葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

中東デモで天皇制度を思う

2011年03月09日 21時18分57秒 | 私の「時事評論」
中東に吹き荒れる制度否定の住民パワーの嵐

 いま、中東でネットなどにより呼びかけられたデモによる政府打倒への大衆エネルギーの爆発が、数十年続いてきた長期独裁政権を危機に追い込み、その波及連鎖が周辺諸国にも広まる一つの流行の様相を見せ、世界の注目を集めている。

 これは昨年暮から始まった。チュニジアで一人の青年が街頭で商売をしていたのを官憲に取り締まられ暴行を受けた。彼はそれに反抗して焼身自殺をした。それがきっかけとなって、ネットのFacebook, Youtobe,Twitter、Wikileeksなどネットメディアを利用しての報告や抗議の呼びかけなどが盛り上がり、抗議をするデモ騒ぎが起き、それがついに25年続いてきたアリー大統領打倒の「ジャスミン革命」に発展した。騒ぎはどんどん広がって、ついには大統領は失脚してサウジに亡命、独裁政権がひっくり返った。
 このネットをきっかけにしたデモの抗議の成果に勢いを得て、同じような動きがアラブ諸国に飛び火して、エジプトではムバラク大統領の35年間続いた独裁体制がデモにより崩壊させられ、次いでいま、40年間の独裁体制を続けてきたリビアで激しい独立を求めるデモ隊と政府側との内戦状態に発展している。騒ぎはこれに続いて、バーレーン、クウェート、イエーメン、イラン、サウジアラビヤなどに飛び火して、中東各国で大きな騒ぎになっている。

 インタネットを利用して独裁体制打倒のデモを呼びかけるやり方は、数年前から中国の政府に対しての抗議デモ呼びかけにも頻繁に見られるようになった新しい方法だとされている。ネットという規制のしにくい新しい通信メディアが発達し、多くの者がそれを世界で共通の抗議の道具として利用するようになると、そのネットが一国政府の規制だけではなかなか取り締まりができにくいこと、発信元がどこの誰であるかの把握が困難で調査に手間がかかること、大量に一挙にしかも瞬時に世界に広まることなどを利用して、一躍自由な通信メディアとして注目されるようになってきた。

 だが、中国などでは、このネットに対して、それが民間大衆爆発の道具として利用されやすく危険だというところから、従前より厳しい検閲や規制が加えられてきていた。
 またそれと同時に、政府自らが反政府の敵側になり済まし呼びかけの情報を流して、それに応ずる連中を捕まえる道具としても利用されるようになったともされている。たとえば今回、チュニジアの「ジャスミン革命」やそれに続く中東でのデモなどは、中国では一面では公然と自国への波及を恐れ、国民の目に触れさせぬように厳しいチェックを続けると同時に、逆に利用もしていると伝えられている。天安門事件での迫害をのがれ、アメリカに逃れた「法輪功」のネットなどでは、チュニジアの成果を見て、一月に中国でのネットに出された「中国でも主要数都市でのデモをしよう」と呼び掛ける文章自体を、中国官憲の同調者を一網打尽にしようとの罠である可能性が高いと指摘している。実際、この呼びかけでネットが指定した数地点では、物々しい警察や人民軍の監視がなされ、デモを見ようと集まった人々が多数検束されたと伝えられている。

 また、ネットによる呼びかけは、その発信者が匿名などで隠れているため、信用できない多くの危険性も含まれている。単に自分は野次馬で、人を煽動することを目的の無責任な呼びかけと、真剣な呼びかけの見分けも簡単にはつきにくい。厳しい独裁政権への反抗の意思表示は、行動に参加する者には大きな危険が付きまとう。これが新しい政治行動の武器として定着するまでには、かなりの検討が加えられなければならないだろう。



 騒乱を起こすだけでは事態は解決しない

 そんな、いまだ成熟した武器とは認めがたいとの認識も強いため、私もいま流行っているネット呼びかけデモに対し、それが効果的な新戦術であるとの明確な結論を出しにくいと思っている。必ずしも呼びかけが、大きな成果につながる道具とは断定できない要素もあると思うからである。だが、これだけは言える。呼びかけが真剣なものであっても、単なる扇動目的の無責任なものであっても、それに大衆が動かされ、一旦多くの野次馬までも加わって大きな波動になったとき、それは巨大なエネルギーとなり、考えられないほどのものに発展して威力を加える。



