面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

情熱の泉

2008年09月19日 | Weblog
 台風が地獄の責め苦を連れてやって来た。マネージャーのKくんとの待ち合わせの12時に、はたして立ち上がれるかと朝から頚椎の痛みに苦悶していたのだが、何とか間に合った。彼も腰を痛めていて、お互い満身創痍の落ち武者みたいだと笑いあった。笑えるからまだよいが、僕は今度目の前に幕が下りたら一巻の終りだと医者に忠告されているので、この低気圧は何とも辛い。

 昨夜遅く、六本木でW氏と会って、11月の野方区民ホール公演の出演候補者のリストをもらった。バリバリのグラビアアイドルとかで、脚本を大幅に書き直すことになった。締め切りは月曜日である。

 これから台風が来るというのに、新宿でHさん、Uさんと待ち合わせだ。それも21時半である。今週中に会っておかなくてはならない用件があるので仕方がない。日曜日は劇団女優西本嬢の誕生パーティがある。会場の予約係りなので、これからそのお店に交渉に行く。この状態では交渉事など、出来るのか心配だ。

 若い頃は情熱だけで行動していたと思っていたが、それは錯覚であった。体力があったからこその情熱だったのだ。何故なら、情熱は今も変らず滾々と泉から湧き上がっている。それを支える体力があるかないかの問題である。一刻も早く台風が過ぎ去ることを祈る。

床(ゆか)で見た夢

2008年09月18日 | Weblog
 片山がソファーを移動して絨毯を敷いてくれたので、久しぶりに床で寝ることが出来た。が、ボテ箱の詰まった奥の押入れから布団を出すことが出来ず、タオルケットとバスタオルを重ねて敷いて布団代わりに寝ることになった。椅子やソファーと違うのは手足を伸ばせることぐらいだが、精神的には随分楽だった。

 だからという訳でもないだろうが、珍しく楽しい夢を見た。数十年もやわらかいベッドに寝ていたので、絨毯を敷いたとはいえ、床にタオルケットでは流石に骨身にこたえた。悪夢にうなされるかと思ったら、顔もほころぶ夢だったので目覚めも心地よかった。  

 先日Y嬢に「面白い話を作りますね」と言われた話を書いたが、インドネシアの友人の話は本当に事実である。僕のブログは「夢より不思議」なのだ。そう言うと、Y嬢は、つぶらな瞳を見開いて口を半開きにして僕を見つめた。本人は無意識なのだろうが、その表情は男心を鷲づかみみにする魔性のアイテムだ。僕がもう20ねん若かったら、彼女の底なし沼に溺れていただろう。勿論、そんな思いは胸にしまってモナカを頬張ったのであった。

 劇団双数姉妹の浅田よりこ嬢が乃木坂コレドシアターで、男性2人を相手に3人芝居に挑戦する(11月7日~11日)。昨日、そのチラシをもらったことと、片山とコレドでやりたいね、と話したことが重なって見た夢に違いない。あまりに嬉しい夢なので、誰にも語らず胸に秘めて置くことにする。実現したら、いつか夢で見た、と、明かそう。

 「私ね、ハイジと踊ってる夢を見たの」車椅子のクララが楽しそうに語る夢の話に、「正夢になるといいわね」クララの祖母がハンカチを目にあてながら優しく微笑む。ミュージカル「アルプスの少女ハイジとクララのワンシーンである。ラストシーンは、アルプスにハイジを訪ねて来たクララが車椅子から立ち上がり、皆で歌い踊る。

 アルプスに抱かれて     
作詞・朝倉 薫
作曲・神津裕之

 太陽の微笑がアルプスの風になる
 金色の微笑みに草や花が歌いだす
 緑の絨毯に寝転んで空を見よう
 アルプスに抱かれて風の歌を聴こう
 山を越え谷を渡り
 草の匂い つれてくるよ
 太陽の微笑みはアルプスにそよぐ風

 僕らはいつでも地球に抱かれている。決して忘れてはならないことのひとつである。やわらかいベッドも固い床も、すべては地球の上にある。

東京暮らし

2008年09月17日 | Weblog
 夜行バスで東京に戻ってから、ソファー、椅子、ソファー、椅子、と、まともな場所で睡眠を取っていない。僕の留守中、稽古場や倉庫の大幅な整理があって、奥の寝室はボテ箱の山となり洋服ダンスにも近づけない。書斎は運び込まれたソファーが占領している。そこで、劇団の片山竜太郎に手伝ってもらい、書斎のソファーを移動して、手足を伸ばせるスペースを作った。これで、何とか床に布団を敷いて眠れる。

