仕事より私事の付き合いが長く深い友人のお母上の訃報を電話で知らされた。九州の山里にいては、電話でお悔やみを告げるだけで、どうすることも出来ない。僕の母が亡くなったとき、彼をはじめたくさんの方からお悔やみをもらった。東京から空路、この山里まで来てくれた友人もいた。心使いは嬉しいものだ。彼は業界でも成功者の部類にはいるので、弔問客も殺到するだろう。
夕暮れ時、94歳になっても足腰のトレーニングで庭を歩く父と、庭石に腰掛けて、葬式について語り合った。僕の仕事の成功を見届けるまでは死に切れない、と言うのが父の口癖で、生きていて欲しいのでなかな成功しない、と言うのが僕のお返しの決まり文句だ。ところが、今日は珍しく弱気で、寝室の黒いかばんに生命保険の書類があって、受取人名は僕にしてある、と、初めて聞くまるでドラマのような話をし始めた。役者なので信用は出来ない。僕は、後5年したらその話をしてくれと、ドラマの主人公風に、さえぎった。
若い頃は、父の遺産で悠々暮らす、いわゆる高等遊民にあこがれたこともあった。しかも、それに近い人生を送ってきた。自分のゴールが見えた今、どっちが先に逝くかわからない今、父の遺産を当てにしてどうなるものでもない。
母の遺言も聞き損ねた僕は、父の最期にも立ち会えないであろうと覚悟している。そろそろ東京へ帰ると言えば、食欲がなくなったとしょんぼりしてみせる父。相変わらず役者である。どうみても3年は大丈夫だろう。あと、3年か…。
夕暮れ時、94歳になっても足腰のトレーニングで庭を歩く父と、庭石に腰掛けて、葬式について語り合った。僕の仕事の成功を見届けるまでは死に切れない、と言うのが父の口癖で、生きていて欲しいのでなかな成功しない、と言うのが僕のお返しの決まり文句だ。ところが、今日は珍しく弱気で、寝室の黒いかばんに生命保険の書類があって、受取人名は僕にしてある、と、初めて聞くまるでドラマのような話をし始めた。役者なので信用は出来ない。僕は、後5年したらその話をしてくれと、ドラマの主人公風に、さえぎった。
若い頃は、父の遺産で悠々暮らす、いわゆる高等遊民にあこがれたこともあった。しかも、それに近い人生を送ってきた。自分のゴールが見えた今、どっちが先に逝くかわからない今、父の遺産を当てにしてどうなるものでもない。
母の遺言も聞き損ねた僕は、父の最期にも立ち会えないであろうと覚悟している。そろそろ東京へ帰ると言えば、食欲がなくなったとしょんぼりしてみせる父。相変わらず役者である。どうみても3年は大丈夫だろう。あと、3年か…。