 だが本欄で私が述べたいことは、この問題に関してではない。中東での紛争を見て痛切に感ずるもう一つの側面である。それは国情によっては、それが国民の期待する政権の交代どころか、国という大切な組織を崩壊させる危機もあるという、実現性の側面から見た問題提起である。

 リビア。特にこの国の紛争を見ていて強く感ずることであるが、この国の騒動はどんな顛末をたどるのだろうか。

 リビアは歴史的に多くの民族が往来し、民族の集団的移動が繰り返された地区であり、多くの政権のもとに組み入れられ、多様だが独立国家としては安定しがたい歴史を歩んだ地であった。二十世紀になってからも、初頭にイタリアの植民地にされていたのがイタリアの敗戦で第二次大戦後は英仏共同の統治権のもとにおかれ、1951年になりキレナイカ、トリポリタニア、フェッサーン三州連合のリビア王国として独立したのだが、やがて1969年にナセル主義者であったカダフィー大佐のクーデターにより王制は廃止されて彼の指導のもとにおかれ、40年間にわたってそれが続いて現在に来た。

 かくして国は現在、カダフィーの独裁体制のもとにあるが、カダフィーによれば、直接民主主義をとる国とされ、しかも一党独裁、憲法もなく、実質的にはカダフィーの思いつきのままに動いている。北朝鮮によく似た体制の国とされ、事実北朝鮮とは友好関係にある。
 国民はいまではアラブ系諸民族が中心だが、アフリカ系など多くの部族が混在し、共通となるのは国民の大多数が回教各派の信者であるということ程度だ。また植民地であった経験から、イタリアや英国系の人も多い。国内で石油が大量に産出されるので、カダフィーはその収入で国民を統治、石油収入で維持されているような情勢にある。

 今回、チュニジア、次いでエジプトの独裁政権が倒れたのを見て、こんな具合に進むのならカダフィー政権打倒も可能かとの動きが出てきてデモが起こり、それが発展して大衆が蜂起、カダフィーの軍とデモや群衆がぶつかって激しい主導権争いに発展している。だが、カダフィーが倒れた後、どのような政権が樹立され、それがどうやってその後のリビアを纏めていくかを考えるには問題が多い。

 先ずカダフィーは、ようやく始まった新しい王制を倒して統治をはじめ、憲法も法もない政治を行ってきた。国民自体が定住性に乏しい歴史があるので、ここにはカダフィーの定めた規則以外にリビア国民なら共通して守るという概念が乏しい国だ。デモ騒動の結果、国民評議会という反カダフィーの連合組織は結成された。しかしリビア国内では、いままでカダフィーに反抗する勢力はいずれも非合法で微力で、しかも厳しい圧力のもとにあったので、いずれも大きな力を持たない状態にある。

 評議会ができたといっても、その戦う主力はカダフィーのリビア軍から寝返った兵隊ぐらいが中心で、ほかの連中は軍の持っていた銃などを取り上げて、にわか仕込みで扱い方を教えられた群衆と、石ころで武装したような連中だ。対するリビア軍は訓練をした正規軍だ。おそらくよほどのことがないと互角に戦う力がないだろう。結束して戦う力がないので、リビアの国軍がアフリカや少数民族などの外人部隊などを使って、国民に遠慮なく攻撃してくるので、せめて爆撃や機銃掃射など空軍の攻撃力をつぶそうと、国連や欧州連合などに制空権の制圧や、外国による援助を求める声が評議会の中からまで起こっている。このままでは「外人部隊で自国民を殺す非情なカダフィーを追放せよ」と言っていた反政府軍までが、自らも外国の力で戦おうとすることになる。

 しかも評議会が仕切りに援助を求める主力の西欧の中心は、リビアの国民のたった一つの共通性、97%の国民が回教徒だという点とどう言う関係があるのだろう。評議会の主力である回教者の心情は、キリスト教やユダヤ教の排斥だったのではないか。ところがいま、彼らが助けを求めている相手はキリスト教国のアメリカ、イギリス、フランスなどが中心なのだ。

