葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

脱官僚論の混戦

2010年10月10日 16時07分47秒 | 私の「時事評論」
 民主主義政治と言われるが

 国の行政が官僚たちの思うままに左右されてしまっている。国民は建前として
「日本は民主主義だ。国民の投票を通しての意思表示が国政を動かす国だ」
などと言われているのだが、現状は全く違ってきているのではないかとの不満の声が、最近にわかに強まってきている。

 選挙で選ばれた国会議員の中から選び出された首相は、大臣を選んで組閣して、国会で各省庁に分かれた政治課題への取り組みを羅列した施政方針を読み上げる。
 大半のそれは各省庁提出の文章のつなぎ合わせだ。
 それに対して国会議員が質問をすると、閣僚たちは、事前に質問者から提出された質問要旨に関して、所轄の役人が作った回答や問答集の中から関連する個所を棒読みして答弁する。
 それでも足りないと突っ込まれると、政府委員として担当の役人が出てきて、うまく回答して予算を通す。予算が通ると、付随する法案が出るが、これもほとんどは省庁が作って、提出したものだ。

 これが日本で長く続いてきた国会の審議の実態である。これが全国に放送されるのだから、見た国民から、これでは役人のお膳立て通りだとの不満の声が起こるのも当然と言えば当然だ。
 だがそれは国政の場である国会のみの現象かというとそうではない。府県や市町村議会などもみな同じ状況で、地方議会などでは、議案に対する質問まで、提案した役人たちが準備するのが礼だというところも多い。

 そのほか国政や県政などに、民意を反映しようと設けられた公聴会、各種諮問機関や重要な問題の検討委員会などの審議までが、みな役人がおぜん立てして人選し、委員は言われるままに発言したり合点首をしたりしている。
 こんなときに目立つのは、事前の筋書きや根回しから、議事の内容、結論の出し方に至るまで、まるで芝居の脚本家のようにちょろちょろ工作に走りまわる役人の姿だ。ここでは特に名前はあげないが、私が仕事で取り組んだ課題に関する諮問機関などは、なんと諮問される委員を誰にする段階から、筋書きをつくる役人の行政が動きやすい意見を言ってくれしうな人が有識者などの肩書で選出され、役人のレクチュァーで、彼らの仕組んだ意のままの結論を出し、ただその政策の民主主義的箔付けするのみにされているものも多かった。



 操り人形扱いの議員たち

 こんな状態になってしまうと、議員や委員たちはもう、狡猾な役人たちの操り人形にすぎなくなる。

 法律を見れば、民意によって運営される制度は形では整備されている。しかし実態は前述したような状況だ。
 議員たちがよほどの覚悟と信念をもって取り組み、そこに政治家としての自分の意思、あるいは投票者に対して約束した公約を生かそうと努力しない限り、やられるほうが通常だ。
 役人たちは終身雇用で専門にこの部門に通じており、議員たちより実務に遥かに強い。継続的な蓄積の上に仕事をしている役人に逆に操られて、指導性を発揮するどころではない状況になっていることを知るべきだろう。それに役人たちは勉強もしているし、採用試験の厳しい制度を通り抜けた頭脳をもっている。さらに他の連中ともしっかり組織を固めて結びついて、連携しながら動いているのだ。



 官僚たちの組織

 私は某官立大学を卒業した。法律経済分野の学部だが、同期の者の相当部分が中央地方の公務員試験を受けて役人になった。彼らは卒業後も先輩とも連携をとり、役人の組織網の末端で仕事をしてきた。
 もう彼らは70代に達し、官僚組織は卒業しているはずなのだが、いまだに後輩たちと連絡を取り、まだ現代も○○委員などという、民意を聞くためにと役人が設けた席や、天下りとの批判も受けている各種法人やその関連企業などで、役人だった経歴を生かし、名誉職についている者もいる。

 同窓会などで集まると、彼らは何人か集まって、酔った勢いもあるのだろうが、
「俺があの議員を動かして、こんなことをした。こんな実績を果たした」
などと、いかに天下を動かしたかとの自慢話をする者も多い。
 私が「現役時代、頑なな官僚の教条主義が壁になり、運動をしようとした時の大きな壁になった。中途半端に頭が良くて、そのくせ非常識な役人連中には苦労したよ」
などと中に入って皮肉交じりに混ぜ返すと、
「おまえは組織というものを知らなすぎる。単独でただ正面玄関から入ってみようとしても、そんな素人は相手にされないのが当然だ」
などと、平然と答えるのだから呆れてしまう。
 官尊民卑というのかもしれないが、官僚組織とは、こんな意識をもつ連中で固められている。