面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

バスターミナルにて

2008年09月11日 | Weblog
熊本からバスで博多に来た。来た時と同様高速バスで帰京することにした。出発は19時。ターミナルのコーヒーショツプでバスを待っている。写真は1ヶ月間の陽射しを受けてくれた帽子。そして、共に歩いてくれた鞄。山と待っている仕事が片付いたら、鞄は再び僕と旅立つ。14時間のバスの旅で、サンチョの終幕を書き上げよう。

旅立ちの朝

2008年09月11日 | Weblog
父が珍しく無精髭で新聞を読んでいた。それじゃ、と、声をかけると、小さく頷いた。迎えに来たSさんに写真を撮っていただいた。別れはさびしいものだ。

肩書き考

2008年09月10日 | Weblog
 九州最期の日を10日の雑事に追われている。朝からバスで麓の町に下りて、地元唯一の銀行「肥後銀行」へいった。窓口嬢の爽やかな対応で事は順調に運び、6月に倒産した会社の労働争議委員長をやっている友人のIくんと、3333段の麓の、これまた同級生が経営している田舎料理屋で昼食を摂った。午後から争議に出かけると言うIくんと別れ、家に戻って荷物の整理をしている。今宵はS塚くん宅の晩餐会に招かれている。ギターに弦を張ったので、30年ぶりにミニライブをやることにした。東京では思い出したようにライブをやっているので、数曲なら何とかこなせるだろう。

 で、今朝、話が横道にそれた「肩書き」についてだが、こういうことだ。肩書きにもいろいろあって、役職や職種だと事務的に当然である。問題なのは「あの何とかの誰々」という、名刺にはあまり見かけないが、紹介には欠かせないほうの肩書きである。と、いうのも、今の僕には「あの何々の」というキャッチがひとつもないからである。今回の営業で、本当に困った。大方の人間が知っている、例えば、100メートルを10秒5で走ったあの朝倉です、とか、トム・クルーズから恋文をもらった朝倉です、とか、初対面の相手が瞳を輝かせるワクワクキャッチがあれば、何の説明も要らず心を開いてもらえるのに。と、何度も思ったからだ。つまり、営業には肩書きが有効且つ又必要であると、痛感した経験による肩書き考である。

 「腕立て伏せ30秒で60回の朝倉」とか、「毎日ブログ書いている朝倉」では、地味すぎるし、ふーん、で終わりそうな気もする。かと言って「逆立ちで通勤する朝倉」とか「毎日カツどん30杯食う朝倉」では気持ち悪がられるのが落ちであろう。ここは奮起して、「何々賞作家朝倉薫」をものにせねばなるまい。などと、つらい営業の合間に考えた。田舎料理屋の女将Sちゃんが、巨体を揺るがせて笑った。「経営難でこんなにやつれちゃったのよ!でもね、主人に言われたの、つらいからこそ努力するんだ。楽になったら努力しないよって。おーっほっほっほ!」

 小学校、中学校の同級生は心なごむ。Sちゃん、Kちゃんで呼び合えば済む。大人になってからの肩書きなど、何の意味もない。「元気でね」別れの言葉も一言だ。
 何処でも何時でも、Kちゃんで通用したら楽だろうなあ、いかん、いかん、楽だと努力を怠ってしまう。いや、楽が良い。この歳にして惑う僕である。

肩書きとの付き合い

2008年09月10日 | Weblog
 中学時代の友人に某大手下着メーカーに勤めている男がいる。かなり有能で、現在は中国の工場を任されているらしい。彼のインドネシア派遣時代の話は、とても興味深かった。ただし、20年ばかり昔の話である。

 重要なポストなので、待遇は良かったらしい。日本で言えば邸宅、そこにメイドが3人に運転手、さらにボディガードのような助手、と、言葉にすれば聞こえは良いが、すべて現地人、日本語は殆ど通じない。が、料理はまあ口に合うし、仕事で来ている訳だから、と、自分を納得させた。

 ある日、彼は、工場立地の下見を兼ねてジャングル探検に出かけた。勿論、現地の通訳、ボディガード、運転手、それに、運転手の親戚付きである。日本人の金持ちが独りで出歩こうものならたちまち誘拐された時代である。当然、武器を携えた本物の探検隊である。

 ジャングルでは、虎の咆哮、猿の悲鳴、怪鳥の羽ばたき、それこそ映画の中にいる気分だった。その日は朝から腹の具合が悪かったこともあって、陽が中天に上る頃、彼は急に差込がきて、ジャングルの木陰に飛び込み、ベルトを外して尻を出し、しゃがみ込もうとした。通訳があわてて現地語で叫んだ。たぶん、「旦那!尻出しちゃダメ!!」だったのだろうが、なにしろ便意には勝てない。座って一発脱糞した。開放感と共に目をあげると、何と、運転手の親戚がライフルの銃口を彼に向けて目の前に仁王立ちではないか!尻を出してしゃがみ込んだ間抜けな姿で死ぬのかと、彼は目を閉じた。間髪を置かずジャングルに轟く銃声。