 まだある。リビアの現状はカダフィーがいなくなったらどうなるか。残るのは無数の分裂した部族がてんでに支配する荒野である。この地域は昔から様々な土地から来る各種人種の激しく入れ代わる原野であった。カダフィーが倒れたら、国民をまとめる核になる歴史を持たない国なのだ。


 こんな国の体制を大きく変えて、しかも安定した一国を作るには、事前にこんな国を作ろうという確りした理想的青写真が必要なのではないか。それの準備もなくネットに乗せられ暴発した今回の騒ぎは、どんな国にリビアをしようと思ったのだろうか。私が無知なのかもしれないが、きわめて疑問に思うところだ。

 日本という長い独立してきた歴史を国民が共有し、それなりに日本のような条件を当たり前のことと思っているものがリビアには無い。日本ではそんなもの、存在しない国などはあり得ないと思って暮らしているもの、それがリビアにはないことに注目せねばなるまい。今回のアラブの騒動を見るのには、これはかなりの国に共通する。これは良く知って眺めなければならないと思っている。


 受け皿がないということ

 日本には連綿と一本につながる歴史がある。民族共有の神道という信仰がありそれを土台にする文化があり、天皇の制度がある。それに基づく国民意識がある。一定の土地にしっかり住みついて、米作という継続と力を出し合って共同作業を続けてきた環境があり、それらを一つに精神的にまとめてきた日本らしさが生きていて、それはいまも、この土地に水や空気があることが当然のように、特別に意識もされずに続いている。

 天皇制度は二千年以上の歴史において、常に国民の実生活を腕力づくで支配してきた制度ではないかもしれない。それほどの強い圧迫感はないのかもしれない。だが、源氏・平家の時代から、織田・豊臣の時代、徳川の時代と、日本の実力的政権担当者は何回となく交代した。しかしそんな時代ではあったが、日本にはそれらの時の政権担当者は、国民の代表として「まつり」をしてきた歴代の天皇から、天皇の有史以来持ってきた社会的影響力の一部である「政治」の権限をゆだねられた「征夷代将軍」というような資格が授与されて、その権限を行使しているという認識で政治をしてきた。このお墨付きが日本では政治の権力を行使する上の絶対に必要なもの、国民を納得させるものだった。

 それは武家政治の時も、徳川時代も、明治時代も、いまも変わらずに続いている憲法などよりもはるかに深く国民に定着した日本のにおいである。日本の個性である。日本では選挙で国会議員が決まり、議員の選挙で首相が決まるが、首相は天皇から首相としての認証を受ける形で二千年以上の歴史を現代においても継承している。よく見ると、現代の首相も、昔の征夷代将軍と似たものであることを見落としてはならない。

 こんな国だから、我が国は、大変な混乱を迎えても、国民の中の混乱は最小限度に抑えられ、国内が分裂して崩壊する深刻な危機を経験せずにやってきた。平家から源氏への転換だって、明治維新の変革だって、昭和20年の大東亜戦争での敗戦だって、日本が大転換を平穏に乗り越えてこられた第一の力は、この特別なシステムにあった。

 いまの日本もどうしようもない政治の行き詰まりに苦しんでいる。これは現代の日本人が、日本にとって水や空気のように大切な日本らしさに支えられ、これがあるから日本が安定したよい国でいられることを見落として、まるで真空地帯ででも生きられると思ったところから60年以上、当然招くべき人災だともいえる。

 だがそれでもまだ、日本の匂いは濃厚に残っている国がらだ。例え現代の征夷代将軍の菅直人首相が失脚しても、また新しい代将軍が天皇から任命されれば、少々の波はあったとしても日本の国は続くことができる。それは変革というものがいかに大きく見えても日本においては革命ではなく、常に革新で済むからだ。

 そんな面から眺めると、ネットによる体制破壊は、改革を望んで、国そのものの破壊にもつながりかねない危険を常に背中に負っているのだという恐ろしさも感ずる。この厳しい時代に、国をなくしてしまったら、どう言うことになるだろうか。

 そんなことをしみじみ思いながら眺める中東での今回の一連の事件である。