゆる老衰で、呼吸を繰り返すことで息を引き取りました。苦しみはまったくないです。
息を引き取る・・・この意味も理解出来ました。
引き取って終わりなのです。

介護はコロナ禍の前のことで
朝と夕のヘルパーさんには母の着替えをしていただき
お願いしたことは、一日に一回は母を笑わすこと。
朝と夕方、母とヘルパーさんの笑い声が聞こえてきましたよ~

隔週で終末医療専門のお医者様の往診がありました。
などなど・・・いろいろです。

母は薬の服用無しの老体なりの健康体で103歳で亡くなりました。

どういうわけか、楽しい思い出が多くて、でも、胸が熱くなるのです。

また訪問しますね!
再び、cokonoeさんへ (ピエリナ)
2021-02-21 22:49:37
cokonoeさん、お話して下さってありがとうございました。

お母様は長寿を全うなさったのですね。
しかもお薬の服用もなしとは素晴らしいです。

母も100歳まで病気もしないで生きて、ピンピンコロリと食後に「ごちそうさん」と言って死にたいとよく言っていました。

今はパーキンソン病の為、血圧が乱高下し、苦しい日々となりました。
その上、喘息まで発症しました。

どんなに長生きして下さっても、やはり、お辛いと思います。

でも、お母様の最期が安らかで本当に良かったです。

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