 「シテンチョー、ノグソ、ダメ、イゥタデショー!」通訳が平常心を取り戻して、彼のむき出しの尻に目をやった。運転手も、親戚も見下ろす目線は通訳と一緒だった。彼はズボンを上げるのを忘れて、脱糞したばかりの野糞を見た。「ギャー!!」彼の話によると、3メートルは飛び上がったらしい。野糞を枕に、彼を尻から飲み込もうとしていた5メートルはあろうかというニシキヘビが眉間を打ち抜かれて口を開けていたのだ。

 通訳の話だと、虎やニシキヘビに食われるのは、殆どが野糞をしている時らしい。特に女性は見られるのが恥ずかしいのでジャングルの茂みの奥に行き、そのままあの世へ直行となるそうだ。臭い話だが、真面目な彼の話に嘘はなさそうだった。

 「命拾いのシテンチョー」の話、肩書きの話からは大きくずれてしまった。

 

理想郷

2008年09月09日 | Weblog
 山里の果実たちにとっては理想的な秋が訪れた。夏の日照りを潤す雨は昨年と違い適度に降った。稲をなぎ倒し木の実を振り落とす台風も、今年は山里を避けた。棚田にはたわわに実った稲穂が色づき始めた。やがて、秋の陽を受け、黄金色に輝く。山に分け入ればアケビも顔を見せる。

 先日、親友Tのお兄上Yさん宅に招かれ御妻女の手料理で新栗を頂いた。高校時代、20人の不良に囲まれた僕を「俺の弟の親友バイ」と、一喝で救ってくれた方だ。昼間に山から採って来たばかりだという栗の実の味は例えようもなく旨かった。Yさんが毎日飲んでいるというゴーヤジュースを食後に頂いたが、何とも、血が洗われるような味がした。

 昨日、庭の柿を試食してみようと思ったが、ちぎる前に自重した。もう2週間は我慢が必要だろう。青い実をちぎる狼藉など、柿に失礼である。剪定鋏で植木を摘んでみたら止められなくなって陽が落ちるまで続けてしまった。夕飯時、箸を持つ手がプルプル震えた。父に「風呂に入ったら治る」と言われたが、パソコンに向かっても一晩中震え続けた。何事も、プロの仕事には敬意を払うべし。植木屋の二の腕を見てみたい。今朝もまだ力が入らない。腕が笑うなんて何年ぶりだろう。

 

 

世界の文豪100人が選ぶ小説第一位?

2008年09月08日 | Weblog
 勿論、「ドンキホーテ」の1位はこの2百年揺るがないそうだ。ドストエフスキーなど信奉に近いという。当時の社会情勢に照らし合わせて、風車は新興国オランダの象徴で吹き飛ばされるのはスペインであると解説までしている。確かにコロンブスの発見した中南米諸島もイギリスやフランス、オランダに次々と奪われスペイン艦隊の滅亡も歴史に明らかだ。それにしても、文化、とりわけ文学や音楽に関してはスペイン抜きでは語れない。セルバンテスは勿論のこと、ファン・ラモン・ヒメネスの存在は、僕にはゲーテやヘッセより重いかも知れない。

 虚構の入れ子細工を駆使した「ドンキホーテ」は、何処までが本当で何処からが嘘なのか、何度も繰り返しながら、終いには物語りすべてを虚構の人物からセルバンテス自身が聞いたと嘘をつく、とぼけた話である。主人公が、書物を読みすぎて頭がおかしくなった老人というところから、もう充分に怪しい。しかも、その老人は、時々、聡明な見解を滔々と語るのである。何度読み返しても、イラつく物語だ。文豪たちが第一位にあげるのも、ジョークではないかと思いたくなるときがあった。

 ところがだ!「わが友、サンチョ・パンサ」の脚本を書いていると、今まで見えなかった面白さが驚くほど鮮明に見えてくる。読者は、すこし知恵の足りない従者サンチョ・パンサに、気の毒だとは思っても、思い入れをして読む人は少ないはずだ。余談だが、「水戸黄門」はよく出来ている。うっかり八兵衛がいなかったら暗い隠密老人の旅日記である。食うことに執着するのが太ったキャラクターだと安心出来ることを、セルバンテスはテレビのない時代に見抜いていたのだ。食うことを抜きに人間は存在し得ないが、痩せこけた俳優が食うシーンは何処か哀しいし、切ない。ドンキホーテには断食が似合い、サンチョには食事が似合う。

 

想像もしなかった人生!