 「サンチョ・パンサ」を片山に読んでもらった。気に入ってもらえたようでほっとした。今月中に推敲を終えて、再び九州へ行く前に片山に渡す約束をした。約60分の独り芝居である。この芝居は片山のために書き下ろした。乃木坂のコレドシアターで上演したいが、今のところ予定はたっていない。

 コレドシアターといえば、「マケイヌバー」をやりたいと常々思っている。僕の大好きな俳優さんたちと、いつの日か実現したい。片山のサンチョの方が先に実現する確立大である。どちらも、神津裕之先生の音楽なしでは成り立たない。神津先生と云えば、「アルプスの少女」の九州公演が実現したら、是非お連れしたいと、こちらも常々思っている。想いは必ず叶うと信じて精進するのみである。

脈拍と寿命

2008年09月16日 | Weblog
 昼前に雨があがった。薄日の射し込む窓を開けると、まだ水滴の残る庭の芙蓉の花にミツバチが一匹懸命に仕事をしていた。はぐれミツバチであろうが、都会の片隅の何処か人目につかぬ場所で、女王蜂を守り必死で生きているのだろ。天変地異が起ころうと、それが彼ら蜂族の生きる意味なのだ。さすれば人間の生きる意味は延々と作っては壊す積み木遊びなのだろうか。相変わらず青臭い考えに苦笑する。

 九州で、心臓にペースメーカーを埋めた友人と脈拍の話をした。眠っていようが、ゴルフでナイスショットを打って興奮しようが、彼の脈拍は72に設定してあるので、変ることがないらしい。興味が湧いて、SEX時の感想を聞いてみた。はじめから興奮しないよう努めているので楽しくない、と、憂鬱そうに語った。何だか可哀相でそれ以上突っ込めなかった。

 僕は平常で一分間65回である。先ほど腕立て伏せを60回やって脈拍を測ってみた。87回だった。スポーツマンの寿命が平均より短いのは、激しい運動量の所為だろう。相撲取りが稽古以外を寝て暮らす習慣は、経験の知恵かもしれない。寝ているときに測ったことはないが、多分脈拍数は少ないはずだ。これから、運動したら、その後眠るようにしてみよう。見違えるように体重が増えたら、それはそれで実験としては面白い。と、バカなことを企んでいる間に12時になった。銀座にでて忘れていた贈り物を送って、伊東屋で原稿用紙を購い、らんぶるで旨いオールド珈琲を飲んで、それから、渋谷で仕事関係先に挨拶をして…、

異郷

2008年09月16日 | Weblog
 ヘミングウェイの作品に「The Strange Country」という中篇小説がある。読むと死の衝動に駆られる不思議な小説なので、落ち込んだ時に読む。頭を一発で吹き飛ばすライフルを捜す。あるはずもない。身体中にダイナマイトを巻きつけて木っ端微塵に?工事現場じゃああるまいし、と、別れた女性を思い出したりして、洒落た小説の一編でも書いてからにするか、てな具合に逆療法になる訳である。

 「面白いお話を作られるんですね」と、僕のブログの愛読者だという若いY嬢と銀座三越でモナカの立ち食いをしたのは13日の夕暮れであった。新宿にいむらでW氏にしゃぶしゃぶをご馳走になったのは14日の夜8時であった。

 相変わらず薄い油紙を貼ったような空に月を捜して彷徨ったのは不夜城新宿歌舞伎町の深夜であった。で、現在、16日早朝5時である。14、15両日の記憶が定かでない。パソコンをひらくと確かに15日が空白になっていた。雨だ。身体から流れ出したようなねっとりとした雨が降り続いている。

 首の取り外しが出来ないからには、諦めてソファーに寝転んで宇宙に漂う塵のように死んだふりをするしかない。そうか、動物は15億回の鼓動を刻むと死に至るのか。僕は一分間65回だから、1時間に3900回、1日に93600回、1年で7億3千4百16万4千回、2年で死ぬことになる。

