面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

訃報に接して

2008年09月06日 | Weblog
 仕事より私事の付き合いが長く深い友人のお母上の訃報を電話で知らされた。九州の山里にいては、電話でお悔やみを告げるだけで、どうすることも出来ない。僕の母が亡くなったとき、彼をはじめたくさんの方からお悔やみをもらった。東京から空路、この山里まで来てくれた友人もいた。心使いは嬉しいものだ。彼は業界でも成功者の部類にはいるので、弔問客も殺到するだろう。

 夕暮れ時、94歳になっても足腰のトレーニングで庭を歩く父と、庭石に腰掛けて、葬式について語り合った。僕の仕事の成功を見届けるまでは死に切れない、と言うのが父の口癖で、生きていて欲しいのでなかな成功しない、と言うのが僕のお返しの決まり文句だ。ところが、今日は珍しく弱気で、寝室の黒いかばんに生命保険の書類があって、受取人名は僕にしてある、と、初めて聞くまるでドラマのような話をし始めた。役者なので信用は出来ない。僕は、後5年したらその話をしてくれと、ドラマの主人公風に、さえぎった。

 若い頃は、父の遺産で悠々暮らす、いわゆる高等遊民にあこがれたこともあった。しかも、それに近い人生を送ってきた。自分のゴールが見えた今、どっちが先に逝くかわからない今、父の遺産を当てにしてどうなるものでもない。

 母の遺言も聞き損ねた僕は、父の最期にも立ち会えないであろうと覚悟している。そろそろ東京へ帰ると言えば、食欲がなくなったとしょんぼりしてみせる父。相変わらず役者である。どうみても3年は大丈夫だろう。あと、3年か…。

アルプスの少女

2008年09月06日 | Weblog
 昨日、新聞社でT編集長と打ち合わせをしていて、県文化協会の大御所Oさんを紹介していただいた。いよいよ、来年の公演が本格的に動き始めた。来週は故郷美里町との打ち合わせ。週末はその資料作りとなる。15年前に立ち上げたファミリーミュージカル「アルプスの少女ハイジ」が九州のアルプスのような村から動き出す。夢のような話である。しかし、実現までには、オーディション、ワークショップ、制作と、数々の難問をクリアしてゆかなければならない。幸い情熱の焔はまだ残っている。協力者が次々と現れ、人の縁の不思議さを実感している。

 企画書を書いていたら、F君から連絡があった。そういえば昼飯の約束をしていた。I君を誘って甲佐町の柳屋で帰郷以来念願の旨いちゃんぽんを食した。地域参加のミュージカル、僕にとっては始めての体験である。苦労は承知の仕事だ。出来上がりの映像が浮かぶ作品は必ず成功する。企画書は、皆に映像を浮かべさせる青写真である。物語を書く事と同様に胸が躍る。

コスモスの咲く丘

2008年09月06日 | Weblog
夏が終わったことを季節の花が知らせる。山里は人の営みに関わりなく、今日も大空の下にある。ただある。10月になれば、丘はコスモスの花盛り。喜びも悲しみも埋め尽くして、コスモスは風に揺れる。再び笑顔で逢いたいね。