夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

渡波の『山形屋』という旅館

2011年04月30日 00時02分15秒 | その他
僕が人生の師と仰いだI先生。釣りが大好きでしたので、それだけでも尊敬の念を持っておりました。I先生も僕を子供のようにかわいがってくれて(同年齢の息子がいますので)いまだにI先生への感謝の気持ちは変わりません。
 I先生と初めてお話をさせていただいたのは飛行機の中でした。当時の僕は渓流釣りがメインの釣り師でしたのでI先生の釣りとはちょっと趣を異にしていましたが、飛行機の中で先輩が『I先生がお呼びだよ』って伝えてくれました。I先生は僕らの業界では雲の上の人でしたので、怖くて話もできない人でした。でも直にご指名でしたのでドキドキしながらI先生の席に向かいました。しかしながら話してみるととても気さくな先生で、とても好感が持てました。その上、I先生から『近い将来、一緒に釣りに行こう』とありがたいお誘いまで頂戴し、天にも昇る気持ちで自分の席に戻ったのを昨日のように覚えています。
 その後一か月ほどした時、I先生から直接電話が来ました。緊張して電話に出ると『ハゼ釣りに行きませんか?』とのこと。勿論、僕の中ではハゼなんてチョロイ釣りだと少々バカにした気持ちがあったのですが、I先生と一緒に釣りができることは、僕にとってはこの上ない光栄でしたので、一発返事をしたのを覚えてます。それから一週間後にI先生の取り巻きの先生から電話が来て『二泊三日で仙台方面にハゼ釣りに行くから新幹線のチケットを取る』との電話が来ました。ハゼごときに二泊三日?しかも仙台?・・・?その時の僕にはまったく理解に苦しむ連絡でした。僕がその頃思っていたハゼ釣りは東京湾や江戸川などで10cm~15cmくらいのハゼを釣るものと考えていたものですから理解に苦しんだのです。そこで早速I先生のお宅に電話を入れてみました。僕が思っているハゼ釣りの事を話すと、笑いながら『いいから一回騙されたと思って来てごらんよ。無理とは言わないけれども・・・。』というお返事でした。具体的に仙台のハゼ釣りをについては聞かなかったのですが、お誘いがあって一発目からキャンセルでは信用を失うことは必至ですから、とりあえず騙されてみようと思いました。
 当日、新幹線で仙台に行って、そこから仙石線というローカルな電車に乗って渡波という駅で降りました。駅前だというのにビルもまばらなその駅は思いっきりローカルで好感が持てました。そして、みんなについて歩いていたら『ここ、ここ』と。どうもここが宿らしいのですが、普通の民家みたいにしか見えません。それでもI先生が玄関の引き戸を開けて『こんにちわ』というと、小走りに宿の女将が出てきました。みてくれが上品な女将で、I先生の顔を見るなり『お久しぶりです。お元気でしたか?』となんかとてもいい感じの女将です。新参者の僕も紹介されて二泊三日をここで過ごしました。着いた当日は岸から釣ったのですが、15~20cmほどのハゼが次々に釣れて、僕はもうお腹いっぱいみたいな感じになっていました。みんなは投げ釣りやウキ釣りなど、様々に好みの釣り方でそれなりに釣果を上げていました。僕は渓流釣り師気取りでフカセ釣りで釣りました。釣ったのは万石浦という大きな湾の入り口で、中が広くなった湾ですので、潮の満ち干でその海へ繋がる水路はかなりの潮流がありました。ですから渓流釣りの釣り方は理に適っていました。
 その晩は、みんなで酒盛りです。今日釣ってきた魚たちも女将の配慮で、料理されて食卓に並び、僕らの舌を満足させてくれました。僕は飲まないので少々口を付けただけでしたが、一緒した先生方は酒豪ばかり。最後には女将の『もうお酒がありません』という言葉が出てやっと酒宴が止まる始末です。でも、みんな本当に楽しそうで、それを見ている僕も、まるでお酒に酔ったように楽しい気分になれました。夜遅くまで飲んだのに、翌日は朝早くから、今度は船でハゼを狙います。みんな早起きで、さっさと用意を済ませてまだ暗い中を港まで歩いて行きます。港に着くと数人が乗れるだけの船が待っていて、それに乗ってポイントまで船頭さんが連れて行ってくれます。まだ朝日が上がる前でしたが世間が明るくなって来ている時間帯でした。早速僕の横に座っていたK先生が良いハゼを釣りました。流石に船だと型がいいです。そしてトモに陣取っていたI先生が早速竿を絞っています。ここで、あの竿の曲りはハゼじゃぁないなと僕は思って見ていました。釣りに精通した人ですので見事な竿捌きの後、すんなりと獲物を船の中に抜き上げました。シルエットでその魚をみたのですが、ナマズだろうと思っていました。30cmは優にありましたので。そうしたら、近所に陣取っていた釣り師から一斉に拍手が上がりました。本人も『これだよ、これ!』と満足そうです。僕は???でしたので、ちょっとわざわざ見に行きました。そこで見たのは見事なケタハゼでした。ケタハゼとは尺を超えるハゼの俗称です。その後も止まる事を知らないかのようにハゼは釣れ続けて、僕らの笑顔も止まらないままその日の船釣りを終えました。相当な数のケタハゼが釣れてびっくりです。そして釣行前にI先生に『騙されたと思って来てごらんよ』と言われたことがやっと理解できました。ケタハゼは利根川の河口や伊豆の某河川の河口で時々釣れることは知っていましたが、現物を見たのは初めてで、しかも一匹や二匹ではなく、数十匹のケタハゼを見せつけられたのですからこれはもうびっくりです。そして、その晩生まれて初めてハゼの刺身というのをご馳走になりました。勿論、宿の女将がさばいてくれたものです。あっさりしていて癖がなく、いくらでも食べられるような刺身でした。みんなも『美味いっ!』を連発し、舌鼓に酔いしれ加えて地酒がそれを加速させ、再び女将が『もうお酒がありません。今日は昨日より買って来ておいたのですが』と。
 こんな楽しい二泊三日を過ごさせていただき、I先生には感謝・感謝でした。そして、気の利く女将がより一層僕らの旅を楽しいものにしてくれました。それから毎年例会のようにここにハゼ釣りに行ったのですが、徐々にハゼが小さくなって来てしまい、最後の方はケタハゼなんて夢のまた夢みたいになってしまいました。それでもI先生をはじめ、全員が山形屋が大好きで、僕が幹事をやっていた時も『人数が多いので他の宿にしませんか?』と提案しても『他の人はどこに泊まってもいいけど、俺は山形屋に泊まる。』と言い張ってしまいます。上記したように、山形屋は普通の民家の構造ですから6人以上は無理と言われていました。現実に泊まるだけなら20人位はOKでしょうが、そこは山形屋の女将、「みんな楽しみに来てくれるのに充分な事が出来ないならやらない方がいい」という考えを持っていたのだと思います。これは僕らの時だけかもしれませんが、明らかに採算度外視でした。それにしても、とても楽しい釣行がこの山形屋さんありきで成り立っていた事に深く感謝を述べたいと思います。
 その後、どんどんとハゼの型は落ち、魚影も薄くなって、とうとうI先生が苦情を言いました。特にポイントがI先生が思っているポイントを避けて釣っていると言うのです。他誌かに一般的な釣り船は翌日に来る客の事を考えて、魚を残しておかなければなりません。客がそこそこ満足する程度の釣果があればいいのですから、沢山釣らせる必要はないのです。船釣りをやられる方なら経験があると思いますが、釣れているのに船頭さんが『ハイ上げてぇ~』と言ってポイントを変えてしまうことってありますでしょ?あれはまさにこのことなのです。しかしながら、昔の良い状態をご存知のI先生は満足できなかったようです。少なくとも自分が言うポイントに連れて行ってもらって釣れないのなら納得するのですが、ポイントに連れて行ってくれないヮ、型も数も少ないヮではこういう苦情がでても当たり前です。そして、その翌年から僕が船頭をすることになりました。僕が船頭をするなら、好きなだけ釣ってもいいわけですし、好きなポイントで好きなだけ釣れるから、釣果はどうでも、納得できる釣りとなるわけです。案の定、僕の船頭はみんなにバシバシ釣らすことができ、みんなから過剰なるお褒めを頂きました。勿論、他のプロの船頭さんが集まっている場所は荒らさない(行かない)ようにして、その日の潮の流れや水温から自分なりにポイントを絞って釣ったのですが、マグレの連続でみんなプロの船頭さんの船の2~3倍の釣果を出してくれました。勿論船頭の僕は釣りはほとんどできませんのでほとんど竿を出す事はありませんでしたが、楽しい思い出の一コマとして、今でも新鮮な記憶として残っています。
 その後I先生が体を壊し、他界されてしまったので、この楽しい恒例釣行も止まってしまったのですが、今でも女将さんとご主人にはみんな感謝しております。
 しかし、この山形屋さん、津波を被った区域にまともに入っています。御主人も含めて女将さんも元気にしているのでしょうか?元気にしていることを望んでいます。

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