外れて欲しい天気予報

2008年09月14日 | Weblog
 予報通り午後から天気が崩れて来た。しかし、まだ時折薄日が射す。これから、九州の土産を持って稽古場に顔を出そうと思っている。高倉に電話をかけたら、皆、三々五々集まると言う。8月3日の「ミッドナイト」千穐楽を最後にアトリエ公演が終焉して、ひとつの宴の焔が消えた。僕は新たな宴を求めて九州へ飛んだ。その成果がでるのは来年の春からだ。これから半年、僕らは持ち堪えなくてはならない。それぞれの夢を心に秘めて、野暮な稽古の日々を繰り返すのだ。

 2008年、劇団創立17年目の秋である。

中秋の名月も雨では

2008年09月14日 | Weblog
 九州で見る予定だった中秋の名月を東京で見ることになった。東京は突然のゲリラ雨に見舞われると聞いていたので、まだ誰にも声をかけていない。マンションの屋上で、団子など食べながら、静かに眺めたいと思っている。が、晴れたら、のことにしておこう。

 待ち合わせで銀座に出かけたが、人の多さに眩暈がしそうだった。地下鉄で新宿に移動して、またまた人の多さに目を瞠った。最後は中野新橋で打ち合わせ。今、帰宅してTVの天気予報を見たら、明日夜の予報は雨だった。中秋の名月も台無しである。一ヶ月ぶりで稽古場に顔をだす。勿論、忘れてはいない。九州遠征報告会には「博多通りもん」は欠かせない。早く皆の笑顔が見たい。

 

たまには映画の話をしよう

2008年09月13日 | Weblog
 博多で、バスの待ち時間に映画を観た。「デトロイト・メタル・シティ」(DMC)は、原作漫画を読んでいなかったので、映画として大いに楽しめた。俳優としては、主演の松山ケンイチが噂にたがわず傑出している。ヒロイン役の加藤ローサはNHKドラマ「ちゅらさん」の女優とかぶって随分得をしているなと思った。

 毛糸のパンツのこだわりが映画に程好い緊張をかもし出し、しかも、刺繍に対する監督の誠実さが観る者にストレートに伝わり、この映画の清潔感が何とも清清しい。同じ漫画原作だが、砂でパンツを洗わせた監督(原作者が激怒したと聞くが、僕は嫌いではない)をはるかに凌駕する監督の技量だ。この漫画原作者なら必ず絶賛するであろう。

 ナブコフやヘッセが生きていたら感涙するだろうなと思った。僕が「ロリータ」においてキューブリック作品よりエイドリアン版を推奨するのは、パンツやソックスの見せ方にいかに神経を尖らせているかを重要視するからである。DMCは、日本の古き伝統芸「落語」のまくらと落ちを、2回の毛糸のパンツ見せで踏襲しつつ、それが観客への押し付けにならず、極上品に仕上がった傑作漫画原作映画であった。

 断っておくが、僕は決して、軒下パンツ愛好家ではない。あくまで、映画や演劇におけるエロティシズム考としての表現方法を論じたつもりである。一切の直接表現を排して毛糸のパンツ2枚に集約した李監督に、惜しみない拍手を贈ろう。いずれにしても監督の矜持が見える作品は傑作である。

諏訪湖

2008年09月12日 | Weblog
 6時半、諏訪湖サービスエリアに到着。15分の休憩。朝陽が眩しい。あと3時間で新宿に着く予定である。信濃の友人を訪ねて塩尻峠を歩いて超えたのは、19歳の晩秋であった。友人はシーズン前の白馬へ旅立ったあとだった。善光寺で一泊して白馬へ向かった。友人に会えた感激はひとしおであったが、スキーの出来ない僕は、泣く泣く東京へ戻った。41年前のあの日も、諏訪湖の湖面は穏やかだった。

 誰にでも特別な日がある。大切に胸に刻んで生きて行ければそれでよい。僕にはギターが一本あった。歌を作り、そして歌った。今日もまた、僕は歌を作り、そして歌うのだろう。誰かのために、誰かを想い、誰かの幸せを祈って。

バスは東へ

2008年09月11日 | Weblog
 19時に博多を発ったバスは、関門海峡を渡り、山陽道をひた走っている。阪神、名神高速道を抜け、中央道を走り、明朝6時に諏訪インターに着くまでノンストップである。ノートパソコンの蓄電池が切れる前に、ブログをアップしようと思ったが、揺れるバスの中でキーを叩いていたら酔ってきた。今回の旅の印象を記すつもりが、何ということだ。西へ向かうバスの中ではまったく平気だったのに、東へ走ると、頭のコンパスが揺れ動く。ここはおとなしくダウンしよう。御免!