2008年09月08日 | Weblog
 60歳になったら片山竜太郎と「ドンキホーティ」の二人芝居で全国を巡演しようと話し合っていたのは2年前のことだ。頼んでいた台本も仕上がってこないし、片山も10周年記念公演が迫っているしで、僕は60歳の夏、九州へ営業の旅に出た。ふるさと熊本を拠点に約一ヶ月、用意した名刺も使い果たした。夜更けに、ドンキホーティの登場しない、サンチョパンサの独り芝居を書いてみた。

 平和な百姓暮らしからドンに誘われて、妻や子を残して旅に出るサンチョ。彼にはドンのような高邁な理想も夢もない。ドンが語る夢のような話も心から信用しているわけではない。洗濯女を姫と呼ぶドン、風車を怪物と思い込んで突っ込むドン、騎士として成功したら領地を分けてやるというドン、サンチョはピエロと化したドンを見捨てず故郷のラマンチャにつれ帰る。そこには、愛しい妻と子供たちが待っている。死の床でドンが謝る。「すまなかったな、私の夢につき合わせて」サンチョは笑って答える。「思いもしなかった人生をご一緒出来て、こちらこそ、礼を言いますだ」

 帰京したら片山に読んでもらおう。僕がいなくても「サンチョパンサ」で片山は全国を、いや、全世界を巡演できる。この脚本には自信がある。10年も僕に付き合えた片山竜太郎の忍耐力は、並ではない。この脚本は、片山竜太郎の「サンチョパンサ」である。

友の力

2008年09月07日 | Weblog
 夜半に激しく雨が軒を叩いた。例年荒れ狂う台風に見舞われる季節、今年もそろそろ来る頃だ。雨の音を聞きながら企画書を書いた。明け方にはすっかり雨もあがり、陽光が澄み切った空気を貫いて草木を鮮やかな色に染める。汗ばむ肌の感触にマルセイユの夏がよみがえる。ウアビテヴゥ?タヒチとギリシャの血が混ざったマリィの歌うような声に、ジャヴィテア、トキオと答えたのは29年前の夏だった。

 感傷に浸るのはやめよう。今は、友に支えられて動き出した企画が、九州山脈の麓にある山里から、何処まで広がるかに力を尽くそう。この一ヶ月、友人たちの協力なくしては進めなかった。まだまだ難題は山とあるが、ひとつひとつ解決してゆこう。諦めるんだったらハナっから劇団なんかやっていない。ね、沖縄のHさん、再会を楽しみに!

 

相撲界と大阪府

2008年09月07日 | Weblog
 市井の演劇人が口を出すことではないのを承知で書く。図書館を盗み撮りしてはいけないだろう!しかも子供たちが漫画を読むのは当たり前だろう!大阪が生んだ天才漫画家手塚治虫先生に失礼だろう、ハシモト!漫画ばかり読むな!と、自分の子供を叱るのはよい。子供は親に隠れて漫画を読む。その後ろめたさが子供を成長させるのだ。

 で、相撲界、漫画ばかり読んで強くなった大将が、トップに君臨して、弱肉強食の見本を見せているのだ。漫画のような世界だから、きっと救世主が現れて悪いやつをやっつけるよ。隔離された唯一の人類の遺産である相撲協会の自浄を祈る!立て!貴乃花!!!

 今日本が世界に誇れるのは「MANGA」であることは疑いもない。マンガを原作とする映画が巴里でプレミアム上映会を開催する時勢なのだ。うれしはずかしである。
 演劇も負けてはいられない。もっとパワーをつけよう!

訃報に接して

2008年09月06日 | Weblog
 仕事より私事の付き合いが長く深い友人のお母上の訃報を電話で知らされた。九州の山里にいては、電話でお悔やみを告げるだけで、どうすることも出来ない。僕の母が亡くなったとき、彼をはじめたくさんの方からお悔やみをもらった。東京から空路、この山里まで来てくれた友人もいた。心使いは嬉しいものだ。彼は業界でも成功者の部類にはいるので、弔問客も殺到するだろう。

 夕暮れ時、94歳になっても足腰のトレーニングで庭を歩く父と、庭石に腰掛けて、葬式について語り合った。僕の仕事の成功を見届けるまでは死に切れない、と言うのが父の口癖で、生きていて欲しいのでなかな成功しない、と言うのが僕のお返しの決まり文句だ。ところが、今日は珍しく弱気で、寝室の黒いかばんに生命保険の書類があって、受取人名は僕にしてある、と、初めて聞くまるでドラマのような話をし始めた。役者なので信用は出来ない。僕は、後5年したらその話をしてくれと、ドラマの主人公風に、さえぎった。

 若い頃は、父の遺産で悠々暮らす、いわゆる高等遊民にあこがれたこともあった。しかも、それに近い人生を送ってきた。自分のゴールが見えた今、どっちが先に逝くかわからない今、父の遺産を当てにしてどうなるものでもない。

 母の遺言も聞き損ねた僕は、父の最期にも立ち会えないであろうと覚悟している。そろそろ東京へ帰ると言えば、食欲がなくなったとしょんぼりしてみせる父。相変わらず役者である。どうみても3年は大丈夫だろう。あと、3